2018年03月04日

3月4日 {主は私の保証人}



「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ一:一四) 
 
「保証人」という言葉がダビデの時代にすでにあったことは驚きです。現在の私たちの社会生活に欠かすことのできないシステムです。このことからも聖書が神の言葉であることが確信できます。
 「保証人」は様々なところで必要なシステムです。就職する時期ですが大体の会社は新しく入社する新入社員には、保証人をつけるように要求します。厳しい会社は、保証人になる人の条件を付けます。私が就職した時は、その条件に、近くに住居している人がありました。入社試験に合格しても、保証人が立てられなければ断念しなければなりません。私は、兄が横浜にいましたので助かりました。
 しかし、保証人として引き受けて頂くためには、互いの信頼が必要です。保証するからには、その人のことは、どんなことになろうとも、引き受けますという覚悟が必要です。イエス様は、私たちの保証人として、引き受てくださったのです。それは、どんなことになろうとも、わたしが、すべてを負います、と父なる神に誓われたのです。その最初に、私たちが神に受け入れられ、神の国に入れるために、罪によってけがれた私たちを、血によって清めるために、十字架についてくださったのです。そして、よみがえり永遠に生きて私たちの為に、天国への道を整えてくださったのです。
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2月25日 {みことばは私の足のともしび}



{みことばは私の足のともしび}
 「私は世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく
いのちの光を持つのです。」(ヨハネ八:一二) 
 
 「ともしび」は、暗闇の道を歩くとき、自分の足もとを照らす道具です。わたしは田舎育ちですので、今でも思い出しますが、幼いころ手伝いで、ごま油を家で収穫したごまと交換するために、懐中電灯で照らしながら暗い夜道を歩いて、遠い店までいかなければなりませんでした。
とても怖い思いをしたものです。
 「灯」は、自分の足元を照らします。そんなに広い場所を明るくはしないのです。他の人の持っている灯で、自分の足元を明るくすることはできません。使徒ヨハネは、このことをよく知っていました。イエス様こそ「私の足のともしび」であったのです。ですからイエス様を前にして、その後に離れないようにピッタリとくっついて歩いていけばよいと書きました。
イスラエルの民が約束の地を目指して旅をしているとき、幕屋の上には輝く火の柱があったのです。暗い夜でも歩くことができるように、四〇年間、毎日光輝いていたのです。今は、神の国を目指しているキリスト者のために、イエス様を同じように、決して消える事のない光を私たちのために、照り輝かして導いておられるのです。
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2月18日 {天使ガブリエルの告知}



 「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされてガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。」(ルカ一:二六)
 
 全世界の滅亡からの救いの準備が整い、いよいよ最後の行動が開始されました。天使ガブリエルが、マリヤのところに遣わされたのです。ガブリエルは、約五五〇年前に、終わりの日の事を伝えるために、ダニエルに遣わされました。(ダニエル八:一五〜) その同じガブリエルが、主の使者として、救い主イエス・キリストの母となるマリヤのところに来たのです。
 「おめでとう。恵まれた方。主があなたと、ともにおられます。・・・・御覧なさい。あなたは身ごもって男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子は優れた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また
神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家をおさめ、その国は終わることはありません。」(ルカ一:二八〜三三)
 マリヤは、主イエス・キリストの誕生の一部始終を知っている人です。ガブリエルの告知から、誕生、十字架、復活まで、すべてを目撃した唯一の方です。その方が証をしているのです。「この人たちは、婦人たちや
エスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みなこころを合わせ祈りに専念していた。」(使徒一:一四)
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2月11日 {神の家族として主の御前に出る}



「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いによろこばせてくださったからである。女も子供もも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」(ネヘミヤ一二:四三) 

 ネヘミヤ記のこの記事は、破壊されていたエルサレムの町がネヘミヤの指導のもと、城壁が再建され、神殿を中心とした民の生活が整えられた時、城壁の奉献式の様子を記録したものです。すべてのイスラエルの民が、参加し、祭司、聖歌隊、指導者などが城壁の上に立ち、その中央に民が一同に集まり、聖歌隊の歌に合わせて、賛美をささげたのです。
  ネヘミヤは、その中に、「女も子供も喜び歌った」と書き記したのです。これが、主の喜ばれる礼拝です。「神が彼らを大いに喜ばせてくださった。」のです。民として、神の家族として、全員で主を礼拝したのです。
 全ての者が、理解し、ささげ、喜び歌ったのです。新約において、イエス様の周りには、成人はもとより、子供や社会から締め出されていた人々など、神を求めて集まってきた人々が大勢いたのです。律法学者や祭司たちは、子供たちが「ダビデの子にホサナ」と賛美している姿に腹をたてたのです。その人たちに「あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。」(マタイ二一:一六)と旧約聖書を引用し戒められたのです。
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2月4日 {み言葉の通りに}

「あなたの御口のおしえは、私にとって、幾千の金銀にまさるものです。」
                        (詩篇一一九:七二) 
  
  主のみこころはわたしたちを生かすことです。(七七節)
 会堂にポトスを飾っていました。気がついた方はおりますか。二週間前から、一鉢がなくなっています。雪がふり寒さのため、根が傷ついてしまいました。残念ながら、回復しません。ポトスは寒さに弱いのです。美しく生かし続けるには、正しい知識と注意深さとこまめに行動しなければなり
ません。
 人を生かし続けるには、どれほどの知識と細やかな心使いが必要でしょうか。神は、そのためにみ言葉を私たちに託しました。ダビデは、それを信仰によって知っていました。ですから「幾千の金銀に勝るものです。」と告白しました。確かに、金銀はいくらかは人を生かすために必要でしょう。しかし、私たちの全てに対応はできません。
 ダビデは、高ぶる者の偽りから身を守り、その策略に惑わされないように、主のみ言葉を待ち望みました。また、迷い出たとき、苦しみと悩みを通して、主の道に引き戻されたのです。そこに、羊飼いの諭す杖を見たのです。そこにダビデは、暖かい神の心を信仰によって悟ったのです。
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2018年01月29日

1月28日 {主の約束}

※今回は録音音声はありません。

「どうか、しもべへのみことばを思い出してください。あなたは、私がそ
れを待ち望むようになさいました。」       (詩篇一一九:四九)
 
 主を信じることは、主の約束を信じることです。主の約束は、み言葉を通して、私たちに告げられました。それが、今は聖書として編集されました。これ以外に、主の約束はありません。ダビデは、その約束を待ち望むように主に導かれました。

  その約束とは「わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主は、あなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を建てる。』あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとにお越し、彼の王国を確立させる。・・・・あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも堅く立つ。」(Uサムエル七:一一〜一六)
 
ダビデは、どんな危険な時でもこの主の約束を信じて、主に従いました。それは、「油そそがれた者に手をかけない。」ことでした。そのために、彼は、長く逃亡生活をしたのです。最後には、敵であったペリシテ人の中に身を置かなければなりませんでした。当然命の保証はどこにもありません。その保証は、主からの約束だけでした。彼は、それをしんじたのです。「主は守ってくださる。」と。主は約束を果たしてくださいました。
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2018年01月26日

1月21日 {おきての道}


「私はあなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。」(詩篇一一九:四七)
 
詩篇の記者ダビデは、聖書を「おきての道」(三三節)、「仰せの道」(三五節)、「あなたの道」(三七節)、「あなたの義」(四〇節)、「あなたのみ教え」(三四節)と表現しています。これは律法の内容を必要に応じて語ったものです。「おきて」とは、国を治める法律、「仰せ」と「あなた」道は、個人の歩み方であり、「義」とは、神の公平さであり、どのような人々にも例外なく、適用され、命ある者が豊かに生かされていくものであることが述べられています。すなわち、私たちが十分に豊かに生かされていくために必要な全てが啓示されているのが聖書なのです。
 ダビデはこの聖書を「教えられ」「悟ることができるように」「踏みゆきましょう」と告白したのでしょう。それは、自分がいかに弱いか、迷いやすい者であるか」「何も知らない者であるか」を知っていたのです。ですから、ひたすらに主のみ声にすがったのです。子であるソロモンが、神に第一に求めたことは「知恵を与えてください」と願ったのは、父ダビデの姿を見ていたからでしょう。
 そして、その道が、最後のなくならない報いであり、その道が楽しい道であり、喜びの道であることを体験的知っていたのです。

posted by sbbc at 14:39| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

1月14日 みことばは私を生かします

「私があなたのことばを守るようにしてください。」
(詩篇一一九:一七)
 
 この願いは、詩篇随一の一大長編の中に、波のように何度もくりかえしてあげられています。同様にあなたの長い人生においても、この祈願のしげくあらんことを。真のおきて、天的な知恵は、ただ最も偉大なる教師より聞きうるのです。あのべタ二ヤ村のマリヤが、主のみくちから出る知恵をむさぼり聞いたように、私たちもそのひざ元で耳を傾けましょう。何をするにも-―そうです。飲むにも食べるにも、むだなく真の第一義的な生活を生きるために、聖なる神の御前にただしく生きるために、自分の知恵や人の思想によることなく、神のおきてこそ求めましょう。
 「競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。」(Uテモテ二:5)懸命な熱心さも、ただ自己流の熱心であったとしたら、かえって神の義にしたがわないことになってしまうのです。
 おりにふれ、時にかなって、神のおきてを求め、学びつつ、いつしか、それが生活のリズムとなり、旅路の歌となるまでに。
(今日の力より)
posted by sbbc at 07:16| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聖歌コンサート

横浜で聖歌コンサートが開かれました。佐倉も参加し、主を賛美しました。
よく準備され、時間も計画通りに運びました。他の教会の賛美も聞き、恵まれたひと時をすごしました。
指導、準備をしてくださった野崎姉に感謝いたします。DVDを注文しましたので、後で聞くことができるでしょう。
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posted by sbbc at 07:14| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年1月7日 主の道を歩もう



 「私はあなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。」
(詩篇一一九:一六)
 
 一月五日の読売新聞に、平成時代の特集が掲載されていました。「価値観ぐらり、幸せって何ですか。」という表題が書かれていました。「平成は豊かな昭和を引き継いで始まった。モノが足りない時代は過去となり、平成を通して多くの人々の暮らしに満足感を示してきた。一方で低迷する経済は貧困、格差の問題を浮かびあがらせた。結婚をためらう若者も増えている。昭和の人生モデルは揺らぎ、将来を見通せない不安が募る。ポスト平成はどういう時代になるのだろう。」とコメントしています。
 多様性時代といわれ、それを歓迎してきた平成時代であったが、ここにきて、幸いな人生はなんであるのか、だれも示してくれない時代であり、自分で探さなければならない時代であったのですが、はたして、その答えは見つかったのでしょうか。
 聖書は、どのような時代であっても、変わらない「幸いな道」を人々に示しています。神は唯一であり、変わることのない方です。神が最も愛しておられる人々が、幸いな歩みをしてほしいと願うことは、当然のことではないでしょうか。その方が用意してくださった「主の道」を歩むことがどの時代においても幸いなのです。
posted by sbbc at 07:11| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする