2017年11月15日

10月29日 {キリストの内住}

{キリストの内住}
 「見よ。私は戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聴いて戸を開けるなら、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私とともに食事をする。」(ヨハネ黙示録三:二〇)

 人生において、共に歩いてくれる人を持っていることは幸いです。それは家族であったり、友であったりします。一番近い者は、夫であり、妻でしょう。
 キリスト者にとっては、この全てにあてはまるのがイエス・キリスト様です。ある時は兄であり、良き友であり、良き伴侶です。ともに喜び、共に悲しんで下さり、助け、励ましてくださいます。そのキリストが私たち
の内に住んでいて下さり、決して離れないように、共に歩んで下さるところに、救いがあります。
 イエス様の側は、すでに、全ての準備は終わっておられます。いつでも私たちが心のドアを開けて

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10月22日 ※記録なし

10月22日 ※記録なし
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2017年10月28日

10月15日 「パウロ祈り」


{パウロの祈り}
 「すべてのものの名の元である父の前に祈ります。」
(エペソ三:一五)
  伝道者パウロの祈りを通して、祈りを通して、父なる神の祝福を見ましょう。パウロは祈りをする時、呼びかける神がどのような神であるかを書き記しています。そこに、神に期待するパウロの心が見えます。
 孫が、眠くなると、お母さんのところに来て、一緒に寝てくれるように必ず要求するそうです。決して父親のところには来ません。また、起きている時は、一緒に遊んでくれる父親のところに来て、相手をしてくれるよ
う要求します。自分の期待をかなえてくれる者のところに行っておねだりをします。私たちも同じなのではないでしょうか。
 パウロは、父なる神が自分の期待に必ず応えて下さる方であることを知っているのです。では、パウロが期待している神とはどんな方なのでしょう神は「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元」である。
 天上のエルサレムには、高い城壁と一二の門があって、門には一二部族の名が書いてあり、城壁には一二の土台石があり、子羊の一二使徒の名が書かれています。(黙示録二一章一二〜一四節)「家族」とは、旧約の部族
です。当時は部族の名ですべての民を数えていました。また、新約では、使徒を通して福音が伝えられ救われた者が神の家族として教会に加えられたのです。「その元」とは、その全てを創出された方なのです。

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10月8日「神の家族」

※今回は録音メッセージはありません
{神の家族}
 「あなたがたは・・今は…神の家族なのです。」(エペソ二:一九)
  
 家族の重要性は、神は昔から、人々に語ってこられました。
「しかし主は貧しい者を悩みのうちからあげて、その家族を羊のようにされた。」(詩篇一〇七:四一)(口語訳)
 主は家族単位で、祝福し導いて来られたのです。ノアの家族の救い、ヤコブの家族の救い、ピリピの監仕の家族の救いはよく知られています。
伝道者パウロは、神の祝福の基は、家族にあることを明らかに示されました。救われた人々は、「神の家族」を構成していることによって、神の祝福をうけることができる確信なのです。
 
「家族の祝福」

一 同じ命を頂いている。
この命の中に、構成される必要なものが、全てが含まれているのです。永遠のいのちは「イエスのいのち」なのです。

二 家族の大黒柱はイエス・キリストです。
 家族を守り、育ててる全ての責任はイエス様が負ってくださいます。イエス様の権威は、そのために父なる神より与えられているのです。罪に打ち勝つ力、死に打ち勝つ力、悪魔に打ち勝つ力、御霊の実をならせる力、私たちに必要なすべてのものを持っておられるのです。
posted by sbbc at 06:31| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

10月1日 「いのちのつながり」

※今回は録音メッセージはありません

{いのちのつながり}
 「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが
全うされて一つとなるためです。」(ヨハネ一七:二三)
  
 教会に来る田んぼ道に、雀の群れが飛び交っているのを見ます。家族なのでしょうか、また、親族なのでしょうか。決して一羽だけで行動はしません。互いにつながっているようです。それによって、何か益があるのでしょうか。また、災害などで、被害を受けた人々の話に、「人のつながりの大切さを実感しました。」ということを聞きます。多くの人々の助けを受けて「一人ではないのだ。」と勇気をいただきましたという声を聴きます。
 イエス様は、「一つになる。」ことの大切さを語っておられます。しかもイエス様と繋がる必要を話しています。それは、父なる神様と子なるイエス様が私達と繋がることを、求めておられのです。
 「永遠のいのち」は、イエス様と繋がることであり、永遠に決して切れることのない強い絆で結ばれているのです。つながることは、「いのち」の中に必然的に形成されているものなのでしょう。人は、そのつながりを
請いにきってしまいました。それが罪です。そのゆえに人は生きられなくなりました。イエス様はその絆をもう一度取り戻すために、世に遣わされ罪を取り除き、神様と再び繋がれるように死に蘇られたのです。


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9月24日 「神の守り」


{神の守り}
「あなたがわたしに下さっている聖名の中に彼らを保ち、また守りました。」(ヨハネ一七:一二)
  
 イエス様は、父なる神に、信じる者が悪い者から、守られるようにとりなしてくださいました。その真実の証しは、イエス様が天に昇られるまで、弟子たちを最後まで守られたことにあります。では、どの様に守られたのでしょうか。

一、 イエス様の説教を聞いた多くの人々が、イエス様から、離れて行き、共に歩まなかったのです。しかし、一二弟子は、離れなかったのです。(ヨハネ六:六六)

二、 ユダヤ人はイエス様を殺そうと、いつも機会を狙っていました。(ヨハネ七:1、19、32、八:59、一〇:31)
このことは、弟子たちにも、手が伸びることを明らかにしています。しかし、捕らえられることはありませんでした。

三、 ゲッセマネの園において、イエス様は、ご自身を追手の前に立ちはだかり、弟子たちを去らせました。

「それは『あなたが私に下さった者のうち、ただの一人も失いませんでした』とイエスが言われたことばが実現するためであった。」(ヨハネ一八:九)ヨハネはこの事を詳しく書き記しています。


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9月17日 「イエスの祝福」


{イエスの祝福}
 
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ一七:三)
  
祝福はギリシャ語で「エウーロギア」と言います。「エウ」と「ロギア」の合成語です。
「エウ」は「豊富、繁栄、良い事」という意味です。「ロギア」は、「ロゴス」の変形です。
「ロゴス」は「ことば」を意味します。すなわち祝福は、「ことばを繁栄させる」ことなのです。
イエス様が語られた「ことば」を繁栄させるのです。
同じような言葉に「エウーアンゲリオン」(福音)ということばがあります。
「アンゲリオン」は「使者、預言者」という意味です。併せると「美しい使者、良い事を伝える預言者」となります。
「祝福に満ちた神の栄光の福音・・・」(Tテモテ一:一一)にあるように
福音は神の祝福なのです。その実現のために、イエス様は神よりこの世に誓わされたのです。
その内容は「御言葉を受け入れたすべての人々に永遠のいにちを与える」ことです。
それは、「唯一のまことの神であるあなた」と「あなたの遣わされたイエス・キリスト」を受け入れることです。それを信じることによって信じた人のうちに、イエス様は、永遠のいのちを与えて下さるのです。これが、イエス様の祝福の御業なのです。信じましょう。


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2017年09月08日

9月10日 「成就」

※今週はメッセージの録音はありません。

成 就
「私のことばは、その時がくれば実現します。」(ルカ一:二〇)
「主が・・・約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した」           
(ヨシュア二一:四五)
 
posted by sbbc at 10:43| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9月3日 「祝福の基」

※今週はメッセージの録音はありません。

祝福の基
「汝は祝福の基となるべし。」(創世記一二:二)
(使徒二:二四)
 
一、私達の幸いは、主イエス・キリストの祝福によって、与えられます。
五つのパンと二匹の魚が、五千人以上の人々の食事を賄えたのはなぜでしょうか。それは、イエス様が「天を見上げて祝福を求め」たところに理由があります。必要が満たされたのは、神様の祝福の御業によるのです。

二、主の晩餐の時、イエス様は、パンと葡萄酒を渡される時、祝福されました。「それからみなが食事をしている時、イエスはパンをとり、祝福してのち、これを裂き、彼らに与えて言われた。」(マルコ一四:二二)
 祝福されることによって、パンがイエス様のからだに、葡萄酒が、イエス様の契約の血になったのです。

三、パウロが、ローマへの護送の時、船が嵐に会った時、二七六人の食事を用意したのです。
船が難破しそうになり、乗っていた人々が元気を失いつつあった時、パウロは、「あなたがたは、待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして一四日になります。ですから、私はあなたがたに食事をとることを勧めますこれであなたがたはたすかることになるのです。・・・」こう言って彼はパンを取り、一同の前で神に感謝を捧げてからそれを裂いて食べ始めた。
posted by sbbc at 10:38| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月27日 「主の弟子になろう」



「主の弟子になろう」
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
(マタイ二八:一九)
  
一、主が必要とされておられる。
「あなたがたで用意しなさい。」と主は弟子ピリポに命じました。
主は、民の必要を知っておられた。民はそこまで期待していなかったのです。
二、その働きは、驚くべき働きであった。
ピリポは、自分たちには、出来ない働きであった。「二〇〇デナリでも足りません。」と答えるしかありませんでした。二〇〇デナリとは、今のお金で約二〇〇万円ぐらいです。自分たちは、何も持っていません。
三、ずかな物を主の手に委ねる。
これには、信仰が必要です。アンデレは、一人の少年が差し出した弁当を、イエス様の所にもってきました。しかし、これでは、到底間に合いませんが、イエス様の御前に差し出したのです。その信仰の行動は、イエス様が「持って来なさい。」と言われたからです。その言葉に従ったのです。
四、その結果、驚くべき経験をしました。
十分に必要が賄えたのです。五千人以上の人々が満腹したのです。
posted by sbbc at 10:37| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする