2016年09月26日

9月11日 「信仰の役目」

「信仰の役目」
「信仰がなくては神に喜ばれることは出来ません。」(へブル一一:六)

 先日、出かけている時、車が突然故障して、動かなくなりました。それからが大変でした。保険会社に連絡し、修理会社を捜してもらい、レッカー車で修理工場まで搬送してもらい、修理が終るまで台車を借りて家までやっとの思いで、帰ってきました。
 故障個所は、ミッションが壊れてしまったのです。ミッションはエンジンの力を車輪に伝える働きをします。その故障の為に、エンジンは動くのですが、車輪にその力が伝わらないのです。アクセルを踏んでも、エンジンが空回りするだけなのです。
  このミッションの役目は、丁度、信仰がはたす役目に似ています。イエス様の御力は、誰にも同じなのですが、ある人には、御言葉通りの御業がなされるのですが、ある人には、御言葉通りにはなりません。なにが、その違いを産むのでしょうか。そのカギが「信仰」というミッションの働きが正常に機能しているか、していないかによるのです。ミッションが機能していなければ、エンジンの力は、車輪に伝達しないように、「信仰」がなければ、イエス様の御業は行われません。
  百人隊長の僕の癒しの御業は、このことを教えています。イエス様は「あなたの信じた通りになるように」と答えました。僕はその時癒されたのです。
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9月4日 「盟約の実行」



「盟約の実行」
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ一:二二)

 先日、教会の玄関前にある、かえでの枝切をしました。夏場に伸びた枝を切ってほしいと頼まれたのです。ふたつ返事で引き受けました。が、実行するとなると二の足をふんでしまいます。台風が来るからとと言って、延ばし、昼間は暑いと言って、涼しい時にやろうとしても、朝早くするのは少々つらい等々、理由をつけては後回しになってしまいます。
 イスラエルの民は、盟約は結びました。異邦人と婚姻を結ばない。安息日には、売り買いはしない。捧げ物の規定を作って、神の宮を第一にするなどを約束したのです。しかし、実行するには、戦いがありました。
 ネヘミヤがしばらくエルサレムを留守にしているとき、民は、約束をはたさなかったのです。以前の状態にもどりました。ネヘミヤは、再び、民に、聖書から、実行する大切さを語りながら、説得しました。民は聞入れ、盟約を実行に移したのです。その行動は主に祝福されました。イエス様が来られる時まで、エルサレムは守られたのです。
  「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、ことを実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(ヤコブ一:二五)
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8月28日 「奉献式」



「奉献式」
「彼らは・・・感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行おうとした。」
(ネヘミヤ一二:二七)
  先日、船橋教会の献堂式に出席しました。会堂の完成は喜ばしいことです。
 それ以上に、その会堂を主にお捧げすることは、さらに素晴らしいことです。
  ネヘミヤをはじめイスラエルの民は、城壁再建が完成し、聖なるエルサレムの機能が整えられ、民の神への献身が告白され、新しい神を中心とした生活がいよいよ始めることが出来る所まで来ました。
  その初めに彼らは、全てを主に捧げたのです。主を第一にすることを明らかにしたのです。民は大人から子供まで、また、男子も女子も全ての人々が歌を歌いながら喜んで奉献式を行ったのです。
これは、型です。また、模型です。本物は、新しいエルサレムとして、将来、来るのです。救われている方は、この奉献式に出るのです。イスラエルの民以上に、喜びをもって祝うのです。模型はなくなりますが、本物は永遠に変わることなく、存在するのです。
「都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と一二の門があって、それらの門には一二人の御使いがおり、イスラエル子らの一二部族の名が書いてあった・・・・また都の城壁には一二の土台石だあり、それには、小羊の使徒
 の一二の名が書いてあった。」(黙示録二一:一一〜一四)
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8月21日 「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」

「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」
「この町は広々としていて、大きいかったが、そのうちの住民は少なく家もまだ十分に建てられていなかった。」(ネヘミヤ七:四)
    最近世界遺産が日本においても話題を呼んでいます。富士山、、知床など自然や、最近認められた西洋美術館など、造形物も登録されています。
  また、樹齢何百年になる樹木や巨大な石など、古くから変わらずに存在している物に畏怖の念をもつ人も少なくはないでしょう。人の心の内には、「変わらない」というところに魅力と安心をもつものがあるようです。
  聖書の神は、変わらない神です。その証しは聖書です。一旦語られた言葉は、どんなことがあろうとも変わることがありませんでした。
  ダビデが建てたエルサレム、そして、その中心にソロモン王が建てた神殿を、神は祝福されたのです。エルサレムの繁栄は主の栄光です。しかし、神を忘れて神から離れるならば、町は廃墟となったのです。
  ネヘミヤは、このことを悟りました。エルサレムの町を廃墟から建て直し
 機能をするように、整えていったのです。町のいのいちである、住民を住まわせる手配をしたのです。町の機能が回復するように、ソロモンが整えた秩序に習って、民を選んだのです。ソロモンの時代は約五〇〇年もさかのぼります。神が整えた秩序な時が過ぎても変わることはないのです。これは、これからも変わることはないのです。永遠の都は、私達が憧れ目指している都、それは新しいエルサレムなのです。
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2016年09月09日

8月14日「礼拝のために心を一つにして」ネヘミヤ10章

「礼拝のために心を一つにして」
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時がきます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ四:二三)
  
日曜学校の子供たちが、花の日に植えた朝顔が、朝日を浴びて美しい花を咲かせています。その姿は、神様を力いっぱい讃美しています。
そのためには、種を蒔き、苗を植え変え、水をやり、棚を作り、忍耐して毎日水をかけなければなりません。少しでも怠けると、花は咲くことはありません。そのためには、多くの人々の手が必要です。そして、その苦労は、美しい花が咲き誇る時、報われるのです。
  まず最初に、イスラエルの民は、礼拝のために、心を合わせて準備しました。律法から特に、一〇項目を定めて盟約を結んだのです。
@ 異邦の民と婚姻を結ばない。A安息日に買い物をしない。B七年目
に土地を休ませる。負債を取り立てない。C神の礼拝のためにシェケル3分の1をささげる。Dたきぎの捧げ物をする。E土地の初成りとあらゆる初成りとを携えてくる。F子供と家畜の初子、羊、牛の初子を祭司のところに携えてくる。G初物の麦粉と、奉納物、あらゆる木の果実、新しい葡萄酒と油を祭司のところに携えてくる。H土地の十分の一はレビ人の物とする。Iレビ人は十分の一の十分の一を神の宮に携えてくる。

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8月7日「新しい出発」ネヘミヤ9:1~

「新しい出発」
「神のみこころに添ったその悲しみがあなた方の内にどれほどの熱心を起こさせたことでしょう。」(Uコリント七:一一)
  
  「みことばは、人の内に働き、悔い改めに導きます。」
 イスラエルの民は、仮庵の祭りの中で、一週間、御言葉を読みました。長い間、忘れられていたことでした。城壁再建は終わりましたが、生活上の状況は何も変わってはいませんでした。しかし、その中で、神様との関わりを変えることができたのです。
  最初は、ネヘミヤに励まされて、主の働きに参加しました。そして、完成した時、彼らは、自ら、聖書を通して、神のみこころを理解したのです。
 それは、彼らの魂にしみこんでいったのです。今の苦難の原因を知ったのです。それは、主に犯行してきたために、主のこらしめであることを悟ったのです。そして、悔い改め、主に立ち帰ったならば、主は赦し、受け入れて下さることを知ったのです。
  「彼らは告白し、盟約を結びました。」
 イスラエルの民は、4分の1日(6時間)かけて告白しました。今までの示された全ての罪を告白しました。そして、これから主に従うことを、決心し、盟約を結んだのです。そして、行動しました。イエス様を迎える備えをしたのです。約四〇〇年経過して、救い主は来られたのです。
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7月31日「みことばに従う恵みー大いなる喜び」ネヘミヤ8:13~

「みことばに従う恵みー大いなる喜び」
「自分たちのために仮庵を作った。・・・・それは非常に大きな喜びであった。」(ネヘミヤ八:一六、一七)
  行動には必ず結果が伴います。
頭で考えているだけだったり、心で思っているだけでは、期待できる結果は生じません。食事は食べなければ力になりませんし、美味しさもわかりません。オリンピックで日の丸をあげたいと思っているだけでは、よい成績をあげることは出来ません。そのために、体を鍛え、練習に身を入れなければなりません。
信仰においても同じことです。
ここに思い違いをしている人がいます。信仰は行いではなく、心で信じていればそのようになると考えている人がいます。そうではありません。「こころで信じて、口で告白して救われるのです。」
  イスラエルの民は、律法を熱心に調べました。そして、仮庵の祭りをする
ことが神の御命令であることを知りました。彼らはすぐ行動しました。全ての民におふれを出し、仮庵を作り、そこに住んだのです。その時、民のこころになにが起こったのでしょう。大いなる喜びに満たされたのです。それは、主なる神の喜びでした。
  ペテロは、信仰の結果である、救いを得ている者には大いなる喜びがある
 と語っています。喜びは救われている結果なのです。
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7月24日 「喜びの日―大贖罪の日」ネヘミヤ8:9~12



「喜びの日―大贖罪の日」
「特にこの第七月の一〇日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。」(レビ記二三:二七)
 
  第七の月が「喜びの月」である理由
一 一年の収穫が終わった月である。
 第七の月はぶどうの収穫が終わり、葡萄酒の仕込みが終わる時です。神様に収穫の感謝をささげる時です。神様が祝福して下さったことを忘れることがないように神様に感謝を表します。私達はどうでしょうか。
二 一年の罪の赦しがなされる時です。
 イスラエルの民が主と共に過ごすためには、罪があってはなりません。気が付く罪はそのつど贖いがなされますが、気が付かない罪のため、また、表に出てこない罪など一年間の全ての罪のために、贖いがなされるのです。それによって、聖なる民として神様に受け入れられるのです。それ程に、神様は聖い方なのです。神の民の第一条件は「聖」であることなのです。
三 奴隷からの解放がなされたことを覚える「仮庵の祭り」が行われる月なのです。
 エジプトの奴隷状態から、解放され、自由の民とされ、神は主となり、イスラエルの民は神の民となったのです。そして、四〇年間にわたって、雲の柱、火の柱によって、荒野の旅を守られたのです。 
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7月17日 「あなたにとって幸せとは?」山宮先生




「あなたにとって幸せとは?」
「ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。」(ローマ書四:六)
  
  先日、義理の兄が私に、仏教では「空の空」というテーマを扱ってきたが聖書はもっと古くから「空」を悟っていたのが解った。」と感慨深く話していました。
人は、昔から今に至るまで、「幸せ」を追い求めてきました。聖書は最初の人アダム以来このテーマを扱ってきました。創造以来人の思いは変わっていないのです。どうすれば幸せになれるのでしょう。聖書に期待してこころを向けましょう。
 {山宮利忠先生のご紹介}
 ラージャス先生と共に横浜教会を開拓され、教会を六〇数年にわたって建てあげて来られました。教会を後任に託されて、現在宣教牧師として主のご奉仕をされておられます。
  横浜教会は佐倉教会の設立のため、教会の権威を頂きました。その後も
 多くの支援を頂き今日に至っています。
  神学校の教師として、献身者の指導に長くご奉仕されました。また宣教委員長として、宣教師の支援にも携わってこられました。
  そのご経験を通して、聖書から解りやすく救いについて話して下さいます
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2016年07月15日

7月10日 「聖別された日」ネヘミヤ7:72~


「聖別された日」
「第七月の第一日はあなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。」(レビ記二三:二四)
 
 一 神が民を招集される日(聖別された日)
   第七月は今の九月の終わりごろから一〇月にかけての頃になります。この時期は、秋のブドウの収穫の時期になります。収穫が終わった後に集会は開かれました。神は民と共に喜ぶために、仕事を全て休んで、日常生活から離れて、共に集まったのです。聖別とは、主が民と共に過ごすために
世から切り離されることです。それは、礼拝という形となるのです。覚えなければならないことは、この会合は主のためなのです。
 二 民は自らすすんで集まった。(一人のごとく)
   城壁再建が終わって、数日しか経っていませんでしたが、大勢の民が住んでいた町や村から、エルサレムへと集まってきたのです。工事の疲れも見せずに、喜んで、命じられることもなく、すすんで集まってきたのです
   彼らは、神殿礼拝からしばらく離されていましたが、集まることは忘れてはいなかったのです。様々な妨害によって、神殿に集まることが出来なくされていましたが、今年は違ったのです。
   主の御前に集うことは、何に於いても優先事項でした。それは、楽しいことであり、喜びでした。あなたはいかがですか
posted by sbbc at 23:19| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする