2016年07月15日

7月10日 「聖別された日」ネヘミヤ7:72~


「聖別された日」
「第七月の第一日はあなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。」(レビ記二三:二四)
 
 一 神が民を招集される日(聖別された日)
   第七月は今の九月の終わりごろから一〇月にかけての頃になります。この時期は、秋のブドウの収穫の時期になります。収穫が終わった後に集会は開かれました。神は民と共に喜ぶために、仕事を全て休んで、日常生活から離れて、共に集まったのです。聖別とは、主が民と共に過ごすために
世から切り離されることです。それは、礼拝という形となるのです。覚えなければならないことは、この会合は主のためなのです。
 二 民は自らすすんで集まった。(一人のごとく)
   城壁再建が終わって、数日しか経っていませんでしたが、大勢の民が住んでいた町や村から、エルサレムへと集まってきたのです。工事の疲れも見せずに、喜んで、命じられることもなく、すすんで集まってきたのです
   彼らは、神殿礼拝からしばらく離されていましたが、集まることは忘れてはいなかったのです。様々な妨害によって、神殿に集まることが出来なくされていましたが、今年は違ったのです。
   主の御前に集うことは、何に於いても優先事項でした。それは、楽しいことであり、喜びでした。あなたはいかがですか
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7月3日 「いのちのつながり」ネヘミヤ7:5~7



いのちのつながり」
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神のこどもです。・・・もし、子供であるなら、相続人でもあります。」(ローマ八:一四)
 
{系図の意義}
 一 「いのち」は連続性があることを表しています。
それ故に、良い点、悪い点があります。私達の顔、体形、性格、声などは、子は親に似ていることは認めるところです。孫を写真で見る時、「かわいいな。目は誰ににているかな、顔かたちは・・・」と際限なく会話が続きます。それは楽しいことです。いにちのつながりは人に幸いな思いを与えます。
 二 相続権が認められています。
  血のつながりがあるという理由だけで、親、兄弟肉親の財産を受け継ぐ
 権利を持つのです。イスラエルの民はアブラハムの子孫ということで、その神との契約の全てを受け継ぐことができるのです。その後、罪によって、国を失ってしまいますが、悔い改めるならば、再び受け継ぐことができたのです。ネヘミヤはその神との契約によって、ユダヤを建て直したのです。
  イエス様はダビデの血を受け継ぐものとして、神とダビデとの間で結ばれた契約の相続人としてお生まれになられたのです。
 三 キリスト者はイエス様を蘇らせた御霊によって生まれたのです。
  神によって生まれたことが変わることがない、救いの土台なのです。
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6月26日 特別福音集会 丸山一郎先生





「あなたにとって幸せとは?」
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものです。」
(マタイ五:三)
  少し前「世界で最も貧しい大統領」で話題になった方が、日本を訪ねました。テレビで報道もされ、各地で公演もされました。この方が日本の青年に「あなたにとって幸せとはなんですか。」と、問いかけられたのです。多くの人が答えに窮したのです。なぜ、この人の声に多くの人が耳を傾けられるのでしょうか。それは、本のタイトルに見るように、その生き方とその表情です。その生き方とは「物の豊かさではなく、人のこころにこそ幸せを持つ」と。幸せは、全ての人が求めています。しかし、飢え乾いています。
  聖書にも、幸いについて教えています。本日は、豊かな主のお働きをしてこられた、丸山先生から聖書の解き明かしていただきます。
 {丸山一郎先生のご紹介}
 一九三二年東京にお生まれになりました。東京大空襲、疎開を経験されました。中学二年の時、「カム、カム英語」のラジオ放送を聞かれて、人生の転機を迎えられました。その後、英語を習得のため研鑽され、信仰へと導かれ、献身へと導かれました。東京教会よりBBFの神学校に入学されました。その後、アメリカにあるボブ・ジョンズ大学へ留学され、帰国後、習志野教会を開拓され、牧師として主のお働きをしてこられました。その間、船橋教会の開拓、当時アメリカの統治にあった沖縄に宣教師として齋藤先生を派遣。
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2016年06月22日

6月19日 「エルサレムの目的」



「どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。
その時、あなたは、全焼のいけにえと全焼の捧げ物との義のいけにえを喜ばれるでしょう。
その時、雄の子牛があなたの祭壇にささげられましょう。」
(詩篇五一:一八,一九)
  城壁再建が完成した時、ネヘミヤがまず行ったことは、
一、 門衛と歌うたいと、レビ人を任命した。
敵の手に落ちていたエルサレムの町を、ユダヤの人々は取り戻し、本来の町の機能を回復したのです。まず、礼拝の働きを回復したのです。
(U歴代三五:一五)
二、 エルサレムを治める者を立てた。
町の監督者として、ハナ二とハナヌヤが選ばれた。その理由は@誠実な人であった。A多くの人にまさって神を恐れる者であった。この二つだけでした。
 私達キリスト者は、自分自身の統治者として、イエス様をお迎えしました。又、教会を導く者として、牧者をたてます。この働きには同じ霊的資質が求められます。そして、キリスト者自身も同じものをもとめられるのです。(Tペテロ二:九)
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6月12日「まとわりつく罪」



「いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私達の前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(へブル一二:一)
  エルサレムの城壁は、ネヘミヤと、共に働いたイスラエルの民の信仰による働きによって、五二日間で完成しました。これは、誰でも認める神の御業でした。神の御業を人は奇跡と言います。工事を妨害した敵共も奇跡を見ました。
  しかし、敵は退散したのではありません。外からの攻撃は勝利しましたが内からの攻撃をくわえてきたのです。トビヤやサンバラテは、ネヘミヤより長くイスラエルの民の中に根を下ろして来ました。仕事上の契約や祭司や大祭司との婚姻関係を結ぶことによって、民を治める地位を得ていたのです。
 これが、ネヘミヤにとって厄介でした。これに勝利するまでに、十数年かかったのです。ネヘミヤ記の最後の章一三章の記事はこの勝利で完結しているのです。
  また、この困難さは、ネヘミヤの前に手を付けた律法学者エズラがどうにもならない問題として、彼の前に立ちはだかったことを見れば理解出来ます。この解決の為に、ネヘミヤの登場を待たなければなりませんでした。その間、一三年の歳月が流れました。
  私達キリスト者にとって、この戦いは、血を流すほどの戦いだとパウロは語り、イエス様の十字架を指し示しています。
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2016年06月09日

6月5日 「世の光として輝く」



「曲がった、邪悪な世代の中にあって、
傷のない神の子供となり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」(ピリピ二:N、O)
  ネヘミヤは、邪悪な敵に攻撃される中、主に祈りながら、城壁の再建をやり遂げました。妨害した敵共だけでなく、工事に参加しなかった傍観者も、この工事が神の御業であることを見て、神とネヘミヤを畏れたのです。
  畏れた理由は、@長い間、荒廃し誰も手を付けようとはしなかった難工事であった。A工事に携わった人は、祭司、金細工人、若い人、女、商人など普通の人々だった。B全ての策略を見破って工事を継続させた。Cわずか五二日間で終えた。ソロモン王は全ての宮殿建設に一三年かけた。ゼルバベルは神殿再建に四年費やした。それから考えると、城壁再建は驚異的なスピードでした。まさに神の奇跡でした。不可能と思われていた事をネヘミヤは成し遂げたのです。
  「完成」は主の御心です。ネヘミヤは、最初から、最後まで、主に祈り信仰によって、エルサレム再建は主の御こころと確信し、一人で立ち上がったのです。そして、完成することによって、邪悪の人々の間で、世の光として輝いたのです。全ての人が神の御前に膝をかがめ、神の栄光を拝するのです。
  キリスト者の完成は何でしょうか。世の光として輝くことなのでしょう
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2016年06月02日

5月29日 「救い」



「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることがない、神のことばによるのです。」(Tペテロ一:二三)

  朝顔の種を一週間ぐらい前に蒔きました。昨日見ましたら、小さな葉を元気よく土を突き破って地上に出てきました。昨年、花が終わり、種を取り一年間箱に入れて保管していました。その時は芽をだすことはありませんでした。しかし、土の中に植えつけ、水をやっていると、一週間たらずで、芽をだしてきます。小さな朝顔の種のどこに、芽を出す時期をみる力があるのでしょう。私は改めてその不思議さを感じます。神様の知恵は量り知れないほどに深いのです。
  御言葉は種に譬えられています。御言葉のどこに、永遠のいのちを、人に与える力があるのでしょうか。使徒ペテロは、御言葉の中に永遠のいのちがあると伝えました。それは、不思議な事です。しかし、朝顔の種が、土の中に蒔かれると、命の活動を開始するのと同じように、御言葉をこころから信じ受け入れるならば、その人の中で永遠のいのちが活動を始めるのです。これは、神の不思議な御業です。
  これは、信じて受け入れることによって、また、従うことによって、新しい命は私達を育てるのです。主の語られた御言葉を信じましょう。
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2016年05月30日

5月22日 「主の御言葉を見極める」



「私のような者で、だれが本堂に入って生きながらえようか。
私は入っていかない。。」(ネヘミヤ六:一一)
神は御言葉を通して、導かれます。御言葉は不変です。
  ネヘミヤは、預言者のことばが、神からでたものではないことを見破ったのです。どうして、出来たのでしょうか。それは、知っていた御言葉と言われたことばがちがっていたからです。
  預言者シェマヤは、有力な預言者でした。二代まえから呼ばれているところから家柄がわかります。預言者イザヤのように名の通った家柄だったのです。ネヘミヤは、シェマヤに助けを求めに家を訪ねたのでしょう。以前、ヒゼキヤ王が、アッスリアに攻められた時、預言者イザヤに祈りの要請をしました。(U列王一九:三,、四)。しかし、シェマヤは会わずに、伝言で「主の
 宮で会おう」と伝えたのです。その理由は「敵が夜、あなたを殺しに来るから」と言うのです。
  ネヘミヤは、これは、陰謀であると見破りました。それは、律法によると、主の宮に入ることができるのは、祭司とレビ人だけであることが、記されてあるからです。ネヘミヤは、千年も前に書かれた聖書の記事が、今も効力があることを知っていました。主の宮に入るのは神に罪を犯すことなので、神は決して、罪を犯すようには導かれないのです。たとえ、命が危険にさらされるとしても、御言葉に従うのです。従うところに、主は守られるのです。
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2016年05月21日

5月15日 「前進せよ」



「前進せよ」
「私は大工事をしているから、下っていけない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ行ったため、工事が止まるようなことがあって良いものだろうか。」(ネヘミヤ六:三)

 城壁は門を取り付ける所まで、できあがりました。ネヘミヤが言っているように、大工事でした。壁の厚さは六メートル、高さは七・六メートル、その上二重の壁になっていました。石垣の石は大きい物で、長さ九メートル、幅二メートル、厚さ一メートル、重量八〇トンもありました。敵共が、あらゆる手で妨害したけれども、驚くほどの速さで石垣が積み上がったのです。
 門を取り付けるだけになったとき、最後の手段に打ってでたのです。城壁が完成すると、外から攻撃することは出来ません。そこで、城壁の外におびき出すことにしたのです。外に出たところ攻撃しようとしたのです。神は城であり、盾です。その内にいるならば安全です。
 しかし、敵は、執拗に外に引き出すために策略をめぐらします。彼らは、嘘の噂を流し、ネヘミヤを脅しにかかったのです。それに対抗するために、工事を完成まで、決して止めてはならないことをネヘミヤは固く決心していたのです。「手を鋤にかけてから、後ろに振り向いてはならない。」とイエス様は教えられました。主の働きは、常に前進あるのみです。寄り道をしている暇はないのです。それが、守られる秘訣です。
posted by sbbc at 20:32| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

5月8日 「すべて福音のために」



「それなのに、私達はこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えないとしてなのです。」(Tコリント九:一二)

  一人の兄弟を紹介します。彼は、昨年の総会後、まだバプテスマを受ける前でしたが、私の所に来て、「先生、佐倉教会をお辞めになるんですね。」と言って、頭を深々下げて「先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。」と挨拶されたのです。
  また、この兄弟は、私が昨年六月、アメリカに出かけた時、祈り会を二回出られなくなったので、どうしようかと思い悩んでいた時、彼が、引き受けてくれたのです。出席者が少ないうえ、だれも出席しないかもしれないおそれもありました。しかし「わかりました。責任をもって引き受けます。」と。
 彼は、今も熱心に祈り会に出席し、教会と兄弟姉妹のために祈っています。
 その心は、行動に現れています。今日は、母の日です。彼は、カードを用意しました。自分で材料を用意して、自分の手で一枚一枚書いていました。
  神を恐れるとは、ネヘミヤのように、主に対しての心と同じ思いで、全ての民に接することです。又、 伝道者パウロも、同じように行動したのです。自分の権利は使わないで、その人の救いと成長のために全ての事をしたのです。そして、自分に必要なものは、神にのみ求めたのです。
posted by sbbc at 16:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする