2017年01月08日

10月9日 「あわれみ深い主」

「あわれみ深い主」
「わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない。」(マタイ九:一三)
  
 神は旧約の時代から、「あわれみ深い神」として、イスラエルの民に語ってこられました。
「その愛とあわれみによって、彼らをあがない、昔からずっと、彼らを背おい、抱いてこられた。」(イザヤ六三:九) 
「神よ、御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私の罪をぬぐいさって下さい。」(詩篇五一:一)
 イスラエルの民は、主の憐みによって、神の民とされたのです。そして、律法が与えられ、幕屋が建てられ、祭壇が設けられたのは、民の罪をあがない、神と共に歩むためでした。神は罪人を退けたのでなく、常に招いておられたのです。
しかし、民は、時間の経過とともに、犠牲を捧げることが主に喜ばれることであると考えるようになってしまったのです。その民に向かって、神は預言者を通してみこころを告げられました。「主はなにをあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ六:八)また、イエス様も「律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。」(マタイ二三:二三)と語っておられます。
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10月2日 「継続する信仰」



「継続する信仰」
「あなたがたのために絶えず祈っている。」(Uテサロニケ一:一一)
 神が私達に与えて下さった信仰は継続する信仰です。イエス様を救い主と信じたならば、常に信じ続けることが要求されます。そして、語られたことは、必ず実現すると信じ、神に従うことを求められます。
会堂司ヤイロはこの信仰によって、大きな恵みを主イエスから頂きました。
@ ヤイロは勇気をもって、イエスの御前で自分を低くした。
大勢見ている前で、イエスの御前で、ひれ伏してお願いしました。会堂司の手前、大勢の人々に知られていました。
「会堂司」は、町々に礼拝する場所であり、普段は学校としての役目をになっていました。ヤイロはそこの管理者でした。
A ヤイロは熱心に願った。
娘が死にかけていました。
B ヤイロは、イエス様は救い主であると信じていました。たとえ死んでも生かして下さる方であると信じていたのです。
C 途中、失望することがあっても、イエスに励まされて、信じ続けたのです。
大勢の人に囲まれて、早く進むことが出来なかった。その上、長血を患った女性の癒しのために、手をくれになったのです。しかし、イエスに対する信仰はなくならなかったのです。
D その結果、イエスの御業によって、娘は生き返ったのです。
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2016年09月26日

9月25日 「罪赦される信仰」



「罪赦される信仰」
「主のみ名を呼び求める者は、だれであっても救われる。のです。」
(ローマ一〇:一三)

  罪が赦された中風の男性の信仰はどんなものだったのでしょう。
一、 熱心に求める信仰。
 彼は動くことができません。そこで、同じ信仰をもっている仲間に手伝っていただき、寝ているままの姿で、イエス様のところに運んでもらいました。
二、 障害を乗り越える信仰
 イエス様には、大勢の人々が取り巻いて近づくことができません。そこでかれらは、諦めないで、屋根からロープを使って、つりおろしました。
三、 罪を認める信仰
 イエス様は彼らの信仰を見られて「あなたの罪は赦されている。」と告げられた。彼らは神の御前で罪を認め、その赦しを願っていました。すなわちイエス様を神の子として信じ、救って下さる方である信仰をもって御前にでました。
四、 信仰が正しいものであることを、体の癒しによって証明された。
 パリサイ人や律法学者は、イエス様を罪を赦す権威は持っておられないと考えていました。これまででも、同じ中風の人をイエス様は癒しておられたことは、パリサイ人は知っていましたが、信仰がなかったのです。
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9月18日 「共におられる神」

「共におられる神」
「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共にいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア一:五)
「恐れ」は私達の生活に大きな影響を与えます。先日、相模市の障害者施設で殺傷事件があり、社会に多大な不安を与えました。それは、「恐れ」となって生活に支障が出始めています。恐れから解放されるにはどうすればよいのでしょう。信仰に回答があります。
 ある時、イエス様は弟子の信仰のないことを指摘されました。船でガリラヤ湖を渡ろうとした時、強い風と波に襲われ、船が沈みそうになりました。弟子のペテロさんたちは、恐れに支配され、「主よ、助けください。私達は溺れそうです。」と、叫びました。恐れている弟子にしてイエス様は「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちだ。」と叱りました。この時、イエス様はどんな信仰を求めたのでしょう。
 旧約聖書のヨシュアの記事が参考になるでしょう。冒頭の聖句にあるように、恐れに支配されていたヨシュアを、主なる神は励ましました。その根拠に、「あなたと共にいる。」と語られたのです。ヨシュアは、そのみことば信じて、勇敢に立ち上がったのです。
 イエス様は同じ信仰に立つことをペテロさんに、求めたのです。それが恐れから解放される唯一の手段です。彼らは、復活の主にお会いした時から、この信仰に立って、勇敢に戦ったのです。
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9月11日 「信仰の役目」

「信仰の役目」
「信仰がなくては神に喜ばれることは出来ません。」(へブル一一:六)

 先日、出かけている時、車が突然故障して、動かなくなりました。それからが大変でした。保険会社に連絡し、修理会社を捜してもらい、レッカー車で修理工場まで搬送してもらい、修理が終るまで台車を借りて家までやっとの思いで、帰ってきました。
 故障個所は、ミッションが壊れてしまったのです。ミッションはエンジンの力を車輪に伝える働きをします。その故障の為に、エンジンは動くのですが、車輪にその力が伝わらないのです。アクセルを踏んでも、エンジンが空回りするだけなのです。
  このミッションの役目は、丁度、信仰がはたす役目に似ています。イエス様の御力は、誰にも同じなのですが、ある人には、御言葉通りの御業がなされるのですが、ある人には、御言葉通りにはなりません。なにが、その違いを産むのでしょうか。そのカギが「信仰」というミッションの働きが正常に機能しているか、していないかによるのです。ミッションが機能していなければ、エンジンの力は、車輪に伝達しないように、「信仰」がなければ、イエス様の御業は行われません。
  百人隊長の僕の癒しの御業は、このことを教えています。イエス様は「あなたの信じた通りになるように」と答えました。僕はその時癒されたのです。
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9月4日 「盟約の実行」



「盟約の実行」
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ一:二二)

 先日、教会の玄関前にある、かえでの枝切をしました。夏場に伸びた枝を切ってほしいと頼まれたのです。ふたつ返事で引き受けました。が、実行するとなると二の足をふんでしまいます。台風が来るからとと言って、延ばし、昼間は暑いと言って、涼しい時にやろうとしても、朝早くするのは少々つらい等々、理由をつけては後回しになってしまいます。
 イスラエルの民は、盟約は結びました。異邦人と婚姻を結ばない。安息日には、売り買いはしない。捧げ物の規定を作って、神の宮を第一にするなどを約束したのです。しかし、実行するには、戦いがありました。
 ネヘミヤがしばらくエルサレムを留守にしているとき、民は、約束をはたさなかったのです。以前の状態にもどりました。ネヘミヤは、再び、民に、聖書から、実行する大切さを語りながら、説得しました。民は聞入れ、盟約を実行に移したのです。その行動は主に祝福されました。イエス様が来られる時まで、エルサレムは守られたのです。
  「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、ことを実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(ヤコブ一:二五)
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8月28日 「奉献式」



「奉献式」
「彼らは・・・感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行おうとした。」
(ネヘミヤ一二:二七)
  先日、船橋教会の献堂式に出席しました。会堂の完成は喜ばしいことです。
 それ以上に、その会堂を主にお捧げすることは、さらに素晴らしいことです。
  ネヘミヤをはじめイスラエルの民は、城壁再建が完成し、聖なるエルサレムの機能が整えられ、民の神への献身が告白され、新しい神を中心とした生活がいよいよ始めることが出来る所まで来ました。
  その初めに彼らは、全てを主に捧げたのです。主を第一にすることを明らかにしたのです。民は大人から子供まで、また、男子も女子も全ての人々が歌を歌いながら喜んで奉献式を行ったのです。
これは、型です。また、模型です。本物は、新しいエルサレムとして、将来、来るのです。救われている方は、この奉献式に出るのです。イスラエルの民以上に、喜びをもって祝うのです。模型はなくなりますが、本物は永遠に変わることなく、存在するのです。
「都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と一二の門があって、それらの門には一二人の御使いがおり、イスラエル子らの一二部族の名が書いてあった・・・・また都の城壁には一二の土台石だあり、それには、小羊の使徒
 の一二の名が書いてあった。」(黙示録二一:一一〜一四)
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8月21日 「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」

「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」
「この町は広々としていて、大きいかったが、そのうちの住民は少なく家もまだ十分に建てられていなかった。」(ネヘミヤ七:四)
    最近世界遺産が日本においても話題を呼んでいます。富士山、、知床など自然や、最近認められた西洋美術館など、造形物も登録されています。
  また、樹齢何百年になる樹木や巨大な石など、古くから変わらずに存在している物に畏怖の念をもつ人も少なくはないでしょう。人の心の内には、「変わらない」というところに魅力と安心をもつものがあるようです。
  聖書の神は、変わらない神です。その証しは聖書です。一旦語られた言葉は、どんなことがあろうとも変わることがありませんでした。
  ダビデが建てたエルサレム、そして、その中心にソロモン王が建てた神殿を、神は祝福されたのです。エルサレムの繁栄は主の栄光です。しかし、神を忘れて神から離れるならば、町は廃墟となったのです。
  ネヘミヤは、このことを悟りました。エルサレムの町を廃墟から建て直し
 機能をするように、整えていったのです。町のいのいちである、住民を住まわせる手配をしたのです。町の機能が回復するように、ソロモンが整えた秩序に習って、民を選んだのです。ソロモンの時代は約五〇〇年もさかのぼります。神が整えた秩序な時が過ぎても変わることはないのです。これは、これからも変わることはないのです。永遠の都は、私達が憧れ目指している都、それは新しいエルサレムなのです。
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2016年09月09日

8月14日「礼拝のために心を一つにして」ネヘミヤ10章

「礼拝のために心を一つにして」
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時がきます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ四:二三)
  
日曜学校の子供たちが、花の日に植えた朝顔が、朝日を浴びて美しい花を咲かせています。その姿は、神様を力いっぱい讃美しています。
そのためには、種を蒔き、苗を植え変え、水をやり、棚を作り、忍耐して毎日水をかけなければなりません。少しでも怠けると、花は咲くことはありません。そのためには、多くの人々の手が必要です。そして、その苦労は、美しい花が咲き誇る時、報われるのです。
  まず最初に、イスラエルの民は、礼拝のために、心を合わせて準備しました。律法から特に、一〇項目を定めて盟約を結んだのです。
@ 異邦の民と婚姻を結ばない。A安息日に買い物をしない。B七年目
に土地を休ませる。負債を取り立てない。C神の礼拝のためにシェケル3分の1をささげる。Dたきぎの捧げ物をする。E土地の初成りとあらゆる初成りとを携えてくる。F子供と家畜の初子、羊、牛の初子を祭司のところに携えてくる。G初物の麦粉と、奉納物、あらゆる木の果実、新しい葡萄酒と油を祭司のところに携えてくる。H土地の十分の一はレビ人の物とする。Iレビ人は十分の一の十分の一を神の宮に携えてくる。

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8月7日「新しい出発」ネヘミヤ9:1~

「新しい出発」
「神のみこころに添ったその悲しみがあなた方の内にどれほどの熱心を起こさせたことでしょう。」(Uコリント七:一一)
  
  「みことばは、人の内に働き、悔い改めに導きます。」
 イスラエルの民は、仮庵の祭りの中で、一週間、御言葉を読みました。長い間、忘れられていたことでした。城壁再建は終わりましたが、生活上の状況は何も変わってはいませんでした。しかし、その中で、神様との関わりを変えることができたのです。
  最初は、ネヘミヤに励まされて、主の働きに参加しました。そして、完成した時、彼らは、自ら、聖書を通して、神のみこころを理解したのです。
 それは、彼らの魂にしみこんでいったのです。今の苦難の原因を知ったのです。それは、主に犯行してきたために、主のこらしめであることを悟ったのです。そして、悔い改め、主に立ち帰ったならば、主は赦し、受け入れて下さることを知ったのです。
  「彼らは告白し、盟約を結びました。」
 イスラエルの民は、4分の1日(6時間)かけて告白しました。今までの示された全ての罪を告白しました。そして、これから主に従うことを、決心し、盟約を結んだのです。そして、行動しました。イエス様を迎える備えをしたのです。約四〇〇年経過して、救い主は来られたのです。
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7月31日「みことばに従う恵みー大いなる喜び」ネヘミヤ8:13~

「みことばに従う恵みー大いなる喜び」
「自分たちのために仮庵を作った。・・・・それは非常に大きな喜びであった。」(ネヘミヤ八:一六、一七)
  行動には必ず結果が伴います。
頭で考えているだけだったり、心で思っているだけでは、期待できる結果は生じません。食事は食べなければ力になりませんし、美味しさもわかりません。オリンピックで日の丸をあげたいと思っているだけでは、よい成績をあげることは出来ません。そのために、体を鍛え、練習に身を入れなければなりません。
信仰においても同じことです。
ここに思い違いをしている人がいます。信仰は行いではなく、心で信じていればそのようになると考えている人がいます。そうではありません。「こころで信じて、口で告白して救われるのです。」
  イスラエルの民は、律法を熱心に調べました。そして、仮庵の祭りをする
ことが神の御命令であることを知りました。彼らはすぐ行動しました。全ての民におふれを出し、仮庵を作り、そこに住んだのです。その時、民のこころになにが起こったのでしょう。大いなる喜びに満たされたのです。それは、主なる神の喜びでした。
  ペテロは、信仰の結果である、救いを得ている者には大いなる喜びがある
 と語っています。喜びは救われている結果なのです。
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7月24日 「喜びの日―大贖罪の日」ネヘミヤ8:9~12



「喜びの日―大贖罪の日」
「特にこの第七月の一〇日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。」(レビ記二三:二七)
 
  第七の月が「喜びの月」である理由
一 一年の収穫が終わった月である。
 第七の月はぶどうの収穫が終わり、葡萄酒の仕込みが終わる時です。神様に収穫の感謝をささげる時です。神様が祝福して下さったことを忘れることがないように神様に感謝を表します。私達はどうでしょうか。
二 一年の罪の赦しがなされる時です。
 イスラエルの民が主と共に過ごすためには、罪があってはなりません。気が付く罪はそのつど贖いがなされますが、気が付かない罪のため、また、表に出てこない罪など一年間の全ての罪のために、贖いがなされるのです。それによって、聖なる民として神様に受け入れられるのです。それ程に、神様は聖い方なのです。神の民の第一条件は「聖」であることなのです。
三 奴隷からの解放がなされたことを覚える「仮庵の祭り」が行われる月なのです。
 エジプトの奴隷状態から、解放され、自由の民とされ、神は主となり、イスラエルの民は神の民となったのです。そして、四〇年間にわたって、雲の柱、火の柱によって、荒野の旅を守られたのです。 
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7月17日 「あなたにとって幸せとは?」山宮先生




「あなたにとって幸せとは?」
「ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。」(ローマ書四:六)
  
  先日、義理の兄が私に、仏教では「空の空」というテーマを扱ってきたが聖書はもっと古くから「空」を悟っていたのが解った。」と感慨深く話していました。
人は、昔から今に至るまで、「幸せ」を追い求めてきました。聖書は最初の人アダム以来このテーマを扱ってきました。創造以来人の思いは変わっていないのです。どうすれば幸せになれるのでしょう。聖書に期待してこころを向けましょう。
 {山宮利忠先生のご紹介}
 ラージャス先生と共に横浜教会を開拓され、教会を六〇数年にわたって建てあげて来られました。教会を後任に託されて、現在宣教牧師として主のご奉仕をされておられます。
  横浜教会は佐倉教会の設立のため、教会の権威を頂きました。その後も
 多くの支援を頂き今日に至っています。
  神学校の教師として、献身者の指導に長くご奉仕されました。また宣教委員長として、宣教師の支援にも携わってこられました。
  そのご経験を通して、聖書から解りやすく救いについて話して下さいます
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2016年07月15日

7月10日 「聖別された日」ネヘミヤ7:72~


「聖別された日」
「第七月の第一日はあなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。」(レビ記二三:二四)
 
 一 神が民を招集される日(聖別された日)
   第七月は今の九月の終わりごろから一〇月にかけての頃になります。この時期は、秋のブドウの収穫の時期になります。収穫が終わった後に集会は開かれました。神は民と共に喜ぶために、仕事を全て休んで、日常生活から離れて、共に集まったのです。聖別とは、主が民と共に過ごすために
世から切り離されることです。それは、礼拝という形となるのです。覚えなければならないことは、この会合は主のためなのです。
 二 民は自らすすんで集まった。(一人のごとく)
   城壁再建が終わって、数日しか経っていませんでしたが、大勢の民が住んでいた町や村から、エルサレムへと集まってきたのです。工事の疲れも見せずに、喜んで、命じられることもなく、すすんで集まってきたのです
   彼らは、神殿礼拝からしばらく離されていましたが、集まることは忘れてはいなかったのです。様々な妨害によって、神殿に集まることが出来なくされていましたが、今年は違ったのです。
   主の御前に集うことは、何に於いても優先事項でした。それは、楽しいことであり、喜びでした。あなたはいかがですか
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7月3日 「いのちのつながり」ネヘミヤ7:5~7



いのちのつながり」
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神のこどもです。・・・もし、子供であるなら、相続人でもあります。」(ローマ八:一四)
 
{系図の意義}
 一 「いのち」は連続性があることを表しています。
それ故に、良い点、悪い点があります。私達の顔、体形、性格、声などは、子は親に似ていることは認めるところです。孫を写真で見る時、「かわいいな。目は誰ににているかな、顔かたちは・・・」と際限なく会話が続きます。それは楽しいことです。いにちのつながりは人に幸いな思いを与えます。
 二 相続権が認められています。
  血のつながりがあるという理由だけで、親、兄弟肉親の財産を受け継ぐ
 権利を持つのです。イスラエルの民はアブラハムの子孫ということで、その神との契約の全てを受け継ぐことができるのです。その後、罪によって、国を失ってしまいますが、悔い改めるならば、再び受け継ぐことができたのです。ネヘミヤはその神との契約によって、ユダヤを建て直したのです。
  イエス様はダビデの血を受け継ぐものとして、神とダビデとの間で結ばれた契約の相続人としてお生まれになられたのです。
 三 キリスト者はイエス様を蘇らせた御霊によって生まれたのです。
  神によって生まれたことが変わることがない、救いの土台なのです。
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6月26日 特別福音集会 丸山一郎先生





「あなたにとって幸せとは?」
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものです。」
(マタイ五:三)
  少し前「世界で最も貧しい大統領」で話題になった方が、日本を訪ねました。テレビで報道もされ、各地で公演もされました。この方が日本の青年に「あなたにとって幸せとはなんですか。」と、問いかけられたのです。多くの人が答えに窮したのです。なぜ、この人の声に多くの人が耳を傾けられるのでしょうか。それは、本のタイトルに見るように、その生き方とその表情です。その生き方とは「物の豊かさではなく、人のこころにこそ幸せを持つ」と。幸せは、全ての人が求めています。しかし、飢え乾いています。
  聖書にも、幸いについて教えています。本日は、豊かな主のお働きをしてこられた、丸山先生から聖書の解き明かしていただきます。
 {丸山一郎先生のご紹介}
 一九三二年東京にお生まれになりました。東京大空襲、疎開を経験されました。中学二年の時、「カム、カム英語」のラジオ放送を聞かれて、人生の転機を迎えられました。その後、英語を習得のため研鑽され、信仰へと導かれ、献身へと導かれました。東京教会よりBBFの神学校に入学されました。その後、アメリカにあるボブ・ジョンズ大学へ留学され、帰国後、習志野教会を開拓され、牧師として主のお働きをしてこられました。その間、船橋教会の開拓、当時アメリカの統治にあった沖縄に宣教師として齋藤先生を派遣。
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2016年06月22日

6月19日 「エルサレムの目的」



「どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。
その時、あなたは、全焼のいけにえと全焼の捧げ物との義のいけにえを喜ばれるでしょう。
その時、雄の子牛があなたの祭壇にささげられましょう。」
(詩篇五一:一八,一九)
  城壁再建が完成した時、ネヘミヤがまず行ったことは、
一、 門衛と歌うたいと、レビ人を任命した。
敵の手に落ちていたエルサレムの町を、ユダヤの人々は取り戻し、本来の町の機能を回復したのです。まず、礼拝の働きを回復したのです。
(U歴代三五:一五)
二、 エルサレムを治める者を立てた。
町の監督者として、ハナ二とハナヌヤが選ばれた。その理由は@誠実な人であった。A多くの人にまさって神を恐れる者であった。この二つだけでした。
 私達キリスト者は、自分自身の統治者として、イエス様をお迎えしました。又、教会を導く者として、牧者をたてます。この働きには同じ霊的資質が求められます。そして、キリスト者自身も同じものをもとめられるのです。(Tペテロ二:九)
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6月12日「まとわりつく罪」



「いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私達の前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(へブル一二:一)
  エルサレムの城壁は、ネヘミヤと、共に働いたイスラエルの民の信仰による働きによって、五二日間で完成しました。これは、誰でも認める神の御業でした。神の御業を人は奇跡と言います。工事を妨害した敵共も奇跡を見ました。
  しかし、敵は退散したのではありません。外からの攻撃は勝利しましたが内からの攻撃をくわえてきたのです。トビヤやサンバラテは、ネヘミヤより長くイスラエルの民の中に根を下ろして来ました。仕事上の契約や祭司や大祭司との婚姻関係を結ぶことによって、民を治める地位を得ていたのです。
 これが、ネヘミヤにとって厄介でした。これに勝利するまでに、十数年かかったのです。ネヘミヤ記の最後の章一三章の記事はこの勝利で完結しているのです。
  また、この困難さは、ネヘミヤの前に手を付けた律法学者エズラがどうにもならない問題として、彼の前に立ちはだかったことを見れば理解出来ます。この解決の為に、ネヘミヤの登場を待たなければなりませんでした。その間、一三年の歳月が流れました。
  私達キリスト者にとって、この戦いは、血を流すほどの戦いだとパウロは語り、イエス様の十字架を指し示しています。
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2016年06月09日

6月5日 「世の光として輝く」



「曲がった、邪悪な世代の中にあって、
傷のない神の子供となり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」(ピリピ二:N、O)
  ネヘミヤは、邪悪な敵に攻撃される中、主に祈りながら、城壁の再建をやり遂げました。妨害した敵共だけでなく、工事に参加しなかった傍観者も、この工事が神の御業であることを見て、神とネヘミヤを畏れたのです。
  畏れた理由は、@長い間、荒廃し誰も手を付けようとはしなかった難工事であった。A工事に携わった人は、祭司、金細工人、若い人、女、商人など普通の人々だった。B全ての策略を見破って工事を継続させた。Cわずか五二日間で終えた。ソロモン王は全ての宮殿建設に一三年かけた。ゼルバベルは神殿再建に四年費やした。それから考えると、城壁再建は驚異的なスピードでした。まさに神の奇跡でした。不可能と思われていた事をネヘミヤは成し遂げたのです。
  「完成」は主の御心です。ネヘミヤは、最初から、最後まで、主に祈り信仰によって、エルサレム再建は主の御こころと確信し、一人で立ち上がったのです。そして、完成することによって、邪悪の人々の間で、世の光として輝いたのです。全ての人が神の御前に膝をかがめ、神の栄光を拝するのです。
  キリスト者の完成は何でしょうか。世の光として輝くことなのでしょう
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2016年06月02日

5月29日 「救い」



「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることがない、神のことばによるのです。」(Tペテロ一:二三)

  朝顔の種を一週間ぐらい前に蒔きました。昨日見ましたら、小さな葉を元気よく土を突き破って地上に出てきました。昨年、花が終わり、種を取り一年間箱に入れて保管していました。その時は芽をだすことはありませんでした。しかし、土の中に植えつけ、水をやっていると、一週間たらずで、芽をだしてきます。小さな朝顔の種のどこに、芽を出す時期をみる力があるのでしょう。私は改めてその不思議さを感じます。神様の知恵は量り知れないほどに深いのです。
  御言葉は種に譬えられています。御言葉のどこに、永遠のいのちを、人に与える力があるのでしょうか。使徒ペテロは、御言葉の中に永遠のいのちがあると伝えました。それは、不思議な事です。しかし、朝顔の種が、土の中に蒔かれると、命の活動を開始するのと同じように、御言葉をこころから信じ受け入れるならば、その人の中で永遠のいのちが活動を始めるのです。これは、神の不思議な御業です。
  これは、信じて受け入れることによって、また、従うことによって、新しい命は私達を育てるのです。主の語られた御言葉を信じましょう。
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2016年05月30日

5月22日 「主の御言葉を見極める」



「私のような者で、だれが本堂に入って生きながらえようか。
私は入っていかない。。」(ネヘミヤ六:一一)
神は御言葉を通して、導かれます。御言葉は不変です。
  ネヘミヤは、預言者のことばが、神からでたものではないことを見破ったのです。どうして、出来たのでしょうか。それは、知っていた御言葉と言われたことばがちがっていたからです。
  預言者シェマヤは、有力な預言者でした。二代まえから呼ばれているところから家柄がわかります。預言者イザヤのように名の通った家柄だったのです。ネヘミヤは、シェマヤに助けを求めに家を訪ねたのでしょう。以前、ヒゼキヤ王が、アッスリアに攻められた時、預言者イザヤに祈りの要請をしました。(U列王一九:三,、四)。しかし、シェマヤは会わずに、伝言で「主の
 宮で会おう」と伝えたのです。その理由は「敵が夜、あなたを殺しに来るから」と言うのです。
  ネヘミヤは、これは、陰謀であると見破りました。それは、律法によると、主の宮に入ることができるのは、祭司とレビ人だけであることが、記されてあるからです。ネヘミヤは、千年も前に書かれた聖書の記事が、今も効力があることを知っていました。主の宮に入るのは神に罪を犯すことなので、神は決して、罪を犯すようには導かれないのです。たとえ、命が危険にさらされるとしても、御言葉に従うのです。従うところに、主は守られるのです。
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2016年05月21日

5月15日 「前進せよ」



「前進せよ」
「私は大工事をしているから、下っていけない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ行ったため、工事が止まるようなことがあって良いものだろうか。」(ネヘミヤ六:三)

 城壁は門を取り付ける所まで、できあがりました。ネヘミヤが言っているように、大工事でした。壁の厚さは六メートル、高さは七・六メートル、その上二重の壁になっていました。石垣の石は大きい物で、長さ九メートル、幅二メートル、厚さ一メートル、重量八〇トンもありました。敵共が、あらゆる手で妨害したけれども、驚くほどの速さで石垣が積み上がったのです。
 門を取り付けるだけになったとき、最後の手段に打ってでたのです。城壁が完成すると、外から攻撃することは出来ません。そこで、城壁の外におびき出すことにしたのです。外に出たところ攻撃しようとしたのです。神は城であり、盾です。その内にいるならば安全です。
 しかし、敵は、執拗に外に引き出すために策略をめぐらします。彼らは、嘘の噂を流し、ネヘミヤを脅しにかかったのです。それに対抗するために、工事を完成まで、決して止めてはならないことをネヘミヤは固く決心していたのです。「手を鋤にかけてから、後ろに振り向いてはならない。」とイエス様は教えられました。主の働きは、常に前進あるのみです。寄り道をしている暇はないのです。それが、守られる秘訣です。
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2016年05月08日

5月8日 「すべて福音のために」



「それなのに、私達はこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えないとしてなのです。」(Tコリント九:一二)

  一人の兄弟を紹介します。彼は、昨年の総会後、まだバプテスマを受ける前でしたが、私の所に来て、「先生、佐倉教会をお辞めになるんですね。」と言って、頭を深々下げて「先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。」と挨拶されたのです。
  また、この兄弟は、私が昨年六月、アメリカに出かけた時、祈り会を二回出られなくなったので、どうしようかと思い悩んでいた時、彼が、引き受けてくれたのです。出席者が少ないうえ、だれも出席しないかもしれないおそれもありました。しかし「わかりました。責任をもって引き受けます。」と。
 彼は、今も熱心に祈り会に出席し、教会と兄弟姉妹のために祈っています。
 その心は、行動に現れています。今日は、母の日です。彼は、カードを用意しました。自分で材料を用意して、自分の手で一枚一枚書いていました。
  神を恐れるとは、ネヘミヤのように、主に対しての心と同じ思いで、全ての民に接することです。又、 伝道者パウロも、同じように行動したのです。自分の権利は使わないで、その人の救いと成長のために全ての事をしたのです。そして、自分に必要なものは、神にのみ求めたのです。
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5月1日 「神をおそれよ」



「あなたがたは、私達の敵である異邦人のそしりを受けないために、私達の神を恐れながら歩むべきではないか・・・・。」
(ネヘミヤ五:九)

  「おそれ」は私達の生活に深く関わっています。地震を恐れるために、九州では、多くの方が家に帰れなく、不自由な避難生活を余儀なくされています。最近、高い所をこわがらない子供が増えて、高層マンションでの事故が多くなっていると警鐘を鳴らしています。ベランダの上って転落する事故が多発しているのです。又、目上の人や、教師を敬わない若者が増えています
  イエス様は、「体を殺しても、魂を殺せない人たちなどをおそれてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ一〇:二八)と弟子たちに命じました。
  ネヘミヤは、律法(神の命令)を守っていないことを、攻めたのです。単に民が苦しんでいるために、同情したのではないのです。レビ記を通して神は語っておられるのです。「兄弟が貧しくなり・・・彼が生活できりようにしなさい。彼から利息も利得も取らないようにしなさい。あなたの神を恐れなさい。」(二五:四二)。神を恐れることは、神の命令を守る事です。「おそれる」ことは「うやまい、愛する」ことなのです。ヨハネは、「神を愛するとは、神の命令を守る事です。その命令は重荷とはなりません。」(Tヨハネ五:三)祭司の前において誓いをたてさせたのです。
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2016年04月30日

4月24日

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2016年04月18日

4月17日 「神の戦い」ネヘミヤ4:20 四:二〇



「神の戦い」
「私達の神が私達のために戦ってくださるのだ。」(ネヘミヤ四:二〇)

 最近の傾向は「戦う」ことを避ける傾向があります。
しかし、主なる神は戦うように、主の民を励ましています。
何のために戦うか、また誰と戦うかが大切なことです。
キリスト者は神の戦いを主とともに戦う必要があるのです。

ネヘミヤは「兄弟、息子、娘、妻、家のために戦え」と励ました。
敵は、主の愛された町―エルサレムーの再建に対して妨害をしてきたのです。
それは主の御働きを妨害するものです。
 
新約時代においても、パウロは「邪悪な日に際して、対抗できるように、
また、一切を成し遂げて、堅く立つことが出来るように神の武具をとりなさい。」(エペソ六:一三)
と、主の戦いを戦うように激励しています。
 戦うためには、心構えをしなければなりません。
ネヘミヤは、攻撃に備えて守りを固めました。
そして、槍と剣と弓の武器を持たせました。
そして、敵の策略を見抜かなければなりません。
敵は正面からはきません。
陰謀を企てて攻撃してきます。
敵は言った「彼らの知らないうちに、
また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで」。
これが、悪魔の作戦なのです。
 
使徒たちは、このために戦いました。
その備えとして、手紙を教会に書いたのです。
コリント人への手紙、コロサイ人への手紙、
ヨハネの手紙、ユダの手紙は全て、
戦うための武器として、書かれたものです。
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2016年04月09日

4月3日 「人格の再建」 ネヘミヤ2:18



「人格の再建」
「そこで彼らは『さあ、再建に取りかかろう』と言って、この良い仕事に着手した。」(ネヘミヤ二:一八)
 
本日より、二〇一六年度が始まります。
主に期待して教会建設のために一致協力して歩みましょう。

 先日、富里に住んでおられる松沢さんを訪ねました。
クリスマス以来でしたが、元気に過ごしておられました。
生活において、苦労されていますが、以前と違って、
ふじゅうさを受入れ積極的に歩んでおられました。
帰り際に「先生、私に何かできることはありませんか。
役に立ちたいのです。でも、こんな体ではなにもできませんね。
耳も右しか聞こえませんし、目もふじゅうです。
話すこともはっきりとはなすことが出来ません。
しかし神様の役に立ちたいのです。一つだけ出来ることがあります。
字はまだ書くことが出来ます。」と問かけられたのです。
私は、「そうですね、少しづつでいいですから、
自分のこれまでの歩みを日記のように書いてみてはいかがですか。その証しが主に用いられるでしょう。」
私は、松沢さんの信仰は生きていることを見て、神をあがめました。
主によって救われた者は、主に役に立ちたいと願う心が生まれるのです。

 西澤兄も、その思いによって、教会と牧師によく仕えて下さいました。
隠れたところで、自分自身を主に捧げて下さいました。
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2016年03月27日

3月27日 「全ては新しく」Uコリント5:17


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「十字架の意義、復活の意義」



 「神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、
 違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを 
 私たちにゆだねられたのです。」(Uコリント5:19)   


◆十字架の意義                    

1.人間の罪に対する神の怒りを静め、得心していただく  
 『なだめの供物』として十字架につかれた。      

2.神と人との和解の方法                

3.罪のない完全な子羊の犠牲によって流された血(いのち)に
 よって、完全な代償が支払われた。          

4.その贖いを信じ受け入れた者に、神の赦しが与えられる。
 『父子の関係回復』                 

5.新しいいのちが賦与され、新生がスタートする。    

6.永遠の御国にいのちを持つ。天国に名前を持ち、天国の 
 戸籍を持つ。                    

7.現実に神の国の住民として、神様のご支配と導きと保護と
 恵みを伴う。                    


◆復活の意義                     

1.御業の完成                     

2.勝利−死と罪とさばきに               

3.約束の真実の証明                  

4.信じる者の希望                   



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2016年03月20日

3月20日 「エルサレム入城」マタイ21:1-11


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「棕櫚(しゅろ)の日―エルサレム入城」



 「群衆のうち大勢の者が、自分たちの上着を道に敷き、 
 また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた」
                   (マタイ21:8) 


  神がお立てになった、イスラエルの王のしるしは、  


1.棕櫚の枝をもって、人々は迎える。         

 棕櫚の木は、「デボラのなつめやしの木」と言われ、  
 聖木とされていた(士師4:5)。           
 また、優雅と繁栄の象徴とされ、ソロモンの神殿彫刻的 
 意匠に用いられた。                 
 この木は「戦捷木」とも書き、勝利の表象とされた。  

 終末の贖われた聖徒たちは、この枝を手にして     
 子羊の前に立っている。               
(黙示7:9)                     


2.上着を脱いで、道に敷く。             

 立てられた王を迎える時、民は自分の上着を道に敷いて、
 従う意思を表した。                 
(U列王9:13)                   


3.ろばの背に乗って入城する。            

 ソロモン王の戴冠式は、幕屋があったギホンに出かけ、
 ダビデの雌ロバの背にのって、エルサレムに入城した。
 この時、王位争いがあったが、このことで、民は、  
 ソロモンが王として神によって立てられたことを受け 
 入れた。                     
(T列王1:33)                  


4.約800年前に預言者イザヤに、約500年前にゼカリヤに
 よって、預言されていた。             
(イザヤ62:11、ゼカリヤ9:9)           



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2016年03月13日

3月13日 「敢行における訓練」ヨシュア1:6


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「敢行の訓練」



「ただ強く、雄々しくあれ。」(ヨシュア1:7)



      {立てー耐えよ}              

     じっと立て 堅く立て            
     変わることなく 雄々しく立て        
     よろいをまとって立て            
     ここは 戦いの庭だからだ          
     勝ちを得る者よ 決め手を握って立て     
     そして「宿敵」を倒すのだ          
     きよい手をもって とりこを放て       
     キリストが 敵を衰退させられるからだ    

              (エバン・ロバーツ)   


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