2017年05月30日

5月21日 「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」


「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」
 「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(使徒一四:二三)
  
  使徒たちは、福音を伝え、信じた人々が起こされると、そこに、教会を組織し、その群れを導くために長老(牧師)をたてました。そして、信じている主にゆだねたのです。
  聖書では、伝道所から、教会に代わる記事はありません。福音を伝え、弟子を集めることは、主の御命令です。福音を信じた人々の集まりが教会です。
 私達の信仰告白は、地方教会の独立を告白しています。独立とは、自治、自給、自伝の権威を教会に派遣教会より与えることを言います。
  自治は、教会の礼典の執行の権威が与えられ、各地方教会が全責任をもって、決め、行動することであり、全ての結果に責任を持つことです。バプテスト教会は、会衆全員によって、治めます。
  自給は、経済的な必要は、その教会で賄うことです。
  自伝は、伝道活動は、全て、各地方教会が責任をもって行うことです。
  伝道者が、遣わされて、福音を伝え始める時は、派遣教会の助けが必要です。特に、経済的な援助は派遣教会だけでなく、交わりのある教会からの助けも伝道者にとっては大きな励ましになります。これらが、整えられたとき
 派遣教会からこの権威を頂き、教会を組織し、独立するのです。
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5月14日 「相続する者にふさわしく」

※メッセージの録音はありません。

「相続する者にふさわしく」
 「あなたがたのうちに、キリストが形造られまで、私は産みの苦しみを
しています。」(ガラテヤ四:一九)
  神は偽ることのない方です。いったん約束されたことは、必ず守られます。
聖書は神と人との、約束の書です。その約束は一貫したものです。
「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記一二:三)
「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。」(創世記一七:四)
 この約束の実現のために、神は行動されておられるのです。聖書はその記録です。旧約聖書は、イエス・キリストが来られるまでの記録であり、新約聖書は、その後の記録です。しかし、これは、別の約束ではなく、アブラハムに約束されたことを、イエス・キリストによって、実現されることを明らかにされたのです。アブラハム、その子孫としてダビデ、そしてイエスと続き私達キリスト者へと、相続されてきているのです。
 「私達は神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」
(ロマ八:一七)
 「神を愛する者に、約束されている御国を相続する者とされた。」
(ヤコブ二:五)
 ですから、使徒パウロは、相続する者に、ふさわしく歩むように、勧めたのです。
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5月7日「主の約束を信じ通す」


「主の約束を信じ通す」
 「私は私の神、主に従い通しました。」(ヨシュア一四:八)
  私達の生活は、多くの約束によって、成り立っています。特に人との関係においては、互いに約束を守ることによって生活が支えられています。
 そこで求められることは、相手が約束を実行してくれることを、信じ通すことによって、自分の責任を果たす力とすることができます。ここに、疑念が入り込むと、困難に立ち向かうことはできません。
  神との関わりにおいては、さらに重要です。カレブは、主の約束を信じ通しました。四五年間、主の約束を疑わなかったのです。カデシ・バルネアにおいて、ヨシュアと共に、「主の約束を信じて、カナンに入ろう」と説得しました。それ故「彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。」(申命記一:三六)との約束をいただきました。この約束に対する彼の信仰は、四五年間の荒野の厳しい試みを支えました。そして、カナンの地に入った時、カレブは、ヨシュアに、この約束を実行してくれるように、申し入れました。
  その約束の地、ヘブロンは、以前見た時と同じ状況でした。大きな城壁のある町で、歴史のある地でした。そこを治めていたアナク人は、四メートルもあろうかと思われる巨人の子孫でした。ダビデが戦ったゴリアテもその一人だと言われています。しかし、彼らを目の前にしても、以前と同じように、主が与えて下さったことを信じて、戦い、彼らを、追い出したのです。
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4月30日 「伝道所から教会へ」



「伝道所から教会へ」
 「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者・・・・お立てになったのです。」(エペソ4:11)
  教会が産みだされるためには、神のご計画があり、その秩序があります。
 一人の子が誕生し育てられ、成人していくのに似ています。教会は、イエス・キリストの命を内に宿し、信仰によって建てあげられていきます。その過程において、主の導きに従い、教会のないところに、伝道者を派遣し、福音を伝えます。その働きの実として、信仰者が起こされ、礼拝を捧げる群れが生まれます。まだまだ、生まれたばかりの小さな群れですので、親の教会の支えと守りが必要です。
  自分の足で、力強く歩めるようになった時、親から離れ、自分の責任において、教会を建てあげていきます。その為に、必要な教会の権威を親教会よりいただき、教会を組織します。その権威とは、「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。なんでもあなたが地上でつなぐなら、それは、天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)「わたしには、天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によって、バプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らに教えなさい。」(マタイ28:19、20)
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2017年04月23日

4月23日 「いのちの水」



「いのちの水」
 「私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)
  水は、私達のいのちがたもたれるためには、どうしても必要です。しかも毎日、必要です。貯めておくことは出来ません。これから、熱中症対策のため、水を飲むように勧められています。このことを考えますと、荒野の旅していたイスラエルの民が支えられたことは、まさに奇跡です。
その為に、主は、どんなにこころを使われたことでしょう。彼らは、乾きで死んだ者は一人もいませんでした。このこたは、今の私達に何を与えようとしているのでしょう。
  イエス様が、ヤコブの井戸で、サマリヤの女性を救いに導かれた時、イエス様が与える水は、永遠のいのちへの水であり、決して乾くことがないと話されました。イエス様は民数記20章の出来事を念頭においておられたのは明らかです。
  パウロもまた、Tコリント10:4で「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについてきた御霊の岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。」と説明しました。このことから、イエス様が与える
水は、聖霊であり、聖霊はみことばによって、救われた人々に永遠のいのちへの水となるのです。そして、それは、一時的でなく、毎日わたしたちを潤してくださるのです。約束の地に入るまで与え続けてくださるのです。
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2017年04月16日

4月16日 「イエスの復活と私達」



「すなわち、アダムにあって、すべての人が死んでいるように、キリストによって、すべての人が生かされるからです。」
(Tコリント15:22)

  キリストの復活を信じることは、御霊なる神の御業によるのです。コリントの教会の人々の中に、復活を信じない人がいたのです。また、パウロが伝道したアテネでは、「死者の復活のことを聞くと、ある者たちは、あざ笑い」(使徒17:32)と記されています。また、ユダヤ人の中のサドヵイ人に属する人は、復活を信じていませんでした。(マタイ22:29)
  ですから、現在、復活を信じられない人がいても不思議なことではないのです。神の御業によらなければ受け入れられないのです。イエス様もペテロに対して、「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)と語られました。あなたは信じていますか。信じている方は、天におられる父なる神が示してくださったのです。
  イエス様の復活は、私達に勝利を与えて下さったのです。初穂として、よみがえられ、天にある祭壇に捧げられたのです。そして、キリストに属する者が、キリストの再臨のラッパが響くときよみがえるのです。そして、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るのです。
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2017年04月09日

4月9日 「上げられたへび」



「上げられたへび」
 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまたあげられなければなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14、15)

  イエス様は、ご自身が十字架にかかる意義とその力を、旧約聖書の民数記二一章の事象を引用されて、話されました。
  この記事は、アロンを失って悲しみの中にあったモーセに対して、イスラエルの民が、神とモーセに逆らって、「なぜ、あなたがたは、私達をエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私達はこのみじめな食物に飽き飽きした。」と言った。神は、燃える蛇を送られ民を裁かれました。民は、悔い改めて、蛇を取り去って下さるようにモーセに祈りの要請をしました。モーセは謙遜な人だったので、すぐ、主に祈りました。主は応えられて「あなたは、燃えるへびを造り、それを旗竿のうえにつけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる。」と語られました。さっそく、モーセはへびを造り、旗竿のうえにつけました。かまれた人でも信じて、蛇を仰ぎ見ると生きたのです。神の約束通りだったのです。
  同じように、十字架にあげられたイエス・キリストを神が送られた救い主として、信じる者は永遠のいのちを持つのです。
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4月2日 「キリストのご計画」



「キリストのご計画」
 「聖く、傷のないものとなった、栄光の教会を、ご自分の前に立たせる
ためです。」(エペソ5:27)

  主が共にいてくださる恵みを、神はイスラエルの民を通して、私たちに
 表してくださいました。その完成は、イエス・キリストを通して、教会を建てあげる事です。
 その教会の姿はどういうものでしょうか。
一、 聖なるもの(エペソ5:26) 
聖なるものとは、御言葉が隅々まで、行き届き、実現することです。
御霊の実を結んでいる姿です。
二、 キリストに従う教会のです。(エペソ5:24)
三、 まことの礼拝が捧げられている教会。(エペソ5:19)
詩と讃美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また讃美する教会。
四、 神に感謝が捧げられている教会。
五、 互いに従っている教会。
六、 主の御心がなんであるか、よくよく注意して、機会を十分生かして用いている教会。
主イエス・キリストはこのために、命を捧げて下さったのです。
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2017年03月26日

3月26日 「共に歩まれる主」



「モーセは主の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。」
(民数記13:3)
 主が共に歩まれる恵みを、旧約聖書を通して新約時代に生かされている我々に神は繰り返し繰り返し語って下さっています。神はイスラエルの民に「主が共にいる」ことを信じる信仰を訓練されたのです。
試練にあった時、旧約聖書を読みましょう。信仰の勇気が与えられるでしょう。
 エジプトを脱出したイスラエルの民は、群衆にすぎなかったのです。秩序もなく、モーセに従い、約束の地を目指していました。しかし、シナイ山で神は、ただの群衆でしかなかった民を、秩序ある主の国民として整えたのです。第一に幕屋を建てることで、主なる神を、目に見えるようにされました。
新約に生きるキリスト者のために、イエス様を与えたように、雲の柱と火の柱を与えられたのです。約束の地へ安全に到着するために、主は共に歩まれたのです。途中は、危険でいっぱいでした。行くてを阻む敵がいます。またそれを避けようとすれば、荒野が待ち受けています。水もなく、食べるものをない中を旅することは死を意味します。今までの常識では、一日も生きていることは出来ません。共に歩んで下さる主だけが頼りです。いろいろな戦いはありましたが、二年かけて、無事、約束の地の入口まで来ることが出来ました。彼らは約束の地の素晴らしさを見ました。
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2017年03月19日

3月19日 「教会の原点」



「教会の原点」
「その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。」
(出エジプト二九:四三)

 イエス様が考えておられる教会はどのような姿なのでしょうか。自分にとって教会はどれほど重要なのでしょうか。それを知るためには、さかのぼって神殿さらにイスラエルの民の形成に重要な役割をした幕屋を見ることによって理解できます。
一 救いの目的
   彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地からつれだした者であることを知るようになるため。
(出エジプト二九:四六)
二 幕屋が造られた目的
   その所で私はイスラエル人に会う。そこは、わたしの栄光によって聖とされる。
(出エジプト二九:四三)
三 幕屋を造る方法
   あなたに示すのと全く同じ様に作らなければならない。
(出二五:九)
   よく注意して、あなたが山で示される型どおりに造れ。
(出二五:四〇)
四 神と人との交わりの手段
   彼らが、わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。(出二五:八)
posted by sbbc at 13:11| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする