2017年01月08日

10月9日 「あわれみ深い主」

「あわれみ深い主」
「わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない。」(マタイ九:一三)
  
 神は旧約の時代から、「あわれみ深い神」として、イスラエルの民に語ってこられました。
「その愛とあわれみによって、彼らをあがない、昔からずっと、彼らを背おい、抱いてこられた。」(イザヤ六三:九) 
「神よ、御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私の罪をぬぐいさって下さい。」(詩篇五一:一)
 イスラエルの民は、主の憐みによって、神の民とされたのです。そして、律法が与えられ、幕屋が建てられ、祭壇が設けられたのは、民の罪をあがない、神と共に歩むためでした。神は罪人を退けたのでなく、常に招いておられたのです。
しかし、民は、時間の経過とともに、犠牲を捧げることが主に喜ばれることであると考えるようになってしまったのです。その民に向かって、神は預言者を通してみこころを告げられました。「主はなにをあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ六:八)また、イエス様も「律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。」(マタイ二三:二三)と語っておられます。
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10月2日 「継続する信仰」



「継続する信仰」
「あなたがたのために絶えず祈っている。」(Uテサロニケ一:一一)
 神が私達に与えて下さった信仰は継続する信仰です。イエス様を救い主と信じたならば、常に信じ続けることが要求されます。そして、語られたことは、必ず実現すると信じ、神に従うことを求められます。
会堂司ヤイロはこの信仰によって、大きな恵みを主イエスから頂きました。
@ ヤイロは勇気をもって、イエスの御前で自分を低くした。
大勢見ている前で、イエスの御前で、ひれ伏してお願いしました。会堂司の手前、大勢の人々に知られていました。
「会堂司」は、町々に礼拝する場所であり、普段は学校としての役目をになっていました。ヤイロはそこの管理者でした。
A ヤイロは熱心に願った。
娘が死にかけていました。
B ヤイロは、イエス様は救い主であると信じていました。たとえ死んでも生かして下さる方であると信じていたのです。
C 途中、失望することがあっても、イエスに励まされて、信じ続けたのです。
大勢の人に囲まれて、早く進むことが出来なかった。その上、長血を患った女性の癒しのために、手をくれになったのです。しかし、イエスに対する信仰はなくならなかったのです。
D その結果、イエスの御業によって、娘は生き返ったのです。
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2016年09月26日

9月25日 「罪赦される信仰」



「罪赦される信仰」
「主のみ名を呼び求める者は、だれであっても救われる。のです。」
(ローマ一〇:一三)

  罪が赦された中風の男性の信仰はどんなものだったのでしょう。
一、 熱心に求める信仰。
 彼は動くことができません。そこで、同じ信仰をもっている仲間に手伝っていただき、寝ているままの姿で、イエス様のところに運んでもらいました。
二、 障害を乗り越える信仰
 イエス様には、大勢の人々が取り巻いて近づくことができません。そこでかれらは、諦めないで、屋根からロープを使って、つりおろしました。
三、 罪を認める信仰
 イエス様は彼らの信仰を見られて「あなたの罪は赦されている。」と告げられた。彼らは神の御前で罪を認め、その赦しを願っていました。すなわちイエス様を神の子として信じ、救って下さる方である信仰をもって御前にでました。
四、 信仰が正しいものであることを、体の癒しによって証明された。
 パリサイ人や律法学者は、イエス様を罪を赦す権威は持っておられないと考えていました。これまででも、同じ中風の人をイエス様は癒しておられたことは、パリサイ人は知っていましたが、信仰がなかったのです。
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9月18日 「共におられる神」

「共におられる神」
「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共にいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア一:五)
「恐れ」は私達の生活に大きな影響を与えます。先日、相模市の障害者施設で殺傷事件があり、社会に多大な不安を与えました。それは、「恐れ」となって生活に支障が出始めています。恐れから解放されるにはどうすればよいのでしょう。信仰に回答があります。
 ある時、イエス様は弟子の信仰のないことを指摘されました。船でガリラヤ湖を渡ろうとした時、強い風と波に襲われ、船が沈みそうになりました。弟子のペテロさんたちは、恐れに支配され、「主よ、助けください。私達は溺れそうです。」と、叫びました。恐れている弟子にしてイエス様は「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちだ。」と叱りました。この時、イエス様はどんな信仰を求めたのでしょう。
 旧約聖書のヨシュアの記事が参考になるでしょう。冒頭の聖句にあるように、恐れに支配されていたヨシュアを、主なる神は励ましました。その根拠に、「あなたと共にいる。」と語られたのです。ヨシュアは、そのみことば信じて、勇敢に立ち上がったのです。
 イエス様は同じ信仰に立つことをペテロさんに、求めたのです。それが恐れから解放される唯一の手段です。彼らは、復活の主にお会いした時から、この信仰に立って、勇敢に戦ったのです。
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9月11日 「信仰の役目」

「信仰の役目」
「信仰がなくては神に喜ばれることは出来ません。」(へブル一一:六)

 先日、出かけている時、車が突然故障して、動かなくなりました。それからが大変でした。保険会社に連絡し、修理会社を捜してもらい、レッカー車で修理工場まで搬送してもらい、修理が終るまで台車を借りて家までやっとの思いで、帰ってきました。
 故障個所は、ミッションが壊れてしまったのです。ミッションはエンジンの力を車輪に伝える働きをします。その故障の為に、エンジンは動くのですが、車輪にその力が伝わらないのです。アクセルを踏んでも、エンジンが空回りするだけなのです。
  このミッションの役目は、丁度、信仰がはたす役目に似ています。イエス様の御力は、誰にも同じなのですが、ある人には、御言葉通りの御業がなされるのですが、ある人には、御言葉通りにはなりません。なにが、その違いを産むのでしょうか。そのカギが「信仰」というミッションの働きが正常に機能しているか、していないかによるのです。ミッションが機能していなければ、エンジンの力は、車輪に伝達しないように、「信仰」がなければ、イエス様の御業は行われません。
  百人隊長の僕の癒しの御業は、このことを教えています。イエス様は「あなたの信じた通りになるように」と答えました。僕はその時癒されたのです。
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9月4日 「盟約の実行」



「盟約の実行」
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ一:二二)

 先日、教会の玄関前にある、かえでの枝切をしました。夏場に伸びた枝を切ってほしいと頼まれたのです。ふたつ返事で引き受けました。が、実行するとなると二の足をふんでしまいます。台風が来るからとと言って、延ばし、昼間は暑いと言って、涼しい時にやろうとしても、朝早くするのは少々つらい等々、理由をつけては後回しになってしまいます。
 イスラエルの民は、盟約は結びました。異邦人と婚姻を結ばない。安息日には、売り買いはしない。捧げ物の規定を作って、神の宮を第一にするなどを約束したのです。しかし、実行するには、戦いがありました。
 ネヘミヤがしばらくエルサレムを留守にしているとき、民は、約束をはたさなかったのです。以前の状態にもどりました。ネヘミヤは、再び、民に、聖書から、実行する大切さを語りながら、説得しました。民は聞入れ、盟約を実行に移したのです。その行動は主に祝福されました。イエス様が来られる時まで、エルサレムは守られたのです。
  「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、ことを実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(ヤコブ一:二五)
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8月28日 「奉献式」



「奉献式」
「彼らは・・・感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行おうとした。」
(ネヘミヤ一二:二七)
  先日、船橋教会の献堂式に出席しました。会堂の完成は喜ばしいことです。
 それ以上に、その会堂を主にお捧げすることは、さらに素晴らしいことです。
  ネヘミヤをはじめイスラエルの民は、城壁再建が完成し、聖なるエルサレムの機能が整えられ、民の神への献身が告白され、新しい神を中心とした生活がいよいよ始めることが出来る所まで来ました。
  その初めに彼らは、全てを主に捧げたのです。主を第一にすることを明らかにしたのです。民は大人から子供まで、また、男子も女子も全ての人々が歌を歌いながら喜んで奉献式を行ったのです。
これは、型です。また、模型です。本物は、新しいエルサレムとして、将来、来るのです。救われている方は、この奉献式に出るのです。イスラエルの民以上に、喜びをもって祝うのです。模型はなくなりますが、本物は永遠に変わることなく、存在するのです。
「都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と一二の門があって、それらの門には一二人の御使いがおり、イスラエル子らの一二部族の名が書いてあった・・・・また都の城壁には一二の土台石だあり、それには、小羊の使徒
 の一二の名が書いてあった。」(黙示録二一:一一〜一四)
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8月21日 「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」

「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」
「この町は広々としていて、大きいかったが、そのうちの住民は少なく家もまだ十分に建てられていなかった。」(ネヘミヤ七:四)
    最近世界遺産が日本においても話題を呼んでいます。富士山、、知床など自然や、最近認められた西洋美術館など、造形物も登録されています。
  また、樹齢何百年になる樹木や巨大な石など、古くから変わらずに存在している物に畏怖の念をもつ人も少なくはないでしょう。人の心の内には、「変わらない」というところに魅力と安心をもつものがあるようです。
  聖書の神は、変わらない神です。その証しは聖書です。一旦語られた言葉は、どんなことがあろうとも変わることがありませんでした。
  ダビデが建てたエルサレム、そして、その中心にソロモン王が建てた神殿を、神は祝福されたのです。エルサレムの繁栄は主の栄光です。しかし、神を忘れて神から離れるならば、町は廃墟となったのです。
  ネヘミヤは、このことを悟りました。エルサレムの町を廃墟から建て直し
 機能をするように、整えていったのです。町のいのいちである、住民を住まわせる手配をしたのです。町の機能が回復するように、ソロモンが整えた秩序に習って、民を選んだのです。ソロモンの時代は約五〇〇年もさかのぼります。神が整えた秩序な時が過ぎても変わることはないのです。これは、これからも変わることはないのです。永遠の都は、私達が憧れ目指している都、それは新しいエルサレムなのです。
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2016年09月09日

8月14日「礼拝のために心を一つにして」ネヘミヤ10章

「礼拝のために心を一つにして」
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時がきます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ四:二三)
  
日曜学校の子供たちが、花の日に植えた朝顔が、朝日を浴びて美しい花を咲かせています。その姿は、神様を力いっぱい讃美しています。
そのためには、種を蒔き、苗を植え変え、水をやり、棚を作り、忍耐して毎日水をかけなければなりません。少しでも怠けると、花は咲くことはありません。そのためには、多くの人々の手が必要です。そして、その苦労は、美しい花が咲き誇る時、報われるのです。
  まず最初に、イスラエルの民は、礼拝のために、心を合わせて準備しました。律法から特に、一〇項目を定めて盟約を結んだのです。
@ 異邦の民と婚姻を結ばない。A安息日に買い物をしない。B七年目
に土地を休ませる。負債を取り立てない。C神の礼拝のためにシェケル3分の1をささげる。Dたきぎの捧げ物をする。E土地の初成りとあらゆる初成りとを携えてくる。F子供と家畜の初子、羊、牛の初子を祭司のところに携えてくる。G初物の麦粉と、奉納物、あらゆる木の果実、新しい葡萄酒と油を祭司のところに携えてくる。H土地の十分の一はレビ人の物とする。Iレビ人は十分の一の十分の一を神の宮に携えてくる。

posted by sbbc at 07:22| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月7日「新しい出発」ネヘミヤ9:1~

「新しい出発」
「神のみこころに添ったその悲しみがあなた方の内にどれほどの熱心を起こさせたことでしょう。」(Uコリント七:一一)
  
  「みことばは、人の内に働き、悔い改めに導きます。」
 イスラエルの民は、仮庵の祭りの中で、一週間、御言葉を読みました。長い間、忘れられていたことでした。城壁再建は終わりましたが、生活上の状況は何も変わってはいませんでした。しかし、その中で、神様との関わりを変えることができたのです。
  最初は、ネヘミヤに励まされて、主の働きに参加しました。そして、完成した時、彼らは、自ら、聖書を通して、神のみこころを理解したのです。
 それは、彼らの魂にしみこんでいったのです。今の苦難の原因を知ったのです。それは、主に犯行してきたために、主のこらしめであることを悟ったのです。そして、悔い改め、主に立ち帰ったならば、主は赦し、受け入れて下さることを知ったのです。
  「彼らは告白し、盟約を結びました。」
 イスラエルの民は、4分の1日(6時間)かけて告白しました。今までの示された全ての罪を告白しました。そして、これから主に従うことを、決心し、盟約を結んだのです。そして、行動しました。イエス様を迎える備えをしたのです。約四〇〇年経過して、救い主は来られたのです。
posted by sbbc at 07:20| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする