2017年11月26日

11月26日 {家族の祝福}

{家族の祝福}
 「主はシオンからあなたを祝福される。」(詩篇一二八:五)
 
1、主は家族を祝福される。
 主の目は、主の道を歩んでいる者に常に注がれている。人々は美しい都エルサレムに目を奪われますが、神はその中の「主を畏れ、主の道」を歩んでいる、まずしい一人の聖徒に注目されます。そして、声をかけられます。「幸いなものよ。」と。

二、その喜びとは!
 
@勤労が祝福され、その実を食する時、喜びが沸き上がる。
A妻は豊かに実を結ぶブドウの木のように、その働きが祝福され、あなたの喜びとなる。
B子らは、オリーブの木を囲む若木のように祝福される。
 オリーブは、平和の象徴であり、勝利の印です。オリーブの実は植えられてから一四〜一五年ころから実をつけ始めて、三〇年ごろが、一番多くの実をつけます。どこか人に似ています。しかし、常緑樹であり、樹齢は千年以上のものも珍しくはありません。
 主は、主の道を歩む「あなた」はオリーブの木のような祝福された者であり、あなたの子は、あなたの根から芽を出してくる若木のように、あなたの喜びとなり、幸せをもたらす者となる。




 
 



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11月19日 {注がれている主の目}



{注がれている主の目}
 「主はその愛する者には、眠っている間に。このように備えてくださる。」
(詩篇一二七:二b)
 
1 神は、昼夜、教会に目を注いでおられる。
 先日、天皇陛下が鹿児島県の離島を訪問されました。火山活動によ被災した島民を励ますためでした。その映像の中に、一人の老婦人が、天皇陛下が私たちのために、わざわざ遠い島まで訪ねてくださったことに大変感激されていました。
 人は、自分のために、忘れないで心を使ってくれることを喜びます。ソロモン王は、素晴らしい都を建設しました。多くの国々の王は、エサレム見にやってきます。そして、その素晴らしさをソロモン王に話します。しかし、王は、主によって建て、主によって守られていることを証しするのです。その目は、今、教会に目が注がれています。主イエスキリストが十字架を担われて、隅のかしら石となって建てられた教会に
目を注ぎ、守られているのです。

二 一番小さな子供たちにも目を注いでおられる。
 大きな町エルサレム、その中に生かされている一番小さな命に、ソロモン王は、神の御業のすばらしさを見るのです。目を見張る壮麗な神殿ではなく、主の目は一番ちいさな子供に向けられているのです。
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2017年11月15日

11月12日 {幼児へのイエス様の祝福}

※音声録音データありません。

{幼児へのイエス様の祝福}
 「手を彼らの上に置いてから、そこを去っていかれた。」(マタイ一九:一五)
 
1 イエス様は幼子の信仰を受け入れられました。
 「私を信じるこの小さいものの一人にでもつまずきを与える者は・・」(マタイ一八:6)とイエス様は教えられました。
 小さい者のイエス様に対する信仰は人々の模範者として、おとなの弟子たちに告げたのです。私たちは、子供の信仰は、よく理解していないのだから、もっと大きくなってからバプテスマを受けたほうが良いのではと考えていないでしょうか。先日、稲毛教会の三〇周年礼拝で証された方は七四歳の男性でした。
その証の中で、五歳になるお孫さんの信仰の勧めで、信仰に導かれました。そして、そのお孫さんと一緒にバプテスマを受けられました。その信仰からの勧めをイエス様は用いられたのです。
 
二 イエス様は幼子をいつも心にとめておられます
 キリスト者でない人でも、子供の成長は、神の守りが必要であることを知っています。多くの人が宮参りに行きます。
 イエス様の周りには、いつも子供たちがいました。そして、子供の成長を心から願っておられました。私たちの人生は、全ての時期がつながっているのです。子供への祝福は、おとなへの期待を持たせてくれます。


 
 



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11月5日 {キリストの力}

※音声録音データありません。

{キリストの力}
 「だれかが私にさわったのです。私から力が出ていくのを感じたのだから。」(ルカ八:四六)
 1 神の力は人のいのちを生み出します。
 私たちの命と身体は、神の知恵と力による御業によって、生み出されます私たちはその恵みによって、生かされています。自分の力によって支えているのではありません。食べること、体を動かすこと、物事を考えることで支えているのではなく、神によって支えられているので、用いることができるのです。その証拠に、全ての機能を、自分でコントロールすることはできないのです。私たちは高慢になってはなりません。ある医者が「私たちの医療は、神の手伝いをしているにすぎません」と語っています。
 二 神の力は、永遠の命を人の内に与え支えます。
 信仰によって、神は、永遠の命を信ずる人の内に生みだします。そして支えます。「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」(エペソ五:一九)これが、主の栄光と賛美なのです。食事は身体を支えるためだけではなく、神に感謝する時であり、互いに交わり喜ぶ時でもあるのです。体を動かすのも、健康を維持するためだけではなく、他の人々を助けるためでもあり、互いに喜ぶためでもあるのです。霊的なことにおいても同じです。霊的活動は、神の喜びであり私たち互いの喜びなのです。喜びと感謝が主の栄光を現すことなのです。
   
 
 



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10月29日 {キリストの内住}

{キリストの内住}
 「見よ。私は戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聴いて戸を開けるなら、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私とともに食事をする。」(ヨハネ黙示録三:二〇)

 人生において、共に歩いてくれる人を持っていることは幸いです。それは家族であったり、友であったりします。一番近い者は、夫であり、妻でしょう。
 キリスト者にとっては、この全てにあてはまるのがイエス・キリスト様です。ある時は兄であり、良き友であり、良き伴侶です。ともに喜び、共に悲しんで下さり、助け、励ましてくださいます。そのキリストが私たち
の内に住んでいて下さり、決して離れないように、共に歩んで下さるところに、救いがあります。
 イエス様の側は、すでに、全ての準備は終わっておられます。いつでも私たちが心のドアを開けて

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10月22日 ※記録なし

10月22日 ※記録なし
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2017年10月28日

10月15日 「パウロ祈り」


{パウロの祈り}
 「すべてのものの名の元である父の前に祈ります。」
(エペソ三:一五)
  伝道者パウロの祈りを通して、祈りを通して、父なる神の祝福を見ましょう。パウロは祈りをする時、呼びかける神がどのような神であるかを書き記しています。そこに、神に期待するパウロの心が見えます。
 孫が、眠くなると、お母さんのところに来て、一緒に寝てくれるように必ず要求するそうです。決して父親のところには来ません。また、起きている時は、一緒に遊んでくれる父親のところに来て、相手をしてくれるよ
う要求します。自分の期待をかなえてくれる者のところに行っておねだりをします。私たちも同じなのではないでしょうか。
 パウロは、父なる神が自分の期待に必ず応えて下さる方であることを知っているのです。では、パウロが期待している神とはどんな方なのでしょう神は「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元」である。
 天上のエルサレムには、高い城壁と一二の門があって、門には一二部族の名が書いてあり、城壁には一二の土台石があり、子羊の一二使徒の名が書かれています。(黙示録二一章一二〜一四節)「家族」とは、旧約の部族
です。当時は部族の名ですべての民を数えていました。また、新約では、使徒を通して福音が伝えられ救われた者が神の家族として教会に加えられたのです。「その元」とは、その全てを創出された方なのです。

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10月8日「神の家族」

※今回は録音メッセージはありません
{神の家族}
 「あなたがたは・・今は…神の家族なのです。」(エペソ二:一九)
  
 家族の重要性は、神は昔から、人々に語ってこられました。
「しかし主は貧しい者を悩みのうちからあげて、その家族を羊のようにされた。」(詩篇一〇七:四一)(口語訳)
 主は家族単位で、祝福し導いて来られたのです。ノアの家族の救い、ヤコブの家族の救い、ピリピの監仕の家族の救いはよく知られています。
伝道者パウロは、神の祝福の基は、家族にあることを明らかに示されました。救われた人々は、「神の家族」を構成していることによって、神の祝福をうけることができる確信なのです。
 
「家族の祝福」

一 同じ命を頂いている。
この命の中に、構成される必要なものが、全てが含まれているのです。永遠のいのちは「イエスのいのち」なのです。

二 家族の大黒柱はイエス・キリストです。
 家族を守り、育ててる全ての責任はイエス様が負ってくださいます。イエス様の権威は、そのために父なる神より与えられているのです。罪に打ち勝つ力、死に打ち勝つ力、悪魔に打ち勝つ力、御霊の実をならせる力、私たちに必要なすべてのものを持っておられるのです。
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2017年10月21日

10月1日 「いのちのつながり」

※今回は録音メッセージはありません

{いのちのつながり}
 「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが
全うされて一つとなるためです。」(ヨハネ一七:二三)
  
 教会に来る田んぼ道に、雀の群れが飛び交っているのを見ます。家族なのでしょうか、また、親族なのでしょうか。決して一羽だけで行動はしません。互いにつながっているようです。それによって、何か益があるのでしょうか。また、災害などで、被害を受けた人々の話に、「人のつながりの大切さを実感しました。」ということを聞きます。多くの人々の助けを受けて「一人ではないのだ。」と勇気をいただきましたという声を聴きます。
 イエス様は、「一つになる。」ことの大切さを語っておられます。しかもイエス様と繋がる必要を話しています。それは、父なる神様と子なるイエス様が私達と繋がることを、求めておられのです。
 「永遠のいのち」は、イエス様と繋がることであり、永遠に決して切れることのない強い絆で結ばれているのです。つながることは、「いのち」の中に必然的に形成されているものなのでしょう。人は、そのつながりを
請いにきってしまいました。それが罪です。そのゆえに人は生きられなくなりました。イエス様はその絆をもう一度取り戻すために、世に遣わされ罪を取り除き、神様と再び繋がれるように死に蘇られたのです。


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9月24日 「神の守り」


{神の守り}
「あなたがわたしに下さっている聖名の中に彼らを保ち、また守りました。」(ヨハネ一七:一二)
  
 イエス様は、父なる神に、信じる者が悪い者から、守られるようにとりなしてくださいました。その真実の証しは、イエス様が天に昇られるまで、弟子たちを最後まで守られたことにあります。では、どの様に守られたのでしょうか。

一、 イエス様の説教を聞いた多くの人々が、イエス様から、離れて行き、共に歩まなかったのです。しかし、一二弟子は、離れなかったのです。(ヨハネ六:六六)

二、 ユダヤ人はイエス様を殺そうと、いつも機会を狙っていました。(ヨハネ七:1、19、32、八:59、一〇:31)
このことは、弟子たちにも、手が伸びることを明らかにしています。しかし、捕らえられることはありませんでした。

三、 ゲッセマネの園において、イエス様は、ご自身を追手の前に立ちはだかり、弟子たちを去らせました。

「それは『あなたが私に下さった者のうち、ただの一人も失いませんでした』とイエスが言われたことばが実現するためであった。」(ヨハネ一八:九)ヨハネはこの事を詳しく書き記しています。


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9月17日 「イエスの祝福」


{イエスの祝福}
 
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ一七:三)
  
祝福はギリシャ語で「エウーロギア」と言います。「エウ」と「ロギア」の合成語です。
「エウ」は「豊富、繁栄、良い事」という意味です。「ロギア」は、「ロゴス」の変形です。
「ロゴス」は「ことば」を意味します。すなわち祝福は、「ことばを繁栄させる」ことなのです。
イエス様が語られた「ことば」を繁栄させるのです。
同じような言葉に「エウーアンゲリオン」(福音)ということばがあります。
「アンゲリオン」は「使者、預言者」という意味です。併せると「美しい使者、良い事を伝える預言者」となります。
「祝福に満ちた神の栄光の福音・・・」(Tテモテ一:一一)にあるように
福音は神の祝福なのです。その実現のために、イエス様は神よりこの世に誓わされたのです。
その内容は「御言葉を受け入れたすべての人々に永遠のいにちを与える」ことです。
それは、「唯一のまことの神であるあなた」と「あなたの遣わされたイエス・キリスト」を受け入れることです。それを信じることによって信じた人のうちに、イエス様は、永遠のいのちを与えて下さるのです。これが、イエス様の祝福の御業なのです。信じましょう。


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2017年09月08日

9月10日 「成就」

※今週はメッセージの録音はありません。

成 就
「私のことばは、その時がくれば実現します。」(ルカ一:二〇)
「主が・・・約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した」           
(ヨシュア二一:四五)
 
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9月3日 「祝福の基」

※今週はメッセージの録音はありません。

祝福の基
「汝は祝福の基となるべし。」(創世記一二:二)
(使徒二:二四)
 
一、私達の幸いは、主イエス・キリストの祝福によって、与えられます。
五つのパンと二匹の魚が、五千人以上の人々の食事を賄えたのはなぜでしょうか。それは、イエス様が「天を見上げて祝福を求め」たところに理由があります。必要が満たされたのは、神様の祝福の御業によるのです。

二、主の晩餐の時、イエス様は、パンと葡萄酒を渡される時、祝福されました。「それからみなが食事をしている時、イエスはパンをとり、祝福してのち、これを裂き、彼らに与えて言われた。」(マルコ一四:二二)
 祝福されることによって、パンがイエス様のからだに、葡萄酒が、イエス様の契約の血になったのです。

三、パウロが、ローマへの護送の時、船が嵐に会った時、二七六人の食事を用意したのです。
船が難破しそうになり、乗っていた人々が元気を失いつつあった時、パウロは、「あなたがたは、待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして一四日になります。ですから、私はあなたがたに食事をとることを勧めますこれであなたがたはたすかることになるのです。・・・」こう言って彼はパンを取り、一同の前で神に感謝を捧げてからそれを裂いて食べ始めた。
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8月27日 「主の弟子になろう」



「主の弟子になろう」
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
(マタイ二八:一九)
  
一、主が必要とされておられる。
「あなたがたで用意しなさい。」と主は弟子ピリポに命じました。
主は、民の必要を知っておられた。民はそこまで期待していなかったのです。
二、その働きは、驚くべき働きであった。
ピリポは、自分たちには、出来ない働きであった。「二〇〇デナリでも足りません。」と答えるしかありませんでした。二〇〇デナリとは、今のお金で約二〇〇万円ぐらいです。自分たちは、何も持っていません。
三、ずかな物を主の手に委ねる。
これには、信仰が必要です。アンデレは、一人の少年が差し出した弁当を、イエス様の所にもってきました。しかし、これでは、到底間に合いませんが、イエス様の御前に差し出したのです。その信仰の行動は、イエス様が「持って来なさい。」と言われたからです。その言葉に従ったのです。
四、その結果、驚くべき経験をしました。
十分に必要が賄えたのです。五千人以上の人々が満腹したのです。
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2017年08月23日

8月20日 「養いの主」



「養いの主」
 「彼らが出かけて行く必用はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べるものをあげなさい。」(マタイ一四:一六)
  
一、この御業は「神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられます。」の実物訓練です。

二、人々はイエス様を求めました。
多くの人々は、様々な求めをもって、イエス様のおられる所に集まりました。ある人は、病気の癒しを求めて、また、ある人は、キリストを求めて、ある人は、救いを求めて、また、イエス様のお話を聞くために、どんなに遠くても、あとをおったのです。

三、イエス様は、人々の必要を知っておられた。
イエス様は、「群衆を見て、深くあわれんで、彼らの病気を直された」のです。しかし、イエス様は、それ以上、彼らの必要を知っておられました。魂の羊飼いの必要を強く覚えられたのです。

四、私が良い羊飼いであることを示されました。
男子で五〇〇〇人ほどの食事を用意しました。たった五つのパンと二匹の魚で、賄うことが出来たのです。これは、イエス様の声に、応答した子どもの弁当一人分だったのです。
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8月13日 「地引網」



「地引網」
 「天の御国は、海に下ろしてあらゆる種類の魚を集める地引網のようなものです。」(マタイ一三:四七)
  
一、天の御国は、地引網のようなものです。
地引網を引き揚げている風景は、九十九里浜などで見かます。何十メートルもある大きな網を海に仕掛けます。一日経ってから、大勢の人々で網を、浜辺に引き寄せます。そこには、いろいろな種類の魚が網の中で泳いでいます。漁師は、食べることが出来る魚や、売れる魚は、籠に取ります。そして、利用できない魚は、海に戻すのです。
この世界も、網を引き揚げる時があることをイエス様は、はっきりと示されました。そして、神にとって、正しく、役に立つものと外に捨てられてしまうものとに分けられることを明らかにしました。その選別は、主によってなされるのです。    

二、あなたは良い魚ですか。
   良い魚であることの保証は「あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私達が御国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ一:一三、一四)
今、福音を信じ、聖霊との交わりを、大切にしておられますか。
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8月6日 「隠された宝のように」



「隠された宝のように」
 「悟りを呼び求め、英知を求めて、声をあげ、銀のように、これを捜し隠された宝のようにこれを探りだすなら・・・主を知る」(箴言二:四)
  
一、天の御国は、隠された宝のようなものです。
 ここのポイントは、「隠されている」ということです。
これはイエス様のユーモアです。「宝」というヘブル語は、「マットモン」です。この言葉は「地に隠す」動詞からできています。その由来は、銀行がない時代に、人は、財を蓄えるために、カメの中に入れ、地中に隠していたところから言われるようになりました。
又、旧約聖書には、「あなたはご自身を隠す神」(イザヤ四五:一五)
と、示されています。主を求めることを命じられる時「隠された宝のように探り出すならば」と表現されています。

二、主は、私達に隠されている宝を捜す努力を命じておられます。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ七:七、八)
「命に至る門小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ七:一四)
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7月30日 「天の御国は目に見えない所で建てられて行く」



「天の御国は目に見えない所で建てられて行く」
天の御国はパン種のようなものです」(ピリピ二:一)
  
一、天の御国は、からし種のようなものです。
  御国を力強く、キリスト者の内に建てあげておられる。
からし種を見たことがあるでしょうか。以前仁戸名にある青葉の里に出かけた時、からし種が展示されていました。顕微鏡で見なければ見えないほど小さい種でした。近い物で、ごまの種に似ています。油が採取できるのも似ています。しかし、成長すると、比べ物にならないほど違います。ゴマの茎はせいぜい一mぐらいですが、からし種は五mにもなるそうです。
同じ様に、天の御国は今は目に映らないほど小さいけれど、確実に、そのいのちは生き、成長していくのです。後に何よりも大きくなっていくのです。

二、天の御国はパン種のようなものです。
 パン種は、水で練った小麦粉の中に、少料入れて、ねかせていると時間が経過すると、膨らんで、美味しいパンの生地ができます。小麦と分散させることはできませんが、パン種が持っている力が十分に発揮されていることが、小麦粉を見ると分かります。
 
三、信仰によって、御国の国民として、忠実に主に仕えましょう。
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7月23日 「世の秩序」



「世の秩序」
「この世の終わりにもそのようになります」(マタイ一三:四〇)
  
一、主はどのような方なのか。
  世を最後まで、御支配されます。
今の世界はどこに向かっているのだろうか。私達には、現象が目に入ってくるだけです。なぜ、このような悲惨なことが起こっているのか解らないのです。まして、その背後には何があるのかさえ思いつかないのです。早く時が経つように思われて、なんとなく漠然とした不安に支配されています。
しかし、イエス様は、はっきりと、世を支配しているのはご自身であることを、弟子たちに明らかにされました。麦の例えを用いられて麦には収穫があるように、この世にも、同じように、収穫する時、すなわち、終わりの時があることを示されたのです。その時、遣わせれる御使いは、イエス様によって、遣わされるのです。

二、人は、神はなぜ悪を見逃しておられるのだろうか。
  弟子たちの疑問に対して、イエス様は答えられました。目をつぶっているのではなく、麦と毒麦を間違えないように、収穫するために、悪を早急に裁くのではななく、見守っていると言うのです。裁くのは終わりの時なのです。ですから、神を侮ってはなりません。
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2017年07月18日

7月16日 「四つの種」



「四つの種」
「種を蒔く人が種まきに出かけた」(マタイ一三:三)
  
一、主はどのような方なのか。
 みことばを蒔く人です。
 みことばは、麦の種のようなものです。
 イエス様はたとえを用いて、神の奥義を話されました。
 イスラエルのあちこちで見られる風景でした。秋ごろになると、麦の種を畑に蒔きます。ばらまきですので、ある種は道端に落ちました
 別の種は石地に落ちます。また別の種は、茨の中に落ちてしまいました。また、耕された良い地に落ちました。しかし、成長し実を収穫できたのは、良い地に蒔かれた種でした。
二、種を蒔く人―主―の期待は収穫することです。私達は良い地でしょうか。
 みことばは、全ての人々の心に蒔かれています。イエス様は、四つの種のパターンを示すことで、御言葉に対して、全ての人の心の状態を描かれました。このパターンしかないのです。そして、実を結ぶ心は、良い地でなければならないのです。他の三つの状態では、実を結ぶことはできないのです。みことばは完全です。実を結ぶか、枯れてしまうかは、聞く私達の心の状態に左右されるのです。
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2017年07月11日

7月9日「主の剣、ギデオンの剣」

※今回はメッセージの録音はありません。

「主の剣、ギデオンの剣」
  「『主のためだ。ギデオンのためだ。』と言わなければならない。」(士師記七:一八)
一、主はどのような方なのか。
  主のことばの剣は、全てのものを刺し通す。
物を作るのに、様々な材料を使います。先日、網戸の網を張りなおしました。複雑な作業ではありませんが、それでも何種類かの刃物を使います。切れ味の良いナイフ、ハサミを使います。その必要に合わせるためには、必要なものです。神の御業は複雑ですが、人々を整えるために万能の道具を使われます。それが「主の剣」である御言葉です。
  神はその御言葉を自由に用いて、全ての御業を行われます。
二、神は、その万能の御言葉を救われた人々に、用いるように与えて下さいました。
 イエス様も御言葉によって、御業をされました。神であることのしるしです。また、パウロも「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ六:一七)と命じています。
 ギデオンは、ラッパとたいまつを手に持って、「主の剣、ギデオンの剣」と叫びました。数時間前に、敵の兵士が見た夢と同じように、敵の心に、ギデオンが攻め上って来たかのように支配されてしまいました。彼らは、逃げ出すもの、同士討ちするものとなったのです。大勝利です。
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2017年07月04日

7月2日 「励ましの神」

※今回は録音はありません。

「励ましの神」
  「キリストによる勧め、愛の励まし」(ピリピ二:一)

一、主はどのような方なのか。
  信仰に立って、歩めるように、常に励ましてくださる方です。
神様は、私達の内にキリストの形が形成できるように(これは、人として神が与えて下さった資質です。それは、神の愛の内を歩むこと)導いてくださっています。ところが、人は神から離れてしまったために、恐れに支配されてしまいました。イエス・キリストの救いをいただいておりましても、神に従うにも、この恐れと戦わなければなりません。神は、その恐れに打ち勝つために、励ましを与え、神の声に従えるように押し出してくださるのです。

二、私達は、心に語りかけて下さる静かな声に注意深く耳を澄ませましょう。
ギデオンは、敵のミデアン人の陣営を見て、恐れてしまいました。神は、その心を知っておられました。「立って、あの陣営に攻め下れそれをあなたの手に渡したから。しかし、もし下って行くことを恐れるならあなたに仕える若い者ブラと一緒に陣営に下って行き、彼らがなんと言っているかを聞け。そのあとで、あなたは勇気を出して陣営に攻め下らなければならない。」と励まして下さったのです。
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6月25日 「不思議に見える主の御業」


「不思議に見える主の御業」
                       
一、主はどのような方なのか。
 主の御業は、私達の目には不思議に見えます。そこに信仰が問われます。使徒パウロは「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。その裁きは、何と知り尽くしがたく、その道は、なんと測り知りがたいことでしょう。」(ローマ一一:三三)
 人は、そのことを知っています。信じ難い美しい物を表現する時「神秘的」と言います。しかし、それは現実なのです。
二、前もって、聖書を通して語ってくださっています。それを、受け入れ、従うことが神が求めておられる信仰なのです。
 ギデオンに神は、命じました。ギデオンを助けるために、戦う備えをして集まってきた民を減らされたのです。ギデオンも驚くほど多くの民三二〇〇〇人が集まったのです。ギデオンは、勇気を与えられました。その心を見た神は、三〇〇人まで絞られたのです。ギデオンは、不安に襲われました。心の内で「この人数で戦えと言うのですか。」と。敵は四五〇倍もいるのです。しかし、神は、ギデオンを優しく導くのです。
  また、選ばれた民もまた、ギデオン以上に不安になったことでしょう。しかし、不思議に民は、ギデオンの指示に従ったのです。神のお働きです。
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2017年06月20日

6月18日 「主の忍耐」



「正しい者の救いは、主から来る。苦難の時の彼らの砦は主である。」(詩篇三七:三九)
 
 一、主はどのような方なのか。
     主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。
     主は、悪者どもから彼らを解き放ち
     彼らを救われる。
     彼らが主に身を避けるからだ。(詩篇三七:四〇)
  
 二、主のしるしを見よ。
 イエスはこのことを最初のしるしとしてがリラヤのカナで行い
 ご自身の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
 (ヨハネ二:一一)
 
 神は私達に求めておられることは、訓練によって、力をつけることではなく、御言葉とその証しを通して、示される神を信じることです。
 ギデオンは、神のことばを信じるために、しるしを求めました。しかも自分から見せてほしいしるしを提示しました。それは、自分の命がかかっていました。そのことを神はご存じで、実行してくださいました。神は信仰によって歩もうとする人を、助けます。イエス様のお弟子さんが、イエス様をキリストと信じるために、助け導かれました。
 今日も、イエス様は私達の信仰のために、御業をしておられます。
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2017年06月16日

6月11日 「主の祭壇を築け」



「主の祭壇を築け」
一、主はどのような方なのか。
 私達の神は、天におられ、その望むことをことごとく行われる。
   ・・・・・
 イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、
 また盾である
   ・・・・・
 主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。
   ・・・・・
 主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。
   ・・・・・
 あなたがたが主によって祝福されるように。
 主は、天と地をつくられた方である。
二、偶像とはどういうものか。
 彼らの偶像は銀や金で、人の手の業である。
 口があっても語れず、目があっても見えない。
 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。
 手があってもさわれず、足があっても歩けない。
 のどがあっても声をたてることもできない。
 これを造る者も、これに信頼するものもみな、
 これと同じである。
(詩篇一一五篇)
posted by sbbc at 11:51| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

6月4日 「ギデオンの信仰」

※録音はありません

「ギデオンの信仰」
 「私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せて下さい。」(士師記六:一七)
  
  ギデオンはヨシュアから約一六五年後にイスラエルの民を主に立ち返らせるために、用いられた人です。そのギデオンの信仰をみてみましょう。
 一、先祖を導いた偉大な主を信じている。
  「主は私達をエジプトから上らせたではないか」と言って、私達に話したあの驚くべきみわざはどこにありますか。とギデオン主の使いに問いました
 二、主が一緒にいてくだされば平安である信仰。
  ギデオンは、今のイスラエルの悲惨さは、偉大な主が民を捨てられたからと考えていました。主が一緒にいてくださるのであれば、もっと良いはずだと、主に訴えました。しかし、今、自分に話している「あなた」が、主の使いであることを、すぐ否定しませんでした。確かめることにしました。
 三、主の使いであることがわかると、そこに祭壇を築きました。
  主が共にいてくだされば
 救われると確信したのです。
 主を礼拝するのです。
posted by sbbc at 10:22| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

賛美練習用録音データ 725 われを見出し 

ソプラノ

アルト

テナー

バス


伴奏

posted by sbbc at 14:51| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月28日「主の選択」


「主の選択。」
「全地はあなたの前にあるではないか。もしあなたが右にいけば、私は左に行こう。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。」(創世記一三:九)

   神の導きを知るには、どうすればいいのでしょうか。今、教会は千葉ニュータウン教会の独立に関して、主の導きを求めています。聖書から三つの実例を通して、見てみましょう。
  一、モーセとロトの別れ(創世記一三:九)ー選択権を相手側にー
  別れなければならない事情が出て来た時、アブラハムはまずロトに選択  するように提案しました。ロトは自分が良いと思う低地を選びました。アブラハムは、他の所を選んだのです。
  二、サムエルとイスラエルの民(Tサムエル八:七)ー主にゆだねてー
  イスラエルの民はある事情から、王を立ててくれるようにサムエルに申し入れました。サムエルはそれには反対でした。神にたずねた所、「この民があなたに言う通りに民の声を聞き入れよ。・・・今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」とサムエルに応えられました。
  三、パウロとバルナバとの別れ(使徒一五:三九)ー主の働きを分けるー
  マルコのことで、彼らは激しく話し合いました。その結果、夫々の選択の道を行くことになりました。主はそれを受け入れられました。
posted by sbbc at 14:48| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月21日 「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」


「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」
 「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(使徒一四:二三)
  
  使徒たちは、福音を伝え、信じた人々が起こされると、そこに、教会を組織し、その群れを導くために長老(牧師)をたてました。そして、信じている主にゆだねたのです。
  聖書では、伝道所から、教会に代わる記事はありません。福音を伝え、弟子を集めることは、主の御命令です。福音を信じた人々の集まりが教会です。
 私達の信仰告白は、地方教会の独立を告白しています。独立とは、自治、自給、自伝の権威を教会に派遣教会より与えることを言います。
  自治は、教会の礼典の執行の権威が与えられ、各地方教会が全責任をもって、決め、行動することであり、全ての結果に責任を持つことです。バプテスト教会は、会衆全員によって、治めます。
  自給は、経済的な必要は、その教会で賄うことです。
  自伝は、伝道活動は、全て、各地方教会が責任をもって行うことです。
  伝道者が、遣わされて、福音を伝え始める時は、派遣教会の助けが必要です。特に、経済的な援助は派遣教会だけでなく、交わりのある教会からの助けも伝道者にとっては大きな励ましになります。これらが、整えられたとき
 派遣教会からこの権威を頂き、教会を組織し、独立するのです。
posted by sbbc at 14:46| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月14日 「相続する者にふさわしく」

※メッセージの録音はありません。

「相続する者にふさわしく」
 「あなたがたのうちに、キリストが形造られまで、私は産みの苦しみを
しています。」(ガラテヤ四:一九)
  神は偽ることのない方です。いったん約束されたことは、必ず守られます。
聖書は神と人との、約束の書です。その約束は一貫したものです。
「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記一二:三)
「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。」(創世記一七:四)
 この約束の実現のために、神は行動されておられるのです。聖書はその記録です。旧約聖書は、イエス・キリストが来られるまでの記録であり、新約聖書は、その後の記録です。しかし、これは、別の約束ではなく、アブラハムに約束されたことを、イエス・キリストによって、実現されることを明らかにされたのです。アブラハム、その子孫としてダビデ、そしてイエスと続き私達キリスト者へと、相続されてきているのです。
 「私達は神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」
(ロマ八:一七)
 「神を愛する者に、約束されている御国を相続する者とされた。」
(ヤコブ二:五)
 ですから、使徒パウロは、相続する者に、ふさわしく歩むように、勧めたのです。
posted by sbbc at 14:45| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする