2017年03月10日

3月5日 「礼拝の原点」



「礼拝の原点」
 「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクを捧げなさい。」(創世記22:2)

教理問答書に、「人の目的はなんですか。」という問いに対して「神を礼拝することです。」と答えているように、礼拝は神が求めておられる最も大切な信仰における行いです。
 アブラハムの信仰における最も神が喜ばれた証しは、モリヤの山でイサクを捧げ、神を礼拝する姿でした。ここに、礼拝の原点が示されています。
一、 神の呼びかけに応える。「はい、ここにおります。」
二、 神が示される場所に行く。「モリヤの山」
三、 神が求められる捧げ物を携え、捧げる。
四、 アブラハムが最も愛しているものイサクを要求された。
五、 イサクは約束の子であった。しかも、ひとり子である。相続する者は他にはだれもいない。
六、 彼は、神を恐れる事を第一に、行動し、神の約束を決して疑わない信仰によって、「主の山には常に備えがある」ことを信じ続けた。
七、 信仰の勝利によって、神の大いなる祝福を受ける。

「あなたの子孫を海辺の砂のように数多く増し加えよう。あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記22:17)
posted by sbbc at 12:44| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月26日 「全て主の栄光のために」

※2/26 録音はありません。
「全て主の栄光のために」
 「それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」(創世記14:23)

 私達の目は常に主に注がれているでしょうか。また、全ての栄光を主に帰しているだろうか。
 アメリカ合衆国大統領トランプ氏が自分の働きを自画自賛している姿が世界を駆け巡っています。世界各地で批判のデモが行われている中で、本人は、自分の業績を誇らしげに語っている姿をみなさんはどう思われますか。
 アブラハムは、人々の目が常に主に向くように注意深く行動しました。
皆さんのアブラハムのイメージはどのようなものでしょうか。信仰深く、温厚な羊飼いのイメージを持っておられる方は多いのではないでしょうか。しかし、甥のロトの救出のとき、彼は愛からくる勇敢さを見せました。
 ソドムや周辺の町の王たちを、破った北方の大軍を命をかけて約四〇〇キロも追跡し、奪われた人々や物資を全て取り戻したのです。それ程、家族思いで、勇敢でした。後にも先にも戦ったのはこの戦いだけでした。信仰者は時として神の力で勇敢に行動しなければなりません。アブラハムは主のために戦いました。この戦いの勝利は主によることを知らない人々に、アブラハムは、力づよく証しました。「私が、仕える神は、私に力を与え、守り、富まして下さる方である。だから、私はあなたの物は何もいただきません。」
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2017年03月03日

賛美練習 聖歌389 ねがわくは神 伴奏

賛美練習の為の伴奏を録音しました。
自宅練習用にご活用ください。

ソプラノ


アルト


テナー


バス


伴奏全パート
posted by sbbc at 11:06| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月19日 「伝道者の働き」

※2/19 牧師は幕張教会の宣教集会の奉仕に出かけていたためメッセージの録音はありません。

「伝道者の働き」
 「パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。」(使徒18:5)

 パウロの働きは、聖書に詳しく書かれています。まだ福音が語られていない所に福音を伝え、教会の土台を据える事でした。そこには、まだ、その働きのための協力者はおりません。パウロはあらゆる手段を使って働きました。ある時は、自分の手の職で、働きながら生活の必要を満たしました。また、ある時は、前の教会からの支援で、生活を支えました。ある時は、アクラのような助け手を神は与えパウロを支えました。弟子たちの働きで、支えられ、本人はみことばを語ることに専念したのです。
 エルサレムの教会では、使徒ペテロたちが、祈りとみことばに仕えることに専念するために、信徒から執事が選ばれました。このように、教会は御言葉が宣べ伝えられることを最優先できるために、あらゆる方法を用いたのです。伝道者は働く者、信徒は支える人と分けられているのではありません。
教会を建てあげるために、持てる物を最大限に使って主の働きに参与するために、神は私達を集めて下さったのです。
 伝道者は、その為に全てを用います。伝道者はみことばを宣べ伝えるために訓練を受けます。教会はその働きがよりよくできるために、伝道者を支えます。一分でも多くその時間を確保出来るように配慮
posted by sbbc at 10:57| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

2月12日 「神のご計画」


「神のご計画」
 「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)

 先週の総会において、ニュータウン教会の働きを私が断念することを、申し出ました。今まで、独立を目指して祈り支援してきましたので、戸惑う方もおりましょう。そのために、主の導きを話す必要を覚えました。
 ニュータウン教会の働きは一五年に及びます。その間、伝道者をはじめ、佐倉教会も教会形成を目指して祈り、進めてきました。ですから、招聘の作業を進めていく中で、その計画を継続することが、主のみこころと信じて、私達がしばらく引き継ぎ、次の伝道者にバトンタッチできればと考えました
そうすれば、伝道者のこれまでの働きが報われると考えたのです。
 しかし、神のご計画は違う方行を示されました。アブラハムは行先を知らずに出て行きました。その時、示されたのは、ここに留まってはいけないということだけでした。また、伝道者パウロも、自分の伝道地の計画を変更しなければなりませんでした。その時の事情は、聖書には何も書かれていませんが、「聖霊によって、みことばを語る事が禁じられた。」というのです。私達は、「つくられたもの全てに福音を語る」ことを聖書の中に見ます。しかし、場合によって、禁じられることがあるのです。その時にはパウロは理由がわかりませんでしたが、そこには、綿密な神のご計画があったのです。
posted by sbbc at 00:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月5日 「守りの神」


「守りの神」
 「神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Tペテロ5:7)

 「待つ」ことは、勇気のいることです。私達は、伝道者の応えを待っています。その間、いろいろなことを考えさせられます。「待つ」ためには信仰が試みられます。
 聖書の中に、「待つ」ことで、勝利を得た人もおり、失敗した人もおります。イスラエルの最初の王として立てられたサウルは、預言者サムエルのことばを信じて待つことに失敗しました。その結果、王の座から引きずり降ろされました。(Tサムエル13:13、14)
戦いに出る時、祭司によって、祭壇に捧げ物をしてから出発することになっていたのですが、サムエルが七日待つように告げていたのですが、目の前の敵を恐れて、七日目にサムエルに代わって、してはならない捧げ物をサウルは捧げたのです。そして、捧げ終わった時、サムエルが来たのです。サウル王はサムエルを待てなかったのです。その結果、自分だけではなく、家族すべてに主の祝福から退けられたのです。
ノアは、主の声を待ちました。雨が上がっても、鳩が帰って来なくなっても、地が乾いたことがわかっても、箱舟から出ることはなかったのです。
「出なさい。」との声を聴いて、ノアは箱舟から出たのです。自分の判断に頼ることなく、「入る」のも、「待つ」のも「出る」のも主の声に従うのです。
posted by sbbc at 00:34| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

1月29日 「伝道者のこころ」



「伝道者のこころ」
「私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで、財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。」(Uコリント12:15)

 教会は新しい牧師をどのようなこころぞなえをして迎えれば好いのでしょうか。伝道者パウロは、教会の土台を据える働きをしました。何もない所から、福音を伝え、救われた人々を集めて、教会の土台を築きました。その時、様々な困難に遭遇しました。その中でも、教会が伝道者を支えることが出来るように心を砕きました。
 そのために、伝道者の思いを知らせました。パウロは、教会すなわち教会の人々のたましいのために、持てる全てを使っていることを伝えました。その信仰は「受けるよりは与える方が幸いであると言われたみことばを思い出すべきことを、私は万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒20:35)の実践でした。彼は、文字通り全てを主に捧げました。結婚もしないで、家庭も持たず、定住しないで、建てあげた教会も主にゆだねて、敵のいるまっただ中に飛び込んでいきました。そして、最後は囚われの身になり、自由も捧げ、最後に命をも捧げたのです。
 マケドニアのキリスト者は、そのパウロの姿を見て、貧しさにもかかわらず、喜んで、持てる者をもって、力以上に、聖徒たちを支えたのです。伝道者を支えることは、大切な伝道の働きなのです。
posted by sbbc at 16:58| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1月22日 「神と共に歩むノアの恵み」

「神と共に歩むノアの恵み」
 「あなたとあなたの全家族は箱舟に入りなさい」(創世記7:1)

人は地の面にふえ、その悪は地にはびこり、世は乱れて、暴虐が地に満ちた時、悲しみの神の御目は義人を求めて、地上をくまなく見まわされ、あわや、暗く閉ざされようとした時、ノアの姿に辛くもその愁眉は開かれたのです。ノアなかりせば・・・いや、それ以上にこのたった一人のノアを認めたもう神なかりせば・・・と感慨深いものがあります。
もとより、ノアがただしく、かつ全き人であったと言われているのは彼が神のごとく一点の曇りも、欠けもなかったということではありません。ただ、彼が意識する限り、責められるところがないように、努めたということです。彼の目は恥ずべきことをして、下を向いたり、ひそかな、いやしい野心をもって周囲を盗み見したりしないということです。彼の人生の姿勢は真っすぐに神に対して、その瞳には神の正義が映っていたということです。あの当時、義人はノアのみでした。さらば、今日、主の御目をお喜ばする者は、はたして何人いることでしょうか・・・・。
イエス・キリストは、主の日はノアの時と同じようですと告げられました
 また、その時「地上に信仰が見られるでしょうか。」と心配されています。
 ノアは箱舟を造る恵みに預かりました。その、箱舟によって、救われたのです。これは「教会に集めよ」との恵みのメッセージです。
posted by sbbc at 16:56| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

1月15日「人の原点」



{人の原点}
「神は人をご自身のかたちとして創造された。」(創世記1:27)

 今日、腐敗し、乱脈をきわめ、日に日に殺伐となり、時には耐えきれぬような環境の中にあって、かつてのエデンの園を思うことは、無用な時代錯誤と言われますか・・・。
 いえ、いえ、決してそうではありません。本来、人間はその創造の当初には、かくも神によって素晴らしい世界に住まわされていたという事をわきまえるとき、世界の現状に観念してしまう無気力と頽廃とから、自らを引き上げうるのです。私共は、かつて園の中を歩まれる創造主と直接交わりを有していたのです。
 人間は今あるべき状態にいないということ、このことを、まず認識することによって、現状を打開し、本来の人を回復する目的と意欲と希望とを掻き立てられるのです。
 いや、神こそすでに回復の手を打っておられたのです。あの堕落の瞬間から、救い主のお約束は直ちに与えられていたのです。その実現のために、主は十字架にかかられ、いのちを捧げて下さったのです。そして、復活され、教会の頭として、キリスト者を神のかたちへと導いておられるのです。
 ですから、そのために、私達は覚悟して教会の中での言動に心を配らなければなりません。自分自身に流されてはならないのです。
posted by sbbc at 03:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

1月8日 「勝 利」



「勝 利」
「子供たちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたの内におられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(Tヨハネ4:4)

 今年のカギの句は「キリスト者は勝利した者」です。
使徒ヨハネは、「勝利」ということばを多く使用しています。特に、手紙においてキリスト者を励ましています。その根拠は、キリスト者のうちにおられるイエス様が全てに勝利された方であることです。
 イエス様は何に勝利されたのでしょうか。

1.罪に勝利された。
「私達の大祭司は・・罪を犯されませんでしたが・」(へブル4:15)

2.悪魔に勝利された。
「すると悪魔はイエスを離れていき、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた・」(マタイ4:11)

3.死に勝利された。
「神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらされました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」(使徒2:24)

このキリストがわたしのうちにいて下さることを信じましょう。
posted by sbbc at 02:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする