2017年07月18日

7月16日 「四つの種」



「四つの種」
「種を蒔く人が種まきに出かけた」(マタイ一三:三)
  
一、主はどのような方なのか。
 みことばを蒔く人です。
 みことばは、麦の種のようなものです。
 イエス様はたとえを用いて、神の奥義を話されました。
 イスラエルのあちこちで見られる風景でした。秋ごろになると、麦の種を畑に蒔きます。ばらまきですので、ある種は道端に落ちました
 別の種は石地に落ちます。また別の種は、茨の中に落ちてしまいました。また、耕された良い地に落ちました。しかし、成長し実を収穫できたのは、良い地に蒔かれた種でした。
二、種を蒔く人―主―の期待は収穫することです。私達は良い地でしょうか。
 みことばは、全ての人々の心に蒔かれています。イエス様は、四つの種のパターンを示すことで、御言葉に対して、全ての人の心の状態を描かれました。このパターンしかないのです。そして、実を結ぶ心は、良い地でなければならないのです。他の三つの状態では、実を結ぶことはできないのです。みことばは完全です。実を結ぶか、枯れてしまうかは、聞く私達の心の状態に左右されるのです。
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2017年07月11日

7月9日「主の剣、ギデオンの剣」

※今回はメッセージの録音はありません。

「主の剣、ギデオンの剣」
  「『主のためだ。ギデオンのためだ。』と言わなければならない。」(士師記七:一八)
一、主はどのような方なのか。
  主のことばの剣は、全てのものを刺し通す。
物を作るのに、様々な材料を使います。先日、網戸の網を張りなおしました。複雑な作業ではありませんが、それでも何種類かの刃物を使います。切れ味の良いナイフ、ハサミを使います。その必要に合わせるためには、必要なものです。神の御業は複雑ですが、人々を整えるために万能の道具を使われます。それが「主の剣」である御言葉です。
  神はその御言葉を自由に用いて、全ての御業を行われます。
二、神は、その万能の御言葉を救われた人々に、用いるように与えて下さいました。
 イエス様も御言葉によって、御業をされました。神であることのしるしです。また、パウロも「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ六:一七)と命じています。
 ギデオンは、ラッパとたいまつを手に持って、「主の剣、ギデオンの剣」と叫びました。数時間前に、敵の兵士が見た夢と同じように、敵の心に、ギデオンが攻め上って来たかのように支配されてしまいました。彼らは、逃げ出すもの、同士討ちするものとなったのです。大勝利です。
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2017年07月04日

7月2日 「励ましの神」

※今回は録音はありません。

「励ましの神」
  「キリストによる勧め、愛の励まし」(ピリピ二:一)

一、主はどのような方なのか。
  信仰に立って、歩めるように、常に励ましてくださる方です。
神様は、私達の内にキリストの形が形成できるように(これは、人として神が与えて下さった資質です。それは、神の愛の内を歩むこと)導いてくださっています。ところが、人は神から離れてしまったために、恐れに支配されてしまいました。イエス・キリストの救いをいただいておりましても、神に従うにも、この恐れと戦わなければなりません。神は、その恐れに打ち勝つために、励ましを与え、神の声に従えるように押し出してくださるのです。

二、私達は、心に語りかけて下さる静かな声に注意深く耳を澄ませましょう。
ギデオンは、敵のミデアン人の陣営を見て、恐れてしまいました。神は、その心を知っておられました。「立って、あの陣営に攻め下れそれをあなたの手に渡したから。しかし、もし下って行くことを恐れるならあなたに仕える若い者ブラと一緒に陣営に下って行き、彼らがなんと言っているかを聞け。そのあとで、あなたは勇気を出して陣営に攻め下らなければならない。」と励まして下さったのです。
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6月25日 「不思議に見える主の御業」


「不思議に見える主の御業」
                       
一、主はどのような方なのか。
 主の御業は、私達の目には不思議に見えます。そこに信仰が問われます。使徒パウロは「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。その裁きは、何と知り尽くしがたく、その道は、なんと測り知りがたいことでしょう。」(ローマ一一:三三)
 人は、そのことを知っています。信じ難い美しい物を表現する時「神秘的」と言います。しかし、それは現実なのです。
二、前もって、聖書を通して語ってくださっています。それを、受け入れ、従うことが神が求めておられる信仰なのです。
 ギデオンに神は、命じました。ギデオンを助けるために、戦う備えをして集まってきた民を減らされたのです。ギデオンも驚くほど多くの民三二〇〇〇人が集まったのです。ギデオンは、勇気を与えられました。その心を見た神は、三〇〇人まで絞られたのです。ギデオンは、不安に襲われました。心の内で「この人数で戦えと言うのですか。」と。敵は四五〇倍もいるのです。しかし、神は、ギデオンを優しく導くのです。
  また、選ばれた民もまた、ギデオン以上に不安になったことでしょう。しかし、不思議に民は、ギデオンの指示に従ったのです。神のお働きです。
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2017年06月20日

6月18日 「主の忍耐」



「正しい者の救いは、主から来る。苦難の時の彼らの砦は主である。」(詩篇三七:三九)
 
 一、主はどのような方なのか。
     主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。
     主は、悪者どもから彼らを解き放ち
     彼らを救われる。
     彼らが主に身を避けるからだ。(詩篇三七:四〇)
  
 二、主のしるしを見よ。
 イエスはこのことを最初のしるしとしてがリラヤのカナで行い
 ご自身の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
 (ヨハネ二:一一)
 
 神は私達に求めておられることは、訓練によって、力をつけることではなく、御言葉とその証しを通して、示される神を信じることです。
 ギデオンは、神のことばを信じるために、しるしを求めました。しかも自分から見せてほしいしるしを提示しました。それは、自分の命がかかっていました。そのことを神はご存じで、実行してくださいました。神は信仰によって歩もうとする人を、助けます。イエス様のお弟子さんが、イエス様をキリストと信じるために、助け導かれました。
 今日も、イエス様は私達の信仰のために、御業をしておられます。
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2017年06月16日

6月11日 「主の祭壇を築け」



「主の祭壇を築け」
一、主はどのような方なのか。
 私達の神は、天におられ、その望むことをことごとく行われる。
   ・・・・・
 イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、
 また盾である
   ・・・・・
 主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。
   ・・・・・
 主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。
   ・・・・・
 あなたがたが主によって祝福されるように。
 主は、天と地をつくられた方である。
二、偶像とはどういうものか。
 彼らの偶像は銀や金で、人の手の業である。
 口があっても語れず、目があっても見えない。
 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。
 手があってもさわれず、足があっても歩けない。
 のどがあっても声をたてることもできない。
 これを造る者も、これに信頼するものもみな、
 これと同じである。
(詩篇一一五篇)
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2017年06月06日

6月4日 「ギデオンの信仰」

※録音はありません

「ギデオンの信仰」
 「私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せて下さい。」(士師記六:一七)
  
  ギデオンはヨシュアから約一六五年後にイスラエルの民を主に立ち返らせるために、用いられた人です。そのギデオンの信仰をみてみましょう。
 一、先祖を導いた偉大な主を信じている。
  「主は私達をエジプトから上らせたではないか」と言って、私達に話したあの驚くべきみわざはどこにありますか。とギデオン主の使いに問いました
 二、主が一緒にいてくだされば平安である信仰。
  ギデオンは、今のイスラエルの悲惨さは、偉大な主が民を捨てられたからと考えていました。主が一緒にいてくださるのであれば、もっと良いはずだと、主に訴えました。しかし、今、自分に話している「あなた」が、主の使いであることを、すぐ否定しませんでした。確かめることにしました。
 三、主の使いであることがわかると、そこに祭壇を築きました。
  主が共にいてくだされば
 救われると確信したのです。
 主を礼拝するのです。
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2017年05月30日

賛美練習用録音データ 725 われを見出し 

ソプラノ

アルト

テナー

バス


伴奏

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5月28日「主の選択」


「主の選択。」
「全地はあなたの前にあるではないか。もしあなたが右にいけば、私は左に行こう。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。」(創世記一三:九)

   神の導きを知るには、どうすればいいのでしょうか。今、教会は千葉ニュータウン教会の独立に関して、主の導きを求めています。聖書から三つの実例を通して、見てみましょう。
  一、モーセとロトの別れ(創世記一三:九)ー選択権を相手側にー
  別れなければならない事情が出て来た時、アブラハムはまずロトに選択  するように提案しました。ロトは自分が良いと思う低地を選びました。アブラハムは、他の所を選んだのです。
  二、サムエルとイスラエルの民(Tサムエル八:七)ー主にゆだねてー
  イスラエルの民はある事情から、王を立ててくれるようにサムエルに申し入れました。サムエルはそれには反対でした。神にたずねた所、「この民があなたに言う通りに民の声を聞き入れよ。・・・今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」とサムエルに応えられました。
  三、パウロとバルナバとの別れ(使徒一五:三九)ー主の働きを分けるー
  マルコのことで、彼らは激しく話し合いました。その結果、夫々の選択の道を行くことになりました。主はそれを受け入れられました。
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5月21日 「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」


「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」
 「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(使徒一四:二三)
  
  使徒たちは、福音を伝え、信じた人々が起こされると、そこに、教会を組織し、その群れを導くために長老(牧師)をたてました。そして、信じている主にゆだねたのです。
  聖書では、伝道所から、教会に代わる記事はありません。福音を伝え、弟子を集めることは、主の御命令です。福音を信じた人々の集まりが教会です。
 私達の信仰告白は、地方教会の独立を告白しています。独立とは、自治、自給、自伝の権威を教会に派遣教会より与えることを言います。
  自治は、教会の礼典の執行の権威が与えられ、各地方教会が全責任をもって、決め、行動することであり、全ての結果に責任を持つことです。バプテスト教会は、会衆全員によって、治めます。
  自給は、経済的な必要は、その教会で賄うことです。
  自伝は、伝道活動は、全て、各地方教会が責任をもって行うことです。
  伝道者が、遣わされて、福音を伝え始める時は、派遣教会の助けが必要です。特に、経済的な援助は派遣教会だけでなく、交わりのある教会からの助けも伝道者にとっては大きな励ましになります。これらが、整えられたとき
 派遣教会からこの権威を頂き、教会を組織し、独立するのです。
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5月14日 「相続する者にふさわしく」

※メッセージの録音はありません。

「相続する者にふさわしく」
 「あなたがたのうちに、キリストが形造られまで、私は産みの苦しみを
しています。」(ガラテヤ四:一九)
  神は偽ることのない方です。いったん約束されたことは、必ず守られます。
聖書は神と人との、約束の書です。その約束は一貫したものです。
「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記一二:三)
「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。」(創世記一七:四)
 この約束の実現のために、神は行動されておられるのです。聖書はその記録です。旧約聖書は、イエス・キリストが来られるまでの記録であり、新約聖書は、その後の記録です。しかし、これは、別の約束ではなく、アブラハムに約束されたことを、イエス・キリストによって、実現されることを明らかにされたのです。アブラハム、その子孫としてダビデ、そしてイエスと続き私達キリスト者へと、相続されてきているのです。
 「私達は神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」
(ロマ八:一七)
 「神を愛する者に、約束されている御国を相続する者とされた。」
(ヤコブ二:五)
 ですから、使徒パウロは、相続する者に、ふさわしく歩むように、勧めたのです。
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5月7日「主の約束を信じ通す」


「主の約束を信じ通す」
 「私は私の神、主に従い通しました。」(ヨシュア一四:八)
  私達の生活は、多くの約束によって、成り立っています。特に人との関係においては、互いに約束を守ることによって生活が支えられています。
 そこで求められることは、相手が約束を実行してくれることを、信じ通すことによって、自分の責任を果たす力とすることができます。ここに、疑念が入り込むと、困難に立ち向かうことはできません。
  神との関わりにおいては、さらに重要です。カレブは、主の約束を信じ通しました。四五年間、主の約束を疑わなかったのです。カデシ・バルネアにおいて、ヨシュアと共に、「主の約束を信じて、カナンに入ろう」と説得しました。それ故「彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。」(申命記一:三六)との約束をいただきました。この約束に対する彼の信仰は、四五年間の荒野の厳しい試みを支えました。そして、カナンの地に入った時、カレブは、ヨシュアに、この約束を実行してくれるように、申し入れました。
  その約束の地、ヘブロンは、以前見た時と同じ状況でした。大きな城壁のある町で、歴史のある地でした。そこを治めていたアナク人は、四メートルもあろうかと思われる巨人の子孫でした。ダビデが戦ったゴリアテもその一人だと言われています。しかし、彼らを目の前にしても、以前と同じように、主が与えて下さったことを信じて、戦い、彼らを、追い出したのです。
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4月30日 「伝道所から教会へ」



「伝道所から教会へ」
 「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者・・・・お立てになったのです。」(エペソ4:11)
  教会が産みだされるためには、神のご計画があり、その秩序があります。
 一人の子が誕生し育てられ、成人していくのに似ています。教会は、イエス・キリストの命を内に宿し、信仰によって建てあげられていきます。その過程において、主の導きに従い、教会のないところに、伝道者を派遣し、福音を伝えます。その働きの実として、信仰者が起こされ、礼拝を捧げる群れが生まれます。まだまだ、生まれたばかりの小さな群れですので、親の教会の支えと守りが必要です。
  自分の足で、力強く歩めるようになった時、親から離れ、自分の責任において、教会を建てあげていきます。その為に、必要な教会の権威を親教会よりいただき、教会を組織します。その権威とは、「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。なんでもあなたが地上でつなぐなら、それは、天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)「わたしには、天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によって、バプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らに教えなさい。」(マタイ28:19、20)
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2017年04月23日

4月23日 「いのちの水」



「いのちの水」
 「私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)
  水は、私達のいのちがたもたれるためには、どうしても必要です。しかも毎日、必要です。貯めておくことは出来ません。これから、熱中症対策のため、水を飲むように勧められています。このことを考えますと、荒野の旅していたイスラエルの民が支えられたことは、まさに奇跡です。
その為に、主は、どんなにこころを使われたことでしょう。彼らは、乾きで死んだ者は一人もいませんでした。このこたは、今の私達に何を与えようとしているのでしょう。
  イエス様が、ヤコブの井戸で、サマリヤの女性を救いに導かれた時、イエス様が与える水は、永遠のいのちへの水であり、決して乾くことがないと話されました。イエス様は民数記20章の出来事を念頭においておられたのは明らかです。
  パウロもまた、Tコリント10:4で「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについてきた御霊の岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。」と説明しました。このことから、イエス様が与える
水は、聖霊であり、聖霊はみことばによって、救われた人々に永遠のいのちへの水となるのです。そして、それは、一時的でなく、毎日わたしたちを潤してくださるのです。約束の地に入るまで与え続けてくださるのです。
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2017年04月16日

4月16日 「イエスの復活と私達」



「すなわち、アダムにあって、すべての人が死んでいるように、キリストによって、すべての人が生かされるからです。」
(Tコリント15:22)

  キリストの復活を信じることは、御霊なる神の御業によるのです。コリントの教会の人々の中に、復活を信じない人がいたのです。また、パウロが伝道したアテネでは、「死者の復活のことを聞くと、ある者たちは、あざ笑い」(使徒17:32)と記されています。また、ユダヤ人の中のサドヵイ人に属する人は、復活を信じていませんでした。(マタイ22:29)
  ですから、現在、復活を信じられない人がいても不思議なことではないのです。神の御業によらなければ受け入れられないのです。イエス様もペテロに対して、「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)と語られました。あなたは信じていますか。信じている方は、天におられる父なる神が示してくださったのです。
  イエス様の復活は、私達に勝利を与えて下さったのです。初穂として、よみがえられ、天にある祭壇に捧げられたのです。そして、キリストに属する者が、キリストの再臨のラッパが響くときよみがえるのです。そして、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るのです。
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2017年04月09日

4月9日 「上げられたへび」



「上げられたへび」
 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまたあげられなければなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14、15)

  イエス様は、ご自身が十字架にかかる意義とその力を、旧約聖書の民数記二一章の事象を引用されて、話されました。
  この記事は、アロンを失って悲しみの中にあったモーセに対して、イスラエルの民が、神とモーセに逆らって、「なぜ、あなたがたは、私達をエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私達はこのみじめな食物に飽き飽きした。」と言った。神は、燃える蛇を送られ民を裁かれました。民は、悔い改めて、蛇を取り去って下さるようにモーセに祈りの要請をしました。モーセは謙遜な人だったので、すぐ、主に祈りました。主は応えられて「あなたは、燃えるへびを造り、それを旗竿のうえにつけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる。」と語られました。さっそく、モーセはへびを造り、旗竿のうえにつけました。かまれた人でも信じて、蛇を仰ぎ見ると生きたのです。神の約束通りだったのです。
  同じように、十字架にあげられたイエス・キリストを神が送られた救い主として、信じる者は永遠のいのちを持つのです。
posted by sbbc at 14:34| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月2日 「キリストのご計画」



「キリストのご計画」
 「聖く、傷のないものとなった、栄光の教会を、ご自分の前に立たせる
ためです。」(エペソ5:27)

  主が共にいてくださる恵みを、神はイスラエルの民を通して、私たちに
 表してくださいました。その完成は、イエス・キリストを通して、教会を建てあげる事です。
 その教会の姿はどういうものでしょうか。
一、 聖なるもの(エペソ5:26) 
聖なるものとは、御言葉が隅々まで、行き届き、実現することです。
御霊の実を結んでいる姿です。
二、 キリストに従う教会のです。(エペソ5:24)
三、 まことの礼拝が捧げられている教会。(エペソ5:19)
詩と讃美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また讃美する教会。
四、 神に感謝が捧げられている教会。
五、 互いに従っている教会。
六、 主の御心がなんであるか、よくよく注意して、機会を十分生かして用いている教会。
主イエス・キリストはこのために、命を捧げて下さったのです。
posted by sbbc at 14:32| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

3月26日 「共に歩まれる主」



「モーセは主の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。」
(民数記13:3)
 主が共に歩まれる恵みを、旧約聖書を通して新約時代に生かされている我々に神は繰り返し繰り返し語って下さっています。神はイスラエルの民に「主が共にいる」ことを信じる信仰を訓練されたのです。
試練にあった時、旧約聖書を読みましょう。信仰の勇気が与えられるでしょう。
 エジプトを脱出したイスラエルの民は、群衆にすぎなかったのです。秩序もなく、モーセに従い、約束の地を目指していました。しかし、シナイ山で神は、ただの群衆でしかなかった民を、秩序ある主の国民として整えたのです。第一に幕屋を建てることで、主なる神を、目に見えるようにされました。
新約に生きるキリスト者のために、イエス様を与えたように、雲の柱と火の柱を与えられたのです。約束の地へ安全に到着するために、主は共に歩まれたのです。途中は、危険でいっぱいでした。行くてを阻む敵がいます。またそれを避けようとすれば、荒野が待ち受けています。水もなく、食べるものをない中を旅することは死を意味します。今までの常識では、一日も生きていることは出来ません。共に歩んで下さる主だけが頼りです。いろいろな戦いはありましたが、二年かけて、無事、約束の地の入口まで来ることが出来ました。彼らは約束の地の素晴らしさを見ました。
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2017年03月19日

3月19日 「教会の原点」



「教会の原点」
「その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。」
(出エジプト二九:四三)

 イエス様が考えておられる教会はどのような姿なのでしょうか。自分にとって教会はどれほど重要なのでしょうか。それを知るためには、さかのぼって神殿さらにイスラエルの民の形成に重要な役割をした幕屋を見ることによって理解できます。
一 救いの目的
   彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地からつれだした者であることを知るようになるため。
(出エジプト二九:四六)
二 幕屋が造られた目的
   その所で私はイスラエル人に会う。そこは、わたしの栄光によって聖とされる。
(出エジプト二九:四三)
三 幕屋を造る方法
   あなたに示すのと全く同じ様に作らなければならない。
(出二五:九)
   よく注意して、あなたが山で示される型どおりに造れ。
(出二五:四〇)
四 神と人との交わりの手段
   彼らが、わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。(出二五:八)
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2017年03月12日

3月12日 「失望からの脱却」

 

「失望からの脱却」
 「外に出て、山の上で主の前に立て。」(T列王一九:一一)
この季節、新しい年度を迎え、卒業や入学、社会へ出ていく準備をします。
希望にあふれることばかりではなく、失望もあり、そこからいかに脱却し
力を得て、先に進まなければなりません。
預言者エリヤの経験から学びましょう。
一、 エリやは失望しました。
彼は、主のために熱心に働きました。しかし、事態は良くなるどころか
  ますます悪くなる一方でした。多くの預言者が王によって殺され、エリヤの命さえ、狙われたのです。彼はいのちを守るために外国まで逃げなければなりませんでした。その旅の途中、失望落胆し、主に不満をぶっつけたのです。そして「いのちを取ってください」と言ったのです
二、 しかし、主は御使いを送り、支えたのです。
主なる神はずっとエリヤを見守っておられました。エリヤが、自分の預言者としての力のなさを嘆きました。以前の偉大な預言者のようではないのだからと落ち込みました。そんなエリヤにそり添うように御使いは共に歩んでいたのです。全てあなたの事は解っていると言っているかのように、ただ何も言わずにそっと、水と食べ物を準備し、元気になるまで、見守りました。
 三、神の山まで、支え、主の前に立つことが出来るように整えました。
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2017年03月10日

3月5日 「礼拝の原点」



「礼拝の原点」
 「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクを捧げなさい。」(創世記22:2)

教理問答書に、「人の目的はなんですか。」という問いに対して「神を礼拝することです。」と答えているように、礼拝は神が求めておられる最も大切な信仰における行いです。
 アブラハムの信仰における最も神が喜ばれた証しは、モリヤの山でイサクを捧げ、神を礼拝する姿でした。ここに、礼拝の原点が示されています。
一、 神の呼びかけに応える。「はい、ここにおります。」
二、 神が示される場所に行く。「モリヤの山」
三、 神が求められる捧げ物を携え、捧げる。
四、 アブラハムが最も愛しているものイサクを要求された。
五、 イサクは約束の子であった。しかも、ひとり子である。相続する者は他にはだれもいない。
六、 彼は、神を恐れる事を第一に、行動し、神の約束を決して疑わない信仰によって、「主の山には常に備えがある」ことを信じ続けた。
七、 信仰の勝利によって、神の大いなる祝福を受ける。

「あなたの子孫を海辺の砂のように数多く増し加えよう。あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記22:17)
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2月26日 「全て主の栄光のために」

※2/26 録音はありません。
「全て主の栄光のために」
 「それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」(創世記14:23)

 私達の目は常に主に注がれているでしょうか。また、全ての栄光を主に帰しているだろうか。
 アメリカ合衆国大統領トランプ氏が自分の働きを自画自賛している姿が世界を駆け巡っています。世界各地で批判のデモが行われている中で、本人は、自分の業績を誇らしげに語っている姿をみなさんはどう思われますか。
 アブラハムは、人々の目が常に主に向くように注意深く行動しました。
皆さんのアブラハムのイメージはどのようなものでしょうか。信仰深く、温厚な羊飼いのイメージを持っておられる方は多いのではないでしょうか。しかし、甥のロトの救出のとき、彼は愛からくる勇敢さを見せました。
 ソドムや周辺の町の王たちを、破った北方の大軍を命をかけて約四〇〇キロも追跡し、奪われた人々や物資を全て取り戻したのです。それ程、家族思いで、勇敢でした。後にも先にも戦ったのはこの戦いだけでした。信仰者は時として神の力で勇敢に行動しなければなりません。アブラハムは主のために戦いました。この戦いの勝利は主によることを知らない人々に、アブラハムは、力づよく証しました。「私が、仕える神は、私に力を与え、守り、富まして下さる方である。だから、私はあなたの物は何もいただきません。」
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2017年03月03日

賛美練習 聖歌389 ねがわくは神 伴奏

賛美練習の為の伴奏を録音しました。
自宅練習用にご活用ください。

ソプラノ


アルト


テナー


バス


伴奏全パート
posted by sbbc at 11:06| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月19日 「伝道者の働き」

※2/19 牧師は幕張教会の宣教集会の奉仕に出かけていたためメッセージの録音はありません。

「伝道者の働き」
 「パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。」(使徒18:5)

 パウロの働きは、聖書に詳しく書かれています。まだ福音が語られていない所に福音を伝え、教会の土台を据える事でした。そこには、まだ、その働きのための協力者はおりません。パウロはあらゆる手段を使って働きました。ある時は、自分の手の職で、働きながら生活の必要を満たしました。また、ある時は、前の教会からの支援で、生活を支えました。ある時は、アクラのような助け手を神は与えパウロを支えました。弟子たちの働きで、支えられ、本人はみことばを語ることに専念したのです。
 エルサレムの教会では、使徒ペテロたちが、祈りとみことばに仕えることに専念するために、信徒から執事が選ばれました。このように、教会は御言葉が宣べ伝えられることを最優先できるために、あらゆる方法を用いたのです。伝道者は働く者、信徒は支える人と分けられているのではありません。
教会を建てあげるために、持てる物を最大限に使って主の働きに参与するために、神は私達を集めて下さったのです。
 伝道者は、その為に全てを用います。伝道者はみことばを宣べ伝えるために訓練を受けます。教会はその働きがよりよくできるために、伝道者を支えます。一分でも多くその時間を確保出来るように配慮
posted by sbbc at 10:57| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

2月12日 「神のご計画」


「神のご計画」
 「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)

 先週の総会において、ニュータウン教会の働きを私が断念することを、申し出ました。今まで、独立を目指して祈り支援してきましたので、戸惑う方もおりましょう。そのために、主の導きを話す必要を覚えました。
 ニュータウン教会の働きは一五年に及びます。その間、伝道者をはじめ、佐倉教会も教会形成を目指して祈り、進めてきました。ですから、招聘の作業を進めていく中で、その計画を継続することが、主のみこころと信じて、私達がしばらく引き継ぎ、次の伝道者にバトンタッチできればと考えました
そうすれば、伝道者のこれまでの働きが報われると考えたのです。
 しかし、神のご計画は違う方行を示されました。アブラハムは行先を知らずに出て行きました。その時、示されたのは、ここに留まってはいけないということだけでした。また、伝道者パウロも、自分の伝道地の計画を変更しなければなりませんでした。その時の事情は、聖書には何も書かれていませんが、「聖霊によって、みことばを語る事が禁じられた。」というのです。私達は、「つくられたもの全てに福音を語る」ことを聖書の中に見ます。しかし、場合によって、禁じられることがあるのです。その時にはパウロは理由がわかりませんでしたが、そこには、綿密な神のご計画があったのです。
posted by sbbc at 00:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月5日 「守りの神」


「守りの神」
 「神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Tペテロ5:7)

 「待つ」ことは、勇気のいることです。私達は、伝道者の応えを待っています。その間、いろいろなことを考えさせられます。「待つ」ためには信仰が試みられます。
 聖書の中に、「待つ」ことで、勝利を得た人もおり、失敗した人もおります。イスラエルの最初の王として立てられたサウルは、預言者サムエルのことばを信じて待つことに失敗しました。その結果、王の座から引きずり降ろされました。(Tサムエル13:13、14)
戦いに出る時、祭司によって、祭壇に捧げ物をしてから出発することになっていたのですが、サムエルが七日待つように告げていたのですが、目の前の敵を恐れて、七日目にサムエルに代わって、してはならない捧げ物をサウルは捧げたのです。そして、捧げ終わった時、サムエルが来たのです。サウル王はサムエルを待てなかったのです。その結果、自分だけではなく、家族すべてに主の祝福から退けられたのです。
ノアは、主の声を待ちました。雨が上がっても、鳩が帰って来なくなっても、地が乾いたことがわかっても、箱舟から出ることはなかったのです。
「出なさい。」との声を聴いて、ノアは箱舟から出たのです。自分の判断に頼ることなく、「入る」のも、「待つ」のも「出る」のも主の声に従うのです。
posted by sbbc at 00:34| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

1月29日 「伝道者のこころ」



「伝道者のこころ」
「私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで、財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。」(Uコリント12:15)

 教会は新しい牧師をどのようなこころぞなえをして迎えれば好いのでしょうか。伝道者パウロは、教会の土台を据える働きをしました。何もない所から、福音を伝え、救われた人々を集めて、教会の土台を築きました。その時、様々な困難に遭遇しました。その中でも、教会が伝道者を支えることが出来るように心を砕きました。
 そのために、伝道者の思いを知らせました。パウロは、教会すなわち教会の人々のたましいのために、持てる全てを使っていることを伝えました。その信仰は「受けるよりは与える方が幸いであると言われたみことばを思い出すべきことを、私は万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒20:35)の実践でした。彼は、文字通り全てを主に捧げました。結婚もしないで、家庭も持たず、定住しないで、建てあげた教会も主にゆだねて、敵のいるまっただ中に飛び込んでいきました。そして、最後は囚われの身になり、自由も捧げ、最後に命をも捧げたのです。
 マケドニアのキリスト者は、そのパウロの姿を見て、貧しさにもかかわらず、喜んで、持てる者をもって、力以上に、聖徒たちを支えたのです。伝道者を支えることは、大切な伝道の働きなのです。
posted by sbbc at 16:58| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1月22日 「神と共に歩むノアの恵み」

「神と共に歩むノアの恵み」
 「あなたとあなたの全家族は箱舟に入りなさい」(創世記7:1)

人は地の面にふえ、その悪は地にはびこり、世は乱れて、暴虐が地に満ちた時、悲しみの神の御目は義人を求めて、地上をくまなく見まわされ、あわや、暗く閉ざされようとした時、ノアの姿に辛くもその愁眉は開かれたのです。ノアなかりせば・・・いや、それ以上にこのたった一人のノアを認めたもう神なかりせば・・・と感慨深いものがあります。
もとより、ノアがただしく、かつ全き人であったと言われているのは彼が神のごとく一点の曇りも、欠けもなかったということではありません。ただ、彼が意識する限り、責められるところがないように、努めたということです。彼の目は恥ずべきことをして、下を向いたり、ひそかな、いやしい野心をもって周囲を盗み見したりしないということです。彼の人生の姿勢は真っすぐに神に対して、その瞳には神の正義が映っていたということです。あの当時、義人はノアのみでした。さらば、今日、主の御目をお喜ばする者は、はたして何人いることでしょうか・・・・。
イエス・キリストは、主の日はノアの時と同じようですと告げられました
 また、その時「地上に信仰が見られるでしょうか。」と心配されています。
 ノアは箱舟を造る恵みに預かりました。その、箱舟によって、救われたのです。これは「教会に集めよ」との恵みのメッセージです。
posted by sbbc at 16:56| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

1月15日「人の原点」



{人の原点}
「神は人をご自身のかたちとして創造された。」(創世記1:27)

 今日、腐敗し、乱脈をきわめ、日に日に殺伐となり、時には耐えきれぬような環境の中にあって、かつてのエデンの園を思うことは、無用な時代錯誤と言われますか・・・。
 いえ、いえ、決してそうではありません。本来、人間はその創造の当初には、かくも神によって素晴らしい世界に住まわされていたという事をわきまえるとき、世界の現状に観念してしまう無気力と頽廃とから、自らを引き上げうるのです。私共は、かつて園の中を歩まれる創造主と直接交わりを有していたのです。
 人間は今あるべき状態にいないということ、このことを、まず認識することによって、現状を打開し、本来の人を回復する目的と意欲と希望とを掻き立てられるのです。
 いや、神こそすでに回復の手を打っておられたのです。あの堕落の瞬間から、救い主のお約束は直ちに与えられていたのです。その実現のために、主は十字架にかかられ、いのちを捧げて下さったのです。そして、復活され、教会の頭として、キリスト者を神のかたちへと導いておられるのです。
 ですから、そのために、私達は覚悟して教会の中での言動に心を配らなければなりません。自分自身に流されてはならないのです。
posted by sbbc at 03:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

1月8日 「勝 利」



「勝 利」
「子供たちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたの内におられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(Tヨハネ4:4)

 今年のカギの句は「キリスト者は勝利した者」です。
使徒ヨハネは、「勝利」ということばを多く使用しています。特に、手紙においてキリスト者を励ましています。その根拠は、キリスト者のうちにおられるイエス様が全てに勝利された方であることです。
 イエス様は何に勝利されたのでしょうか。

1.罪に勝利された。
「私達の大祭司は・・罪を犯されませんでしたが・」(へブル4:15)

2.悪魔に勝利された。
「すると悪魔はイエスを離れていき、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた・」(マタイ4:11)

3.死に勝利された。
「神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらされました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」(使徒2:24)

このキリストがわたしのうちにいて下さることを信じましょう。
posted by sbbc at 02:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする