2016年07月15日

7月10日 「聖別された日」ネヘミヤ7:72~


「聖別された日」
「第七月の第一日はあなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。」(レビ記二三:二四)
 
 一 神が民を招集される日(聖別された日)
   第七月は今の九月の終わりごろから一〇月にかけての頃になります。この時期は、秋のブドウの収穫の時期になります。収穫が終わった後に集会は開かれました。神は民と共に喜ぶために、仕事を全て休んで、日常生活から離れて、共に集まったのです。聖別とは、主が民と共に過ごすために
世から切り離されることです。それは、礼拝という形となるのです。覚えなければならないことは、この会合は主のためなのです。
 二 民は自らすすんで集まった。(一人のごとく)
   城壁再建が終わって、数日しか経っていませんでしたが、大勢の民が住んでいた町や村から、エルサレムへと集まってきたのです。工事の疲れも見せずに、喜んで、命じられることもなく、すすんで集まってきたのです
   彼らは、神殿礼拝からしばらく離されていましたが、集まることは忘れてはいなかったのです。様々な妨害によって、神殿に集まることが出来なくされていましたが、今年は違ったのです。
   主の御前に集うことは、何に於いても優先事項でした。それは、楽しいことであり、喜びでした。あなたはいかがですか
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7月3日 「いのちのつながり」ネヘミヤ7:5~7



いのちのつながり」
「神の御霊に導かれる人は、だれでも神のこどもです。・・・もし、子供であるなら、相続人でもあります。」(ローマ八:一四)
 
{系図の意義}
 一 「いのち」は連続性があることを表しています。
それ故に、良い点、悪い点があります。私達の顔、体形、性格、声などは、子は親に似ていることは認めるところです。孫を写真で見る時、「かわいいな。目は誰ににているかな、顔かたちは・・・」と際限なく会話が続きます。それは楽しいことです。いにちのつながりは人に幸いな思いを与えます。
 二 相続権が認められています。
  血のつながりがあるという理由だけで、親、兄弟肉親の財産を受け継ぐ
 権利を持つのです。イスラエルの民はアブラハムの子孫ということで、その神との契約の全てを受け継ぐことができるのです。その後、罪によって、国を失ってしまいますが、悔い改めるならば、再び受け継ぐことができたのです。ネヘミヤはその神との契約によって、ユダヤを建て直したのです。
  イエス様はダビデの血を受け継ぐものとして、神とダビデとの間で結ばれた契約の相続人としてお生まれになられたのです。
 三 キリスト者はイエス様を蘇らせた御霊によって生まれたのです。
  神によって生まれたことが変わることがない、救いの土台なのです。
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6月26日 特別福音集会 丸山一郎先生





「あなたにとって幸せとは?」
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものです。」
(マタイ五:三)
  少し前「世界で最も貧しい大統領」で話題になった方が、日本を訪ねました。テレビで報道もされ、各地で公演もされました。この方が日本の青年に「あなたにとって幸せとはなんですか。」と、問いかけられたのです。多くの人が答えに窮したのです。なぜ、この人の声に多くの人が耳を傾けられるのでしょうか。それは、本のタイトルに見るように、その生き方とその表情です。その生き方とは「物の豊かさではなく、人のこころにこそ幸せを持つ」と。幸せは、全ての人が求めています。しかし、飢え乾いています。
  聖書にも、幸いについて教えています。本日は、豊かな主のお働きをしてこられた、丸山先生から聖書の解き明かしていただきます。
 {丸山一郎先生のご紹介}
 一九三二年東京にお生まれになりました。東京大空襲、疎開を経験されました。中学二年の時、「カム、カム英語」のラジオ放送を聞かれて、人生の転機を迎えられました。その後、英語を習得のため研鑽され、信仰へと導かれ、献身へと導かれました。東京教会よりBBFの神学校に入学されました。その後、アメリカにあるボブ・ジョンズ大学へ留学され、帰国後、習志野教会を開拓され、牧師として主のお働きをしてこられました。その間、船橋教会の開拓、当時アメリカの統治にあった沖縄に宣教師として齋藤先生を派遣。
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2016年06月22日

6月19日 「エルサレムの目的」



「どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。
その時、あなたは、全焼のいけにえと全焼の捧げ物との義のいけにえを喜ばれるでしょう。
その時、雄の子牛があなたの祭壇にささげられましょう。」
(詩篇五一:一八,一九)
  城壁再建が完成した時、ネヘミヤがまず行ったことは、
一、 門衛と歌うたいと、レビ人を任命した。
敵の手に落ちていたエルサレムの町を、ユダヤの人々は取り戻し、本来の町の機能を回復したのです。まず、礼拝の働きを回復したのです。
(U歴代三五:一五)
二、 エルサレムを治める者を立てた。
町の監督者として、ハナ二とハナヌヤが選ばれた。その理由は@誠実な人であった。A多くの人にまさって神を恐れる者であった。この二つだけでした。
 私達キリスト者は、自分自身の統治者として、イエス様をお迎えしました。又、教会を導く者として、牧者をたてます。この働きには同じ霊的資質が求められます。そして、キリスト者自身も同じものをもとめられるのです。(Tペテロ二:九)
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6月12日「まとわりつく罪」



「いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私達の前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(へブル一二:一)
  エルサレムの城壁は、ネヘミヤと、共に働いたイスラエルの民の信仰による働きによって、五二日間で完成しました。これは、誰でも認める神の御業でした。神の御業を人は奇跡と言います。工事を妨害した敵共も奇跡を見ました。
  しかし、敵は退散したのではありません。外からの攻撃は勝利しましたが内からの攻撃をくわえてきたのです。トビヤやサンバラテは、ネヘミヤより長くイスラエルの民の中に根を下ろして来ました。仕事上の契約や祭司や大祭司との婚姻関係を結ぶことによって、民を治める地位を得ていたのです。
 これが、ネヘミヤにとって厄介でした。これに勝利するまでに、十数年かかったのです。ネヘミヤ記の最後の章一三章の記事はこの勝利で完結しているのです。
  また、この困難さは、ネヘミヤの前に手を付けた律法学者エズラがどうにもならない問題として、彼の前に立ちはだかったことを見れば理解出来ます。この解決の為に、ネヘミヤの登場を待たなければなりませんでした。その間、一三年の歳月が流れました。
  私達キリスト者にとって、この戦いは、血を流すほどの戦いだとパウロは語り、イエス様の十字架を指し示しています。
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2016年06月09日

6月5日 「世の光として輝く」



「曲がった、邪悪な世代の中にあって、
傷のない神の子供となり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」(ピリピ二:N、O)
  ネヘミヤは、邪悪な敵に攻撃される中、主に祈りながら、城壁の再建をやり遂げました。妨害した敵共だけでなく、工事に参加しなかった傍観者も、この工事が神の御業であることを見て、神とネヘミヤを畏れたのです。
  畏れた理由は、@長い間、荒廃し誰も手を付けようとはしなかった難工事であった。A工事に携わった人は、祭司、金細工人、若い人、女、商人など普通の人々だった。B全ての策略を見破って工事を継続させた。Cわずか五二日間で終えた。ソロモン王は全ての宮殿建設に一三年かけた。ゼルバベルは神殿再建に四年費やした。それから考えると、城壁再建は驚異的なスピードでした。まさに神の奇跡でした。不可能と思われていた事をネヘミヤは成し遂げたのです。
  「完成」は主の御心です。ネヘミヤは、最初から、最後まで、主に祈り信仰によって、エルサレム再建は主の御こころと確信し、一人で立ち上がったのです。そして、完成することによって、邪悪の人々の間で、世の光として輝いたのです。全ての人が神の御前に膝をかがめ、神の栄光を拝するのです。
  キリスト者の完成は何でしょうか。世の光として輝くことなのでしょう
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2016年06月02日

5月29日 「救い」



「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることがない、神のことばによるのです。」(Tペテロ一:二三)

  朝顔の種を一週間ぐらい前に蒔きました。昨日見ましたら、小さな葉を元気よく土を突き破って地上に出てきました。昨年、花が終わり、種を取り一年間箱に入れて保管していました。その時は芽をだすことはありませんでした。しかし、土の中に植えつけ、水をやっていると、一週間たらずで、芽をだしてきます。小さな朝顔の種のどこに、芽を出す時期をみる力があるのでしょう。私は改めてその不思議さを感じます。神様の知恵は量り知れないほどに深いのです。
  御言葉は種に譬えられています。御言葉のどこに、永遠のいのちを、人に与える力があるのでしょうか。使徒ペテロは、御言葉の中に永遠のいのちがあると伝えました。それは、不思議な事です。しかし、朝顔の種が、土の中に蒔かれると、命の活動を開始するのと同じように、御言葉をこころから信じ受け入れるならば、その人の中で永遠のいのちが活動を始めるのです。これは、神の不思議な御業です。
  これは、信じて受け入れることによって、また、従うことによって、新しい命は私達を育てるのです。主の語られた御言葉を信じましょう。
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2016年05月30日

5月22日 「主の御言葉を見極める」



「私のような者で、だれが本堂に入って生きながらえようか。
私は入っていかない。。」(ネヘミヤ六:一一)
神は御言葉を通して、導かれます。御言葉は不変です。
  ネヘミヤは、預言者のことばが、神からでたものではないことを見破ったのです。どうして、出来たのでしょうか。それは、知っていた御言葉と言われたことばがちがっていたからです。
  預言者シェマヤは、有力な預言者でした。二代まえから呼ばれているところから家柄がわかります。預言者イザヤのように名の通った家柄だったのです。ネヘミヤは、シェマヤに助けを求めに家を訪ねたのでしょう。以前、ヒゼキヤ王が、アッスリアに攻められた時、預言者イザヤに祈りの要請をしました。(U列王一九:三,、四)。しかし、シェマヤは会わずに、伝言で「主の
 宮で会おう」と伝えたのです。その理由は「敵が夜、あなたを殺しに来るから」と言うのです。
  ネヘミヤは、これは、陰謀であると見破りました。それは、律法によると、主の宮に入ることができるのは、祭司とレビ人だけであることが、記されてあるからです。ネヘミヤは、千年も前に書かれた聖書の記事が、今も効力があることを知っていました。主の宮に入るのは神に罪を犯すことなので、神は決して、罪を犯すようには導かれないのです。たとえ、命が危険にさらされるとしても、御言葉に従うのです。従うところに、主は守られるのです。
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2016年05月21日

5月15日 「前進せよ」



「前進せよ」
「私は大工事をしているから、下っていけない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ行ったため、工事が止まるようなことがあって良いものだろうか。」(ネヘミヤ六:三)

 城壁は門を取り付ける所まで、できあがりました。ネヘミヤが言っているように、大工事でした。壁の厚さは六メートル、高さは七・六メートル、その上二重の壁になっていました。石垣の石は大きい物で、長さ九メートル、幅二メートル、厚さ一メートル、重量八〇トンもありました。敵共が、あらゆる手で妨害したけれども、驚くほどの速さで石垣が積み上がったのです。
 門を取り付けるだけになったとき、最後の手段に打ってでたのです。城壁が完成すると、外から攻撃することは出来ません。そこで、城壁の外におびき出すことにしたのです。外に出たところ攻撃しようとしたのです。神は城であり、盾です。その内にいるならば安全です。
 しかし、敵は、執拗に外に引き出すために策略をめぐらします。彼らは、嘘の噂を流し、ネヘミヤを脅しにかかったのです。それに対抗するために、工事を完成まで、決して止めてはならないことをネヘミヤは固く決心していたのです。「手を鋤にかけてから、後ろに振り向いてはならない。」とイエス様は教えられました。主の働きは、常に前進あるのみです。寄り道をしている暇はないのです。それが、守られる秘訣です。
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2016年05月08日

5月8日 「すべて福音のために」



「それなのに、私達はこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えないとしてなのです。」(Tコリント九:一二)

  一人の兄弟を紹介します。彼は、昨年の総会後、まだバプテスマを受ける前でしたが、私の所に来て、「先生、佐倉教会をお辞めになるんですね。」と言って、頭を深々下げて「先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。」と挨拶されたのです。
  また、この兄弟は、私が昨年六月、アメリカに出かけた時、祈り会を二回出られなくなったので、どうしようかと思い悩んでいた時、彼が、引き受けてくれたのです。出席者が少ないうえ、だれも出席しないかもしれないおそれもありました。しかし「わかりました。責任をもって引き受けます。」と。
 彼は、今も熱心に祈り会に出席し、教会と兄弟姉妹のために祈っています。
 その心は、行動に現れています。今日は、母の日です。彼は、カードを用意しました。自分で材料を用意して、自分の手で一枚一枚書いていました。
  神を恐れるとは、ネヘミヤのように、主に対しての心と同じ思いで、全ての民に接することです。又、 伝道者パウロも、同じように行動したのです。自分の権利は使わないで、その人の救いと成長のために全ての事をしたのです。そして、自分に必要なものは、神にのみ求めたのです。
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5月1日 「神をおそれよ」



「あなたがたは、私達の敵である異邦人のそしりを受けないために、私達の神を恐れながら歩むべきではないか・・・・。」
(ネヘミヤ五:九)

  「おそれ」は私達の生活に深く関わっています。地震を恐れるために、九州では、多くの方が家に帰れなく、不自由な避難生活を余儀なくされています。最近、高い所をこわがらない子供が増えて、高層マンションでの事故が多くなっていると警鐘を鳴らしています。ベランダの上って転落する事故が多発しているのです。又、目上の人や、教師を敬わない若者が増えています
  イエス様は、「体を殺しても、魂を殺せない人たちなどをおそれてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ一〇:二八)と弟子たちに命じました。
  ネヘミヤは、律法(神の命令)を守っていないことを、攻めたのです。単に民が苦しんでいるために、同情したのではないのです。レビ記を通して神は語っておられるのです。「兄弟が貧しくなり・・・彼が生活できりようにしなさい。彼から利息も利得も取らないようにしなさい。あなたの神を恐れなさい。」(二五:四二)。神を恐れることは、神の命令を守る事です。「おそれる」ことは「うやまい、愛する」ことなのです。ヨハネは、「神を愛するとは、神の命令を守る事です。その命令は重荷とはなりません。」(Tヨハネ五:三)祭司の前において誓いをたてさせたのです。
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2016年04月30日

4月24日

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2016年04月18日

4月17日 「神の戦い」ネヘミヤ4:20 四:二〇



「神の戦い」
「私達の神が私達のために戦ってくださるのだ。」(ネヘミヤ四:二〇)

 最近の傾向は「戦う」ことを避ける傾向があります。
しかし、主なる神は戦うように、主の民を励ましています。
何のために戦うか、また誰と戦うかが大切なことです。
キリスト者は神の戦いを主とともに戦う必要があるのです。

ネヘミヤは「兄弟、息子、娘、妻、家のために戦え」と励ました。
敵は、主の愛された町―エルサレムーの再建に対して妨害をしてきたのです。
それは主の御働きを妨害するものです。
 
新約時代においても、パウロは「邪悪な日に際して、対抗できるように、
また、一切を成し遂げて、堅く立つことが出来るように神の武具をとりなさい。」(エペソ六:一三)
と、主の戦いを戦うように激励しています。
 戦うためには、心構えをしなければなりません。
ネヘミヤは、攻撃に備えて守りを固めました。
そして、槍と剣と弓の武器を持たせました。
そして、敵の策略を見抜かなければなりません。
敵は正面からはきません。
陰謀を企てて攻撃してきます。
敵は言った「彼らの知らないうちに、
また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで」。
これが、悪魔の作戦なのです。
 
使徒たちは、このために戦いました。
その備えとして、手紙を教会に書いたのです。
コリント人への手紙、コロサイ人への手紙、
ヨハネの手紙、ユダの手紙は全て、
戦うための武器として、書かれたものです。
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2016年04月09日

4月3日 「人格の再建」 ネヘミヤ2:18



「人格の再建」
「そこで彼らは『さあ、再建に取りかかろう』と言って、この良い仕事に着手した。」(ネヘミヤ二:一八)
 
本日より、二〇一六年度が始まります。
主に期待して教会建設のために一致協力して歩みましょう。

 先日、富里に住んでおられる松沢さんを訪ねました。
クリスマス以来でしたが、元気に過ごしておられました。
生活において、苦労されていますが、以前と違って、
ふじゅうさを受入れ積極的に歩んでおられました。
帰り際に「先生、私に何かできることはありませんか。
役に立ちたいのです。でも、こんな体ではなにもできませんね。
耳も右しか聞こえませんし、目もふじゅうです。
話すこともはっきりとはなすことが出来ません。
しかし神様の役に立ちたいのです。一つだけ出来ることがあります。
字はまだ書くことが出来ます。」と問かけられたのです。
私は、「そうですね、少しづつでいいですから、
自分のこれまでの歩みを日記のように書いてみてはいかがですか。その証しが主に用いられるでしょう。」
私は、松沢さんの信仰は生きていることを見て、神をあがめました。
主によって救われた者は、主に役に立ちたいと願う心が生まれるのです。

 西澤兄も、その思いによって、教会と牧師によく仕えて下さいました。
隠れたところで、自分自身を主に捧げて下さいました。
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2016年03月27日

3月27日 「全ては新しく」Uコリント5:17


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「十字架の意義、復活の意義」



 「神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、
 違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを 
 私たちにゆだねられたのです。」(Uコリント5:19)   


◆十字架の意義                    

1.人間の罪に対する神の怒りを静め、得心していただく  
 『なだめの供物』として十字架につかれた。      

2.神と人との和解の方法                

3.罪のない完全な子羊の犠牲によって流された血(いのち)に
 よって、完全な代償が支払われた。          

4.その贖いを信じ受け入れた者に、神の赦しが与えられる。
 『父子の関係回復』                 

5.新しいいのちが賦与され、新生がスタートする。    

6.永遠の御国にいのちを持つ。天国に名前を持ち、天国の 
 戸籍を持つ。                    

7.現実に神の国の住民として、神様のご支配と導きと保護と
 恵みを伴う。                    


◆復活の意義                     

1.御業の完成                     

2.勝利−死と罪とさばきに               

3.約束の真実の証明                  

4.信じる者の希望                   



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2016年03月20日

3月20日 「エルサレム入城」マタイ21:1-11


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「棕櫚(しゅろ)の日―エルサレム入城」



 「群衆のうち大勢の者が、自分たちの上着を道に敷き、 
 また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた」
                   (マタイ21:8) 


  神がお立てになった、イスラエルの王のしるしは、  


1.棕櫚の枝をもって、人々は迎える。         

 棕櫚の木は、「デボラのなつめやしの木」と言われ、  
 聖木とされていた(士師4:5)。           
 また、優雅と繁栄の象徴とされ、ソロモンの神殿彫刻的 
 意匠に用いられた。                 
 この木は「戦捷木」とも書き、勝利の表象とされた。  

 終末の贖われた聖徒たちは、この枝を手にして     
 子羊の前に立っている。               
(黙示7:9)                     


2.上着を脱いで、道に敷く。             

 立てられた王を迎える時、民は自分の上着を道に敷いて、
 従う意思を表した。                 
(U列王9:13)                   


3.ろばの背に乗って入城する。            

 ソロモン王の戴冠式は、幕屋があったギホンに出かけ、
 ダビデの雌ロバの背にのって、エルサレムに入城した。
 この時、王位争いがあったが、このことで、民は、  
 ソロモンが王として神によって立てられたことを受け 
 入れた。                     
(T列王1:33)                  


4.約800年前に預言者イザヤに、約500年前にゼカリヤに
 よって、預言されていた。             
(イザヤ62:11、ゼカリヤ9:9)           



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2016年03月13日

3月13日 「敢行における訓練」ヨシュア1:6


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「敢行の訓練」



「ただ強く、雄々しくあれ。」(ヨシュア1:7)



      {立てー耐えよ}              

     じっと立て 堅く立て            
     変わることなく 雄々しく立て        
     よろいをまとって立て            
     ここは 戦いの庭だからだ          
     勝ちを得る者よ 決め手を握って立て     
     そして「宿敵」を倒すのだ          
     きよい手をもって とりこを放て       
     キリストが 敵を衰退させられるからだ    

              (エバン・ロバーツ)   


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2016年03月06日

3月6日 「逆境における訓練」ピリピ1:12


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{神を見上げます}



私に欠陥のある時は、いつもあなたを見上げます。
見上げて、むだだったことはありません。
あなたの強く、やさしい愛に触れ、再び力を得ます。
あなたを思いめぐらしているときに
罪や苦痛や悲しみに打ち勝つ力がわくのです。
人生の仕事に絶望し、背に負う重荷にたえかねて
失敗や恐れの恥を受け、力なく道端に座り込んでしまいます。
しかし主よ、あなただけを思わせてください。
その時、新しい力がわくのです。
落ち着きのない心を静めるために、あなたの静けさが、
私の心を覆います。
よろめいている私の意志を強めるために、あなたのいのちの
力が包みます。
あなたのご臨在が寂しさを慰め、
あなたのご摂理が、全てを益に変えるのです。
あなたの深い愛に抱かれて、あなたのおきてに支えられて
立つのです。
すべてのことの中に、あなたの御手を見ます。
御手の中に、全てのものが動きます。
あなたの暗いときに私を導かれ、悲しみを讃美に変えて
くださるのです。
             (サムエル・ロングフェロー)



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2016年02月28日

2月28日 「困難における訓練」マタイ9:9


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{盲 目}


 
 この暗く広大な世において、生涯の中半を終わらぬ先に、 
自分が盲目になったことを考えるとき、わたしの内に一つの 
賜物がー死だけがそれを隠しますー            
(それにより、私の魂がもっと熱心に、創造主にお仕えし、 
 その方が帰って来て叱責されることのないように、本当の 
 会計報告をだそうと願っていました。)         

むなしくとどまっていることを考える時、私はあさはかにも 
尋ねたのです。                     

「神は光を取り去りながら、私に日雇いをさせようというの 
 だろうか」と                     

しかし、忍耐がそのつぶやきを妨げて、すぐに答えました。

「神は人の働きも、人の捧げ物も要しません。       
 神の軽いくびきを、最善に負う者は、いちばんよく神に  
 仕える者なのです。                  
 神は王者のような方、幾千の人がその命令によって急ぎ  
 ます。                        
 陸を超え、大洋を超えて、休むことなく行くのです。   
 耐え忍んで待っていなければならない者たち       
 彼らもまた奉仕する者なのです。」           
                  (ジョン・ミルトン)


 ※ミルトンは1600年代のイギリス人です。賜物に恵まれ、 
  宰相の右腕として活躍していたが、44歳のとき失明する。
  古典「失楽園」の著者                



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2016年02月21日

2月21日 「捧げる恵み」ルカ21:1-4


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{捧げる恵み}
〜イエス・キリストを知る〜



 「いくら豊かな人でも、その人のいのちは     
  財産にあるのではないからです。」(ルカ12:15)


 あるニュースで聞いた話ですが、アメリカは寄付の社会が
根づいているが、日本の社会はほとんどその精神はないとの 
報道でした。これは、キリスト教の精神で建てられている国の
違いなのでしょうか。自分優先の精神に支配されている罪人の
しるしなのでしょうか。                 

 「他の人のことも考えるように」とイエス様は人々に勧めて
います。なぜでしょうか。                

『受けるよりも与えるほうが幸いである』
と語られた中に答えがあります。

このことが、罪人である私達は受け入れられないのです。
実践しなければキリスト様を知ることが出来ません。
伝道者パウロは、この御言葉に従いました。(使徒20:35)


{聖書の神は、私達の父なる神です。}          
イエス様は常に神様を示される時「父」に言及しています。
罪人の父でさえ子供のことは、常に心にかけ、守り、良い物を
与えようとするのですから罪のない父なる神はなおさらでは 
ないでしょうかと話されます。              


{私達のことをよく見ておられる。}           
イエス様は、混雑する神殿の献金箱が見える場所におられて、
誰も目に留めない貧しいやもめの姿を見逃しませんでした。 
しかも、捧げたレプタ二枚が、彼女の全財産であったことを 
見逃しませんでした。                  
そして、誰よりもたくさん捧げたことを喜ばれたのです。  
やもめはそれで充分でした。               



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2016年02月14日

2月14日 「従う恵み」ヨハネ2:1-11


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{従う恵みーイエス・キリストを知る}



「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神である
あなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを
知ることです。」 (ヨハネ17:3)

  
先週、アメリカのグループが重力波の観測に成功した報道が
新聞の一面に掲載されていました。このことにより、重力波が
あることを世界の人々は知ったのです。重力波があることは、
100年も前にアインシュタインによって、科学者は知っていま
した。1960年ごろから、ある科学者は観測を始めました。
しかし、なかなか成功しなかったのです。それでもあることを
信じ続け、観測を続けた者が本当に知ったのです。

一言で「知る」といっても、幅と深さの違いがあります。
100年前に知っていたことと、
今回観測によって知ったことには、大きな開きがあります。

イエス様が求めておられる「知る」ことは、直接見て、
聞いて、信じて行動にまで進む力になっていくことです。
永遠のいのちとは、
神様とイエス・キリストを知り続ける欲求を
心の中に与えるものです。
パウロは生涯、イエス・キリストを求め続けたのです。

カナの婚礼において、弟子たちや裏方で手伝っていた
しもべは、イエス様がキリストであることを誰よりも深く
知ったのです。それは、直接イエス様からの声を聴き、
その声に従うことによって、間違いなく、水が葡萄酒に
変わったのはイエス様の御業であることを信じたのです。


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2016年02月07日

2月7日 「教会の権威」Tコリント5:11-13


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          {厳しさと優しさ}



 「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。」
                   (ローマ11:22)



 神には、厳しさと優しさとが共にあり、バランスがとれて
おいでです。
厳しさは、その聖さから生まれ、優しさは、愛から生まれます。

 聖書の記録は、このことを実によく示していると言える
でしょう。律法と恵みということばであらわしても誤りでは
ありません。律法は、神が私達に求められる標準であり、
その標準に達しない私達のために、自らその足りなさを補って
下さった、正確には贖って下さったのが恵みです。
律法には、人がいかに神の求める標準に達しないかを明らかに
してくれる役目があり、恵みには、いかに神が人を愛してくだ
さっているかが明らかにされています。

 この二つのことを人は明らかに知る必要があるわけです。
人がただ自分の弱さを認めるだけでは不十分で、神と直し、
神の前にいかに自分が愚かで、不遜で、不従順で無力な者で
あるかを知らされるところに律法の役目があります。

 現代は、この神の前に自分の罪深さを知り、認めるという
ことが嫌われる傾向が強いという点で終末的です。即ち厳しさ
が嫌われる時代なのです。神の前に於ける厳しさをしっかりと
受け止められない人は、十字架の神の愛を真に理解するに至り
ません。それは単なる優しさ、人間的な愛にすぎませんから
極めて不安定で永続できません。
             (山宮先生の牧者の声より抜粋)


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2016年01月31日

1月31日 「規定に従って」Uテモテ2:5


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         {規定に従って}



 「キリストがそうされたのは、みことばにより、
 水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとする
 ためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのような
 ものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の
 教会を、ご自分の前にたたせるためです。」
               (エペソ5:26-27)

  

 石井兄と明石姉の婚約式、おめでとうございます。
本人はもとより、両家にとりましても大きな喜びでしょう。
 婚約式は二人が主イエス・キリストの御前で、結婚を前提と
して霊的に準備をし、結婚に備える誓いをするためです。
丁度、教会がイエス様の花嫁としてふさわしく準備すること
とに重ねて、伝道者パウロは婚約式ならびに、結婚式を重んじ
るように告げています。

 昨今、婚約式や結婚式を軽んずる傾向にあります。
また、性的堕落は、目を覆いたくなります。自分の思いだけに
突き動かされて、軽率な行動をとる若者は多いのではないで
しょうか。同性婚が市民権を取ろうとしていることなど混乱が
エスカレートしてきています。

     それでは何が正しいのでしょうか。

 婚約式は、神様の御前において、それぞれ結婚相手が、
神様が導いてくださった方であることを確信し、主に対して、
いかなることがあっても、キリストが教会を愛されているよう
に、互いに愛し仕えていくことを約束する時です。

そして、御両親はじめ、教会がその誓いの証人になるのです。
それは、誠に厳粛なことです。


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2016年01月24日

1月24日 「みことばを生きる」イザヤ55:6-11


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        {みことばを生きる}



 「天が地よりも高いように、
  わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
  わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
                (イザヤ55:9)



 今、ラクビ―が注目を浴びています。大きな大会で優勝した
のではありません。今までは弱小チームだったのですが、世界
大会で、優勝候補一角の南アフリカチームに勝ち、予選で三勝
したためです。惜しくも、決勝トーナメントには進むことはで
きませんでした。しかし、日本人は大フィーバーしたのです。

 勝利した要因は、監督者エデイー氏の四年間にわたる練習の
成果です。選手は、監督者の指導する「ことば」を信じ、厳し
い練習を重ねて、監督者の目指すラクビ―を実現したのです。
そしてその結果、勝利し、監督者とともに勝利を喜んだのです。

 主なる神様は、私達のいのちの唯一の監督者です。しかも、
全てに勝利された方です。そして、私達を愛し、全てを捧げて
くださった方なのです。

ですから、語られる「みことば」を信じ、歩んで行きましょう。


 伝道者パウロも

 「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。
  彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
  私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」
                  (Tコリント9:25)

 と、また使徒ヨハネも

 「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。
  私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
  世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と
  信じる者ではありませんか。」
                   (Tヨハネ5:4-5)

 と告げています



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2016年01月17日

1月17日 「良い物を食べよ」イザヤ55:2


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         {聖書の価値}


 「わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、
  あなたがたは脂肪で元気づこう。」(イザヤ55:2)

  
 預言者イザヤが、このみことばを語った時は、ヒゼキヤ王が
宗教改革を断行し、その結果、北イスラエルを滅ばしたアッス
リアの軍勢に主によって、大勝利をした後でした。
主の力を目の前で見た、ユダの人々に対して神様はイザヤを
通して告げられたのです。

 ユダの民が勝利したのは、主の御言葉を聞き、信頼しそれに
従ったからでした。

彼らは、敵の大軍にも、冒涜にも、脅しにも屈せず、主に救っ
て下さるように心を一つにして祈ったのです。他には、なにも
できませんでした。次の朝起きてみると、敵は一人もいません。
御言葉通りになったのです。
それ以後、アッスリアは二度と攻めてこなかったのです。


 新約時代に生きる私達、それ以上の奇跡を見ているのでは
ないでしょうか。同じ聖書が、人々の最大の敵である
「罪と悪魔と死にイエス様は打ち勝たれた」と告げています。

その御力をもって私達一人一人に、良い物を与えようとして
おられるのです。元気を与えようと待っておられるのです。

私達に必要なのは
その御言葉に信頼して主に祈り待ち望むことです。

私達の魂に活力を与えることが出来るのは、主の下さる御言葉
だけなのです。他のものは何一つ必要ないのです。


主に聞き、従いましょう。



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2016年01月10日

1月10日 「聖い道」イザヤ35:8


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         {聖書を読む恵み}



 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。
  そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば
  開かれます。」(マタイ7:7)



 新年、多くの人々が、初日の出を見る為に、山に登ったり、
遠くへ出かけたりします。千葉では、犬吠埼の灯台は有名で
す。又、ニュースで見たのですが、山中湖から、ダイヤモンド
富士をカメラに収めようと、寒い中何時間も、じっとその瞬間
を待っている人々を伝えていました。その為にはどんな苦労も
苦にしない心は、どこからくるのでしょうか。
言うまでもなく、それは、その美しさに魅了されているからで
しょう。

 神様は、

   「求めるように」「捜すように」「たたくように」

ご命令されています。
これは、かなり熱心に求めるように勧めています。


 何を求めるように御命令しておられるのでしょう。
少し前を見ると、

        「神の国と神の義」

であることがわかります。神の国がどんなに素晴らしい国で
あるかは、神様ご自身が知っておられるのです。

しかし、その素晴らしさは、肉眼では見ることが出来ません。
その為に神様は、

        聖書の御言葉を通して、

私達に見せようとされたのです。

私達は聖書を窓として、
信仰により、その素晴らしさに触れることができるのです。

その時、人は神の国に憧れるのです。
そして、捜し始めるのです。
その入り口を発見し、門の戸をたたくのです。


その門の向こうに

       「聖い大路」が真っすぐに、

父なる神様のところまで通じていることを発見するのです。


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2016年01月03日

1月3日 「主の書物」イザヤ34:16


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          {主の書物}


 「彼はその治世の第一年の第一の月に主の宮の戸を開き、
  これらを修理した。」
                (U歴代誌29:3)



 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願
いします。今年の与えられた御言葉は

     「主の書物を調べて読め」(イザヤ34:16)

です。この命令は預言者イザヤが、ユダの王ヒゼキヤ王の就任
した最初の年の第一日、正月に語った御言葉です。

 この時、イスラエルは、滅亡の危機にあったのです。北イス
ラエルは、アッスリア帝国の攻撃を受けようとしていました。
その5年後に占領されていきます。南ユダ王国は、ヒゼキヤの
父親アハズ王は、預言者イザヤの語る神からのメッセージには
耳を傾けず、自分勝手な道を歩んだのです。主の宮の戸を閉じ、
こともあろうにダマスコの神の祭壇を、エルサレム神殿の庭に
同じものを祭司に造らせたのです。

その理由は、自分の国よりも強い国なので、彼らが仕えている
神なら助けてくれるだろうと考えたのです。そのために、民は
主から離れて行きました。ますます国は衰退していったのです。

 その時、ヒゼキヤが25歳で王についたのです。
彼は、その現状の原因は、主のことばを聞かないで、主のこと
ばに従わないために、主の怒りによることを知っていました。
そして、改革に着手したのです。それを励ましたのが、預言者
イザヤの預言でした。

ユダヤは繁栄を取り戻していくです。


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2015年12月27日

12月27日 「主の恵みを忘れるな」詩篇103篇


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        {主の恵みを忘れるな}


  「あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、
   奴隷の家から連れ出された主を忘れないように
   しなさい。」(申命記6:12)


 神様は、人が忘れる者であることを知っておられるのです。
イスラエルの民が、エジプトから連れ出されて、カナンに入る
手前で、このことを語られたのです。
どんな時に忘れるのかをも知っておられるのです。

 多くの恵みに満ち溢れた時に民が与えてくださった主を忘れ、
高慢になり、自分の力で得たかのように思い、他の神々に
迷って行くことを戒めました。支えておられる主を忘れると、
滅んでいくことも教えられたのです。

 しかし、詩篇78篇を見ると、その後の民がどのように歩んだ
かが歌われています。
「忘れてしまった」、「信頼しなかった」と書かれています。
これが人の心なのです。
「忘れる」とは「心を失う」と書きます。心が主なる神様から
離れてしまい、他の神々に移っていったのです。

 神様は裁きをされ、民の心が主に助けを求めるようにされ
ました。そして、ダビデをたて、牧するようにされ、英知の
知恵で彼らを導くようにされたのです。

 しかし、民は再び主を忘れていったのです。しかし、主は
契約にしたがって、ダビデの家を建てられるために、イエス様
を王として立ててくださり我々を救ってくださったのです。

 イスラエルの民の教訓を覚えて、この恵みを忘れないように
しましょう。これが最後の神様の救いの御業です。


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2015年12月24日

12月24日聖夜礼拝 「まずしくなられた主」ルカ2:8-20

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2015年12月20日

12月20日 「救い主生まれる」ルカ2:1-7


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         {救い主生まれる}


 「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に
  来られた』ということばは、まことであり、そのまま
  受け入れるに値するものです」(Tテモテ1:15)


 イエス・キリストがお生まれになられた事実を受け入れる
ことが一番大切です。ゼカリヤやマリヤに告げられた通りに、
イエス様はお生まれになられました。


1.聖霊によって、神の子としてお生まれになられた。

 羊飼いに、神様は御使いを遣わして、キリストがお生まれに
 なったことを知らせました。それに天の軍勢が加わって賛美
 したのです。そのことを、羊飼いたちはマリヤとヨセフに
 伝えました。それによって、マリヤとヨセフは聖霊によって
 与えられたことを確信したのです。


2.生まれる子は、父ダビデの王位を受け継ぐ者となることを
 告げられていました。

 このことは、東の博士たちの来訪で明らかにされました。
 博士たちは、ユダヤ人ではありませんでした。しかし、彼ら
 には、ずっと昔に、全世界を治める者が生まれることを知ら
 されていたのです(民数記24章参照)。その印は大きな星が
 輝くというもので、彼らはその星を発見したのです。
 そして、告げられていた通りにユダヤに礼拝するために
 旅をして来たのです。

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