2017年03月03日

賛美練習 聖歌389 ねがわくは神 伴奏

賛美練習の為の伴奏を録音しました。
自宅練習用にご活用ください。

ソプラノ


アルト


テナー


バス


伴奏全パート
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2月19日 「伝道者の働き」

※2/19 牧師は幕張教会の宣教集会の奉仕に出かけていたためメッセージの録音はありません。

「伝道者の働き」
 「パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。」(使徒18:5)

 パウロの働きは、聖書に詳しく書かれています。まだ福音が語られていない所に福音を伝え、教会の土台を据える事でした。そこには、まだ、その働きのための協力者はおりません。パウロはあらゆる手段を使って働きました。ある時は、自分の手の職で、働きながら生活の必要を満たしました。また、ある時は、前の教会からの支援で、生活を支えました。ある時は、アクラのような助け手を神は与えパウロを支えました。弟子たちの働きで、支えられ、本人はみことばを語ることに専念したのです。
 エルサレムの教会では、使徒ペテロたちが、祈りとみことばに仕えることに専念するために、信徒から執事が選ばれました。このように、教会は御言葉が宣べ伝えられることを最優先できるために、あらゆる方法を用いたのです。伝道者は働く者、信徒は支える人と分けられているのではありません。
教会を建てあげるために、持てる物を最大限に使って主の働きに参与するために、神は私達を集めて下さったのです。
 伝道者は、その為に全てを用います。伝道者はみことばを宣べ伝えるために訓練を受けます。教会はその働きがよりよくできるために、伝道者を支えます。一分でも多くその時間を確保出来るように配慮
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2017年02月16日

2月12日 「神のご計画」


「神のご計画」
 「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)

 先週の総会において、ニュータウン教会の働きを私が断念することを、申し出ました。今まで、独立を目指して祈り支援してきましたので、戸惑う方もおりましょう。そのために、主の導きを話す必要を覚えました。
 ニュータウン教会の働きは一五年に及びます。その間、伝道者をはじめ、佐倉教会も教会形成を目指して祈り、進めてきました。ですから、招聘の作業を進めていく中で、その計画を継続することが、主のみこころと信じて、私達がしばらく引き継ぎ、次の伝道者にバトンタッチできればと考えました
そうすれば、伝道者のこれまでの働きが報われると考えたのです。
 しかし、神のご計画は違う方行を示されました。アブラハムは行先を知らずに出て行きました。その時、示されたのは、ここに留まってはいけないということだけでした。また、伝道者パウロも、自分の伝道地の計画を変更しなければなりませんでした。その時の事情は、聖書には何も書かれていませんが、「聖霊によって、みことばを語る事が禁じられた。」というのです。私達は、「つくられたもの全てに福音を語る」ことを聖書の中に見ます。しかし、場合によって、禁じられることがあるのです。その時にはパウロは理由がわかりませんでしたが、そこには、綿密な神のご計画があったのです。
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2月5日 「守りの神」


「守りの神」
 「神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Tペテロ5:7)

 「待つ」ことは、勇気のいることです。私達は、伝道者の応えを待っています。その間、いろいろなことを考えさせられます。「待つ」ためには信仰が試みられます。
 聖書の中に、「待つ」ことで、勝利を得た人もおり、失敗した人もおります。イスラエルの最初の王として立てられたサウルは、預言者サムエルのことばを信じて待つことに失敗しました。その結果、王の座から引きずり降ろされました。(Tサムエル13:13、14)
戦いに出る時、祭司によって、祭壇に捧げ物をしてから出発することになっていたのですが、サムエルが七日待つように告げていたのですが、目の前の敵を恐れて、七日目にサムエルに代わって、してはならない捧げ物をサウルは捧げたのです。そして、捧げ終わった時、サムエルが来たのです。サウル王はサムエルを待てなかったのです。その結果、自分だけではなく、家族すべてに主の祝福から退けられたのです。
ノアは、主の声を待ちました。雨が上がっても、鳩が帰って来なくなっても、地が乾いたことがわかっても、箱舟から出ることはなかったのです。
「出なさい。」との声を聴いて、ノアは箱舟から出たのです。自分の判断に頼ることなく、「入る」のも、「待つ」のも「出る」のも主の声に従うのです。
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2017年02月04日

1月29日 「伝道者のこころ」



「伝道者のこころ」
「私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで、財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。」(Uコリント12:15)

 教会は新しい牧師をどのようなこころぞなえをして迎えれば好いのでしょうか。伝道者パウロは、教会の土台を据える働きをしました。何もない所から、福音を伝え、救われた人々を集めて、教会の土台を築きました。その時、様々な困難に遭遇しました。その中でも、教会が伝道者を支えることが出来るように心を砕きました。
 そのために、伝道者の思いを知らせました。パウロは、教会すなわち教会の人々のたましいのために、持てる全てを使っていることを伝えました。その信仰は「受けるよりは与える方が幸いであると言われたみことばを思い出すべきことを、私は万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒20:35)の実践でした。彼は、文字通り全てを主に捧げました。結婚もしないで、家庭も持たず、定住しないで、建てあげた教会も主にゆだねて、敵のいるまっただ中に飛び込んでいきました。そして、最後は囚われの身になり、自由も捧げ、最後に命をも捧げたのです。
 マケドニアのキリスト者は、そのパウロの姿を見て、貧しさにもかかわらず、喜んで、持てる者をもって、力以上に、聖徒たちを支えたのです。伝道者を支えることは、大切な伝道の働きなのです。
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1月22日 「神と共に歩むノアの恵み」

「神と共に歩むノアの恵み」
 「あなたとあなたの全家族は箱舟に入りなさい」(創世記7:1)

人は地の面にふえ、その悪は地にはびこり、世は乱れて、暴虐が地に満ちた時、悲しみの神の御目は義人を求めて、地上をくまなく見まわされ、あわや、暗く閉ざされようとした時、ノアの姿に辛くもその愁眉は開かれたのです。ノアなかりせば・・・いや、それ以上にこのたった一人のノアを認めたもう神なかりせば・・・と感慨深いものがあります。
もとより、ノアがただしく、かつ全き人であったと言われているのは彼が神のごとく一点の曇りも、欠けもなかったということではありません。ただ、彼が意識する限り、責められるところがないように、努めたということです。彼の目は恥ずべきことをして、下を向いたり、ひそかな、いやしい野心をもって周囲を盗み見したりしないということです。彼の人生の姿勢は真っすぐに神に対して、その瞳には神の正義が映っていたということです。あの当時、義人はノアのみでした。さらば、今日、主の御目をお喜ばする者は、はたして何人いることでしょうか・・・・。
イエス・キリストは、主の日はノアの時と同じようですと告げられました
 また、その時「地上に信仰が見られるでしょうか。」と心配されています。
 ノアは箱舟を造る恵みに預かりました。その、箱舟によって、救われたのです。これは「教会に集めよ」との恵みのメッセージです。
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2017年01月16日

1月15日「人の原点」



{人の原点}
「神は人をご自身のかたちとして創造された。」(創世記1:27)

 今日、腐敗し、乱脈をきわめ、日に日に殺伐となり、時には耐えきれぬような環境の中にあって、かつてのエデンの園を思うことは、無用な時代錯誤と言われますか・・・。
 いえ、いえ、決してそうではありません。本来、人間はその創造の当初には、かくも神によって素晴らしい世界に住まわされていたという事をわきまえるとき、世界の現状に観念してしまう無気力と頽廃とから、自らを引き上げうるのです。私共は、かつて園の中を歩まれる創造主と直接交わりを有していたのです。
 人間は今あるべき状態にいないということ、このことを、まず認識することによって、現状を打開し、本来の人を回復する目的と意欲と希望とを掻き立てられるのです。
 いや、神こそすでに回復の手を打っておられたのです。あの堕落の瞬間から、救い主のお約束は直ちに与えられていたのです。その実現のために、主は十字架にかかられ、いのちを捧げて下さったのです。そして、復活され、教会の頭として、キリスト者を神のかたちへと導いておられるのです。
 ですから、そのために、私達は覚悟して教会の中での言動に心を配らなければなりません。自分自身に流されてはならないのです。
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2017年01月08日

1月8日 「勝 利」



「勝 利」
「子供たちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたの内におられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(Tヨハネ4:4)

 今年のカギの句は「キリスト者は勝利した者」です。
使徒ヨハネは、「勝利」ということばを多く使用しています。特に、手紙においてキリスト者を励ましています。その根拠は、キリスト者のうちにおられるイエス様が全てに勝利された方であることです。
 イエス様は何に勝利されたのでしょうか。

1.罪に勝利された。
「私達の大祭司は・・罪を犯されませんでしたが・」(へブル4:15)

2.悪魔に勝利された。
「すると悪魔はイエスを離れていき、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた・」(マタイ4:11)

3.死に勝利された。
「神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらされました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」(使徒2:24)

このキリストがわたしのうちにいて下さることを信じましょう。
posted by sbbc at 02:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年1月1日 「新しい出発」



「新しい出発」
「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)

新年明けましておめでとうございます。
   旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。皆様が祝福されるよう主に祈ります。
  
  二〇一七年が始まります。教会も主に期待して歩み始めます。
 申命記には、イスラエルの民が、約束の地に入る準備をしている記録が書かれています。不信仰によって、民は約束の地に入ることにつまずいて、四〇年の荒野の旅を主から強要されたのです。その宣告通り、四一年目の正月を迎えたのです。主なる神は、約束通り、丁度四〇年間の贖いの日を終わらせ、民を約束の地カナンに入らせるのです。
  新しい指導者として、モーセに従ってきたヨシュアを主からいただき、信仰によって、ヨルダン川を一糸乱れなく、主の御命令に従って、ヨルダン川を渡ったのです。そこには、期待と不安があったでしょう。主は、何回もヨシュアを励ましています。私達も新年、主に期待して、主の御命令に忠実に従っていくところに、主の祝福があります。
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12月18日 「主イエス・キリスト生まれたもう」

「主イエス・キリスト生まれたもう」
 「かれらがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。」
(ルカ2:6、7)
 福音書を書いたルカは、医者で、宣教者パウロの働きを最後まで助けた伝道者でした。また、ギリシャ人であり、学識のある者でした。この福音書と使徒の働きは、当時の高官であったテオピロにキリストを正しく伝えるために書きました。それは、テオピロが聞いていたことが、真実であることを伝えました。最新の注意を払い、よく調べて、順序よく書くことに努めました。
 ですから、出来事が真実であることを示すために、当時の人物像、時期を詳しく書きました。この福音書を読んだ多くの人々は、この時代の事柄を知っている人々でした。神の御業は不思議に思えることがほとんどですが、書かれている状況が正確なので、信じることを助けました。
 キリストの御降誕は、その中でも最も不思議な出来事です。しかし、事実として、ルカは詳しく伝えました。
1.預言されていた通りにお生まれになられた事 2.道ぞなえとしてのヨハネの誕生 3.ダビデの子としてお生まれになられた事 4.お生まれになる時と場所ベツレヘムを明確に記したこと 5.お生まれになられたことの証しのために羊飼いに伝えられたこと 6.羊飼いによって、多くの人々に伝えられたことなどを詳しく書き、神の御業であることを記しました。
posted by sbbc at 02:29| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

12月11日 「時がくれば実現する神のご計画」

「時がくれば実現する神のご計画」
「わたしのことばは、その時がくれば実現します。」(ルカ1:20)
 
神が求められる、みことばにたいする信仰は、「時がくれば実現する」という信仰です。先週は、「みことばは必ず実現する」という信仰について、考えましたが、ただ実現するということだけではなく、「時」も定められていることを神は告げておられます。私達が信ずるか、信じないかによらずに、告知された通りに、神は行われるのです。
 しかし、信じ受け入れた人と信じない人との神の取り扱いが大きく違ってくるのです。祭司ザカリヤは様々な状況から信じられなかった為に、ヨハネが生まれるまで、おしにされてしまいました。ことばは、神から出ていることを教えておられるかのようです。その妻であるエリサベツは「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)と主を大声でほめたたえました。マリヤも「力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」(ルカ1:49)と主を賛美しました。
 ザカリヤは、子ヨハネが生まれ、名をつけるとき、ガブリエルが告げた通りに「ヨハネ」と知らせた時、口が開け、舌は解けものが言えるようになり「古くから、その聖なる予言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに」(ルカ1:70)と主を褒めたたえました。
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12月4日 「牧者ダビデ」

「牧者ダビデ」
 「私は良い牧者です。」(ヨハネ10:14)
 「わたしの口からでるわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰ってこない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。」(イザヤ55:11)
 聖書を通して語られる神は、昔から、民を励ます時、この御言葉にあるように、一度、口から出た言葉は、必ず「成功する」ことを示して来られた。
 預言者イザヤを通して神は、救い主を遣わされることを、語って来られました。この「ことば」が語られた時の状況は、イスラエルの国の存亡の時でした。北イスラエルが罪によって、神のさばきを受けた時、アッスリアの国から攻撃され、占領されてしまいました。アッスリアの国はその勢いで、ユダ王国にも攻め上って来たのです。ヒゼキヤ王は、預言者イザヤに祈ってくれるように要請しました。主は応えられ、主の御業を信じて待つように命じました。民はそこに神の奇跡を見たのです。
 その民に向かって、神に永遠の牧者ダビデを起こすことを告げられたのです。私たちは、王としてのダビデのイメージは強いのですが、神は、牧者としてのダビデを表しました。確かに、ダビデは羊飼いでもあったのです。
 その告げられたことばが、七〇〇年後、イエス様のお生まれによって実現したのです。イエス様は「私は良い牧者です。」と告げられた時、イザヤの預言に示されている「牧者ダビデ」であることを明らかにされたのです。
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11月20日 「信仰は暗号文を解くカギ」

「信仰は暗号文を解くカギ」  
「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。」(マタイ一3:11)
  
 敵に見破られずに、味方に重要な連絡をする方法に、暗号文を用いることがあります。戦争時代だけではなく、今も健在です。大統領選でクリントン氏のメール問題が微妙に選挙の勝敗に影響を与えたともいわれています。
 メールの内容が公表されてしまったのです。
 聖書も神が伝えたいと考えている人に、正しく伝えるために用いられていますが、目にする人は、主の働きを妨害する敵もいるのです。そのために、
 イエス様は、「たとえ」を用いて話されました。弟子たちも、そのたとえ話が理解出来ませんでした。そこで、イエス様に問いました。その時、イエス様は、天の奥義を知ることが許されていない人がいることを伝えました。
 イエス様は、弟子たちにはその意味を解かれました。使徒ペテロも「聖書の預言はみな、人の私的解釈をほどこしてはならない。」(Uペテロ1:20)
 と忠告しています。「無知な心定まらない人たちは、聖書の他の箇所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」(Uペテロ3:16)とも注意しています。
 それでは、正しく受け取るために必要なものは、何でしょうか。それは信仰によって与えられている助け主が導いてくださるのです。
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11月13日 「信仰の目線」

「信仰の目線」  
「あなたは自分は富んでいる、豊かになった、、乏しいものはなにもないと言って実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で裸の者であることを知らない。」(黙示録3:17)
 先日、ベレヤ会の証しの時、ある姉妹がスカイツリーに上った証をされました。「高い展望台から、はるか下に見える町並木や人々の動きを見ていると、神様は地上にいる人々を一人一人見て、対応されていることを思うと神様を畏れました。」と証されました。
 「信仰」は神の目線ですべてを見る事なのです。目で見ることができるものから、見えない心や価値観、真理や霊的なことまで、私達が生きることに必要なものすべてを、神の目線で見る事が「信仰」なのです。それは、聖書の御言葉を通して、見ることです。
  イエス様は、ある日、人々をご覧になった時、「羊飼いのいない羊のように弱りはてて、倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイ9:36)
 これがイエス様の見ておられるところです。また、神の目線なのです。預言者エゼキエルを通して、同じ姿を神は見ておられることを、語られています。エゼキエル書33、34章に詳しく語られています。「彼らは牧者がいないので散らされ、獣の餌食となり・・・・」それ故、神は牧者すなわちダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。」この牧者こそイエス・キリストなのです。教会はこのイエス様の目線で世を見なければなりません。
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11月6日 「牧者を迎えるにあたって」

「牧者を迎えるにあたって」
「あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王としてたてなければならない。」(申命記17:15)

 教会の牧者として、教会が迎えるためには、聖書を通して、神は私達を導いておられます。イスラエルの民が約束の地に入っていく前に、神は、語っています。

1. 神、主の選ぶ者を同胞の中から立てる。外国の人はふさわしくない。
2. 王は自分のために決して馬を多く増やしてはならない。二度とこの道を帰ってはならない。
3. 自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
4. 自分のため、このみ教えを書き写して、自分の手元に置き、一生の間読まなければならない。それは、彼の神、主をおそれこのみおしえの全てのことばとこれらのおきてを守り行うことを学ぶためである。
5. それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また、命令から、右にも左にもそれることがなく、彼と子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。
 これが申命記において、神がイスラエルの民に語られた王の迎え方です。
新約において、教会ごとに立てられる牧者にも適用されるものです。「神が選ばれた者」を迎えることが第一の条件です。
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10月30日 「魂の癒し」

「魂の癒し」
「まことに、彼は私達の病を負い、私達の痛みをになった。」
(イザヤ53:4)
  先日、電通の社員が、残業の多さに耐えきれなく、病気になり、自殺に追い込まれた痛ましいニュースが報道されました。また、東電の課長が激務のため、自殺していたことも報道されていました。私達は、体も心も限界があります。耐えられないほどに要求され逃げ場を失ない、助けもない状態に置かれる時、私たちはどうすれば良いのでしょうか。
 聖書の神―イエス・キリストは、そんな私達を、憐み、病や痛みを担って下さるのです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます。わたしは、こころ優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎがきます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11章28〜30)
 私達に必要ないやしはたましいのいやしです。わたしたちの生きる力は、たましいにあるのです。そして、たましいは神につながることで、健全に生きることができるのです。しかし、残念なことに、人のたましいは、罪によって、神から遠く離れているのです。イエス・キリストはこの罪を処罰してくださったのです。そして再び神に結び会してくださったのです。
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10月16日 「大牧者イエス・キリスト」

「大牧者イエス・キリスト」
「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)
  
私達の信仰は、イエス・キリストを牧者として信じ、従うことです。ですから、イエス・キリストがどういう方であるかに全てはかかっているのです
その為に、イエス様を知りましょう。

1. イエス・キリストは良い牧者です。
 羊の囲いの門から入ります。
門番は彼のために門を開きます。羊は、その声を聴き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。すると羊は彼の声を知っているのでついていきます。しかし、他の人には決してついていきません。
 良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは私を知っています。

2. イエス・キリストは羊の門です。
 イエスを通って入るものは救われます。また、やすらかに出はいりし、牧草を見つけます。
 羊がいのちを得、またそれを豊かに持つために導かれます。羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げて行きます。
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10月9日 「あわれみ深い主」

「あわれみ深い主」
「わたしはあわれみを好むが、いけにえは好まない。」(マタイ九:一三)
  
 神は旧約の時代から、「あわれみ深い神」として、イスラエルの民に語ってこられました。
「その愛とあわれみによって、彼らをあがない、昔からずっと、彼らを背おい、抱いてこられた。」(イザヤ六三:九) 
「神よ、御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私の罪をぬぐいさって下さい。」(詩篇五一:一)
 イスラエルの民は、主の憐みによって、神の民とされたのです。そして、律法が与えられ、幕屋が建てられ、祭壇が設けられたのは、民の罪をあがない、神と共に歩むためでした。神は罪人を退けたのでなく、常に招いておられたのです。
しかし、民は、時間の経過とともに、犠牲を捧げることが主に喜ばれることであると考えるようになってしまったのです。その民に向かって、神は預言者を通してみこころを告げられました。「主はなにをあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ六:八)また、イエス様も「律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。」(マタイ二三:二三)と語っておられます。
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10月2日 「継続する信仰」



「継続する信仰」
「あなたがたのために絶えず祈っている。」(Uテサロニケ一:一一)
 神が私達に与えて下さった信仰は継続する信仰です。イエス様を救い主と信じたならば、常に信じ続けることが要求されます。そして、語られたことは、必ず実現すると信じ、神に従うことを求められます。
会堂司ヤイロはこの信仰によって、大きな恵みを主イエスから頂きました。
@ ヤイロは勇気をもって、イエスの御前で自分を低くした。
大勢見ている前で、イエスの御前で、ひれ伏してお願いしました。会堂司の手前、大勢の人々に知られていました。
「会堂司」は、町々に礼拝する場所であり、普段は学校としての役目をになっていました。ヤイロはそこの管理者でした。
A ヤイロは熱心に願った。
娘が死にかけていました。
B ヤイロは、イエス様は救い主であると信じていました。たとえ死んでも生かして下さる方であると信じていたのです。
C 途中、失望することがあっても、イエスに励まされて、信じ続けたのです。
大勢の人に囲まれて、早く進むことが出来なかった。その上、長血を患った女性の癒しのために、手をくれになったのです。しかし、イエスに対する信仰はなくならなかったのです。
D その結果、イエスの御業によって、娘は生き返ったのです。
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2016年09月26日

9月25日 「罪赦される信仰」



「罪赦される信仰」
「主のみ名を呼び求める者は、だれであっても救われる。のです。」
(ローマ一〇:一三)

  罪が赦された中風の男性の信仰はどんなものだったのでしょう。
一、 熱心に求める信仰。
 彼は動くことができません。そこで、同じ信仰をもっている仲間に手伝っていただき、寝ているままの姿で、イエス様のところに運んでもらいました。
二、 障害を乗り越える信仰
 イエス様には、大勢の人々が取り巻いて近づくことができません。そこでかれらは、諦めないで、屋根からロープを使って、つりおろしました。
三、 罪を認める信仰
 イエス様は彼らの信仰を見られて「あなたの罪は赦されている。」と告げられた。彼らは神の御前で罪を認め、その赦しを願っていました。すなわちイエス様を神の子として信じ、救って下さる方である信仰をもって御前にでました。
四、 信仰が正しいものであることを、体の癒しによって証明された。
 パリサイ人や律法学者は、イエス様を罪を赦す権威は持っておられないと考えていました。これまででも、同じ中風の人をイエス様は癒しておられたことは、パリサイ人は知っていましたが、信仰がなかったのです。
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9月18日 「共におられる神」

「共におられる神」
「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共にいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア一:五)
「恐れ」は私達の生活に大きな影響を与えます。先日、相模市の障害者施設で殺傷事件があり、社会に多大な不安を与えました。それは、「恐れ」となって生活に支障が出始めています。恐れから解放されるにはどうすればよいのでしょう。信仰に回答があります。
 ある時、イエス様は弟子の信仰のないことを指摘されました。船でガリラヤ湖を渡ろうとした時、強い風と波に襲われ、船が沈みそうになりました。弟子のペテロさんたちは、恐れに支配され、「主よ、助けください。私達は溺れそうです。」と、叫びました。恐れている弟子にしてイエス様は「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちだ。」と叱りました。この時、イエス様はどんな信仰を求めたのでしょう。
 旧約聖書のヨシュアの記事が参考になるでしょう。冒頭の聖句にあるように、恐れに支配されていたヨシュアを、主なる神は励ましました。その根拠に、「あなたと共にいる。」と語られたのです。ヨシュアは、そのみことば信じて、勇敢に立ち上がったのです。
 イエス様は同じ信仰に立つことをペテロさんに、求めたのです。それが恐れから解放される唯一の手段です。彼らは、復活の主にお会いした時から、この信仰に立って、勇敢に戦ったのです。
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9月11日 「信仰の役目」

「信仰の役目」
「信仰がなくては神に喜ばれることは出来ません。」(へブル一一:六)

 先日、出かけている時、車が突然故障して、動かなくなりました。それからが大変でした。保険会社に連絡し、修理会社を捜してもらい、レッカー車で修理工場まで搬送してもらい、修理が終るまで台車を借りて家までやっとの思いで、帰ってきました。
 故障個所は、ミッションが壊れてしまったのです。ミッションはエンジンの力を車輪に伝える働きをします。その故障の為に、エンジンは動くのですが、車輪にその力が伝わらないのです。アクセルを踏んでも、エンジンが空回りするだけなのです。
  このミッションの役目は、丁度、信仰がはたす役目に似ています。イエス様の御力は、誰にも同じなのですが、ある人には、御言葉通りの御業がなされるのですが、ある人には、御言葉通りにはなりません。なにが、その違いを産むのでしょうか。そのカギが「信仰」というミッションの働きが正常に機能しているか、していないかによるのです。ミッションが機能していなければ、エンジンの力は、車輪に伝達しないように、「信仰」がなければ、イエス様の御業は行われません。
  百人隊長の僕の癒しの御業は、このことを教えています。イエス様は「あなたの信じた通りになるように」と答えました。僕はその時癒されたのです。
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9月4日 「盟約の実行」



「盟約の実行」
「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ一:二二)

 先日、教会の玄関前にある、かえでの枝切をしました。夏場に伸びた枝を切ってほしいと頼まれたのです。ふたつ返事で引き受けました。が、実行するとなると二の足をふんでしまいます。台風が来るからとと言って、延ばし、昼間は暑いと言って、涼しい時にやろうとしても、朝早くするのは少々つらい等々、理由をつけては後回しになってしまいます。
 イスラエルの民は、盟約は結びました。異邦人と婚姻を結ばない。安息日には、売り買いはしない。捧げ物の規定を作って、神の宮を第一にするなどを約束したのです。しかし、実行するには、戦いがありました。
 ネヘミヤがしばらくエルサレムを留守にしているとき、民は、約束をはたさなかったのです。以前の状態にもどりました。ネヘミヤは、再び、民に、聖書から、実行する大切さを語りながら、説得しました。民は聞入れ、盟約を実行に移したのです。その行動は主に祝福されました。イエス様が来られる時まで、エルサレムは守られたのです。
  「完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、ことを実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(ヤコブ一:二五)
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8月28日 「奉献式」



「奉献式」
「彼らは・・・感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行おうとした。」
(ネヘミヤ一二:二七)
  先日、船橋教会の献堂式に出席しました。会堂の完成は喜ばしいことです。
 それ以上に、その会堂を主にお捧げすることは、さらに素晴らしいことです。
  ネヘミヤをはじめイスラエルの民は、城壁再建が完成し、聖なるエルサレムの機能が整えられ、民の神への献身が告白され、新しい神を中心とした生活がいよいよ始めることが出来る所まで来ました。
  その初めに彼らは、全てを主に捧げたのです。主を第一にすることを明らかにしたのです。民は大人から子供まで、また、男子も女子も全ての人々が歌を歌いながら喜んで奉献式を行ったのです。
これは、型です。また、模型です。本物は、新しいエルサレムとして、将来、来るのです。救われている方は、この奉献式に出るのです。イスラエルの民以上に、喜びをもって祝うのです。模型はなくなりますが、本物は永遠に変わることなく、存在するのです。
「都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と一二の門があって、それらの門には一二人の御使いがおり、イスラエル子らの一二部族の名が書いてあった・・・・また都の城壁には一二の土台石だあり、それには、小羊の使徒
 の一二の名が書いてあった。」(黙示録二一:一一〜一四)
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8月21日 「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」

「聖なる都エルサレムに命を吹き込む」
「この町は広々としていて、大きいかったが、そのうちの住民は少なく家もまだ十分に建てられていなかった。」(ネヘミヤ七:四)
    最近世界遺産が日本においても話題を呼んでいます。富士山、、知床など自然や、最近認められた西洋美術館など、造形物も登録されています。
  また、樹齢何百年になる樹木や巨大な石など、古くから変わらずに存在している物に畏怖の念をもつ人も少なくはないでしょう。人の心の内には、「変わらない」というところに魅力と安心をもつものがあるようです。
  聖書の神は、変わらない神です。その証しは聖書です。一旦語られた言葉は、どんなことがあろうとも変わることがありませんでした。
  ダビデが建てたエルサレム、そして、その中心にソロモン王が建てた神殿を、神は祝福されたのです。エルサレムの繁栄は主の栄光です。しかし、神を忘れて神から離れるならば、町は廃墟となったのです。
  ネヘミヤは、このことを悟りました。エルサレムの町を廃墟から建て直し
 機能をするように、整えていったのです。町のいのいちである、住民を住まわせる手配をしたのです。町の機能が回復するように、ソロモンが整えた秩序に習って、民を選んだのです。ソロモンの時代は約五〇〇年もさかのぼります。神が整えた秩序な時が過ぎても変わることはないのです。これは、これからも変わることはないのです。永遠の都は、私達が憧れ目指している都、それは新しいエルサレムなのです。
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2016年09月09日

8月14日「礼拝のために心を一つにして」ネヘミヤ10章

「礼拝のために心を一つにして」
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時がきます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」(ヨハネ四:二三)
  
日曜学校の子供たちが、花の日に植えた朝顔が、朝日を浴びて美しい花を咲かせています。その姿は、神様を力いっぱい讃美しています。
そのためには、種を蒔き、苗を植え変え、水をやり、棚を作り、忍耐して毎日水をかけなければなりません。少しでも怠けると、花は咲くことはありません。そのためには、多くの人々の手が必要です。そして、その苦労は、美しい花が咲き誇る時、報われるのです。
  まず最初に、イスラエルの民は、礼拝のために、心を合わせて準備しました。律法から特に、一〇項目を定めて盟約を結んだのです。
@ 異邦の民と婚姻を結ばない。A安息日に買い物をしない。B七年目
に土地を休ませる。負債を取り立てない。C神の礼拝のためにシェケル3分の1をささげる。Dたきぎの捧げ物をする。E土地の初成りとあらゆる初成りとを携えてくる。F子供と家畜の初子、羊、牛の初子を祭司のところに携えてくる。G初物の麦粉と、奉納物、あらゆる木の果実、新しい葡萄酒と油を祭司のところに携えてくる。H土地の十分の一はレビ人の物とする。Iレビ人は十分の一の十分の一を神の宮に携えてくる。

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8月7日「新しい出発」ネヘミヤ9:1~

「新しい出発」
「神のみこころに添ったその悲しみがあなた方の内にどれほどの熱心を起こさせたことでしょう。」(Uコリント七:一一)
  
  「みことばは、人の内に働き、悔い改めに導きます。」
 イスラエルの民は、仮庵の祭りの中で、一週間、御言葉を読みました。長い間、忘れられていたことでした。城壁再建は終わりましたが、生活上の状況は何も変わってはいませんでした。しかし、その中で、神様との関わりを変えることができたのです。
  最初は、ネヘミヤに励まされて、主の働きに参加しました。そして、完成した時、彼らは、自ら、聖書を通して、神のみこころを理解したのです。
 それは、彼らの魂にしみこんでいったのです。今の苦難の原因を知ったのです。それは、主に犯行してきたために、主のこらしめであることを悟ったのです。そして、悔い改め、主に立ち帰ったならば、主は赦し、受け入れて下さることを知ったのです。
  「彼らは告白し、盟約を結びました。」
 イスラエルの民は、4分の1日(6時間)かけて告白しました。今までの示された全ての罪を告白しました。そして、これから主に従うことを、決心し、盟約を結んだのです。そして、行動しました。イエス様を迎える備えをしたのです。約四〇〇年経過して、救い主は来られたのです。
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7月31日「みことばに従う恵みー大いなる喜び」ネヘミヤ8:13~

「みことばに従う恵みー大いなる喜び」
「自分たちのために仮庵を作った。・・・・それは非常に大きな喜びであった。」(ネヘミヤ八:一六、一七)
  行動には必ず結果が伴います。
頭で考えているだけだったり、心で思っているだけでは、期待できる結果は生じません。食事は食べなければ力になりませんし、美味しさもわかりません。オリンピックで日の丸をあげたいと思っているだけでは、よい成績をあげることは出来ません。そのために、体を鍛え、練習に身を入れなければなりません。
信仰においても同じことです。
ここに思い違いをしている人がいます。信仰は行いではなく、心で信じていればそのようになると考えている人がいます。そうではありません。「こころで信じて、口で告白して救われるのです。」
  イスラエルの民は、律法を熱心に調べました。そして、仮庵の祭りをする
ことが神の御命令であることを知りました。彼らはすぐ行動しました。全ての民におふれを出し、仮庵を作り、そこに住んだのです。その時、民のこころになにが起こったのでしょう。大いなる喜びに満たされたのです。それは、主なる神の喜びでした。
  ペテロは、信仰の結果である、救いを得ている者には大いなる喜びがある
 と語っています。喜びは救われている結果なのです。
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7月24日 「喜びの日―大贖罪の日」ネヘミヤ8:9~12



「喜びの日―大贖罪の日」
「特にこの第七月の一〇日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。」(レビ記二三:二七)
 
  第七の月が「喜びの月」である理由
一 一年の収穫が終わった月である。
 第七の月はぶどうの収穫が終わり、葡萄酒の仕込みが終わる時です。神様に収穫の感謝をささげる時です。神様が祝福して下さったことを忘れることがないように神様に感謝を表します。私達はどうでしょうか。
二 一年の罪の赦しがなされる時です。
 イスラエルの民が主と共に過ごすためには、罪があってはなりません。気が付く罪はそのつど贖いがなされますが、気が付かない罪のため、また、表に出てこない罪など一年間の全ての罪のために、贖いがなされるのです。それによって、聖なる民として神様に受け入れられるのです。それ程に、神様は聖い方なのです。神の民の第一条件は「聖」であることなのです。
三 奴隷からの解放がなされたことを覚える「仮庵の祭り」が行われる月なのです。
 エジプトの奴隷状態から、解放され、自由の民とされ、神は主となり、イスラエルの民は神の民となったのです。そして、四〇年間にわたって、雲の柱、火の柱によって、荒野の旅を守られたのです。 
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7月17日 「あなたにとって幸せとは?」山宮先生




「あなたにとって幸せとは?」
「ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。」(ローマ書四:六)
  
  先日、義理の兄が私に、仏教では「空の空」というテーマを扱ってきたが聖書はもっと古くから「空」を悟っていたのが解った。」と感慨深く話していました。
人は、昔から今に至るまで、「幸せ」を追い求めてきました。聖書は最初の人アダム以来このテーマを扱ってきました。創造以来人の思いは変わっていないのです。どうすれば幸せになれるのでしょう。聖書に期待してこころを向けましょう。
 {山宮利忠先生のご紹介}
 ラージャス先生と共に横浜教会を開拓され、教会を六〇数年にわたって建てあげて来られました。教会を後任に託されて、現在宣教牧師として主のご奉仕をされておられます。
  横浜教会は佐倉教会の設立のため、教会の権威を頂きました。その後も
 多くの支援を頂き今日に至っています。
  神学校の教師として、献身者の指導に長くご奉仕されました。また宣教委員長として、宣教師の支援にも携わってこられました。
  そのご経験を通して、聖書から解りやすく救いについて話して下さいます
posted by sbbc at 07:05| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする