2018年01月29日

1月28日 {主の約束}

※今回は録音音声はありません。

「どうか、しもべへのみことばを思い出してください。あなたは、私がそ
れを待ち望むようになさいました。」       (詩篇一一九:四九)
 
 主を信じることは、主の約束を信じることです。主の約束は、み言葉を通して、私たちに告げられました。それが、今は聖書として編集されました。これ以外に、主の約束はありません。ダビデは、その約束を待ち望むように主に導かれました。

  その約束とは「わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主は、あなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を建てる。』あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとにお越し、彼の王国を確立させる。・・・・あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも堅く立つ。」(Uサムエル七:一一〜一六)
 
ダビデは、どんな危険な時でもこの主の約束を信じて、主に従いました。それは、「油そそがれた者に手をかけない。」ことでした。そのために、彼は、長く逃亡生活をしたのです。最後には、敵であったペリシテ人の中に身を置かなければなりませんでした。当然命の保証はどこにもありません。その保証は、主からの約束だけでした。彼は、それをしんじたのです。「主は守ってくださる。」と。主は約束を果たしてくださいました。
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2018年01月26日

1月21日 {おきての道}


「私はあなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。」(詩篇一一九:四七)
 
詩篇の記者ダビデは、聖書を「おきての道」(三三節)、「仰せの道」(三五節)、「あなたの道」(三七節)、「あなたの義」(四〇節)、「あなたのみ教え」(三四節)と表現しています。これは律法の内容を必要に応じて語ったものです。「おきて」とは、国を治める法律、「仰せ」と「あなた」道は、個人の歩み方であり、「義」とは、神の公平さであり、どのような人々にも例外なく、適用され、命ある者が豊かに生かされていくものであることが述べられています。すなわち、私たちが十分に豊かに生かされていくために必要な全てが啓示されているのが聖書なのです。
 ダビデはこの聖書を「教えられ」「悟ることができるように」「踏みゆきましょう」と告白したのでしょう。それは、自分がいかに弱いか、迷いやすい者であるか」「何も知らない者であるか」を知っていたのです。ですから、ひたすらに主のみ声にすがったのです。子であるソロモンが、神に第一に求めたことは「知恵を与えてください」と願ったのは、父ダビデの姿を見ていたからでしょう。
 そして、その道が、最後のなくならない報いであり、その道が楽しい道であり、喜びの道であることを体験的知っていたのです。

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2018年01月14日

1月14日 みことばは私を生かします

「私があなたのことばを守るようにしてください。」
(詩篇一一九:一七)
 
 この願いは、詩篇随一の一大長編の中に、波のように何度もくりかえしてあげられています。同様にあなたの長い人生においても、この祈願のしげくあらんことを。真のおきて、天的な知恵は、ただ最も偉大なる教師より聞きうるのです。あのべタ二ヤ村のマリヤが、主のみくちから出る知恵をむさぼり聞いたように、私たちもそのひざ元で耳を傾けましょう。何をするにも-―そうです。飲むにも食べるにも、むだなく真の第一義的な生活を生きるために、聖なる神の御前にただしく生きるために、自分の知恵や人の思想によることなく、神のおきてこそ求めましょう。
 「競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。」(Uテモテ二:5)懸命な熱心さも、ただ自己流の熱心であったとしたら、かえって神の義にしたがわないことになってしまうのです。
 おりにふれ、時にかなって、神のおきてを求め、学びつつ、いつしか、それが生活のリズムとなり、旅路の歌となるまでに。
(今日の力より)
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聖歌コンサート

横浜で聖歌コンサートが開かれました。佐倉も参加し、主を賛美しました。
よく準備され、時間も計画通りに運びました。他の教会の賛美も聞き、恵まれたひと時をすごしました。
指導、準備をしてくださった野崎姉に感謝いたします。DVDを注文しましたので、後で聞くことができるでしょう。
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2018年1月7日 主の道を歩もう



 「私はあなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。」
(詩篇一一九:一六)
 
 一月五日の読売新聞に、平成時代の特集が掲載されていました。「価値観ぐらり、幸せって何ですか。」という表題が書かれていました。「平成は豊かな昭和を引き継いで始まった。モノが足りない時代は過去となり、平成を通して多くの人々の暮らしに満足感を示してきた。一方で低迷する経済は貧困、格差の問題を浮かびあがらせた。結婚をためらう若者も増えている。昭和の人生モデルは揺らぎ、将来を見通せない不安が募る。ポスト平成はどういう時代になるのだろう。」とコメントしています。
 多様性時代といわれ、それを歓迎してきた平成時代であったが、ここにきて、幸いな人生はなんであるのか、だれも示してくれない時代であり、自分で探さなければならない時代であったのですが、はたして、その答えは見つかったのでしょうか。
 聖書は、どのような時代であっても、変わらない「幸いな道」を人々に示しています。神は唯一であり、変わることのない方です。神が最も愛しておられる人々が、幸いな歩みをしてほしいと願うことは、当然のことではないでしょうか。その方が用意してくださった「主の道」を歩むことがどの時代においても幸いなのです。
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12月31日 年末にさいしてー主をほめたたえよ

「主はとこしえまでも統べ治められる。」(詩篇一四六:一〇)
 
 主をほめたたえることは、主なる神のご命令です。この一年の終わりに「主をほめたたえる」ことができるならば、来年にも期待できます。なぜ、誉めたてることができるのでしょうか。
一 主は天と地と海とその中のいっさいを造られた方
二 真実を守り、正しく裁きを行う方
三 パンをあたえ、囚われ人を開放される方
四 盲人の目を開けられ、かがんでいる者を起こされる方
五 正しい者を愛され、在留異国人を守り、みなしごとやもめを守られる方
六 悪者を曲げられる方
七 とこしえまでも統べ治められる方
 このような方が私たちに目をそそがれ、助けて下さるのです。私たちの希望は、この神にかかっています。この確証はどこからくるのでしょうか。それは、イエス・キリストからくるのです。福音書に書かれているイエス様こそ、ダビデがほめたたえた神の御業を証しをしてくださった方です。罪があがなわれて、義とされた人々に分け隔てなく愛し、助けてくださるのです。
 

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12月24日 

編集中
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12月17日 

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2017年12月12日

12月10日 {主の準備}

「それは、わたしがきて、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
(マラキ四:六)
 
 預言者マラキは、紀元前四〇〇年ごろに預言者として活動しました。旧約の最後の預言者でした。預言者ミカから約三〇〇年が経過していました。この間、イスラエルの民は今までにない最大の危機を経験しました。北イスラエルは、民の罪によって、滅ぼされ、南ユダ王国は、悔い改めることによって、主に救われて約一四〇年間守られます。しかし、再び主に反抗して、神の裁きを受け、国が滅ぼされたのです。しかし、神の憐みによって、七〇年後に再びエルサレムに帰還が赦されました。神殿を再建し、神を中心にして、歩み始めました。
 民は、このような主の取り扱いを受け、理解していくのです。主の祝福と、その約束の確かさを身に叩き込まれるのです。その結果、異邦人の偶像礼拝から、きっぱりと離れ、み言葉を中心にして国を建てあげていくのです。
 救い主の来られる準備が整いました。そして、最後の準備のために、エリヤが再び派遣されるのです。救い主イエス様の弟子となる人々を準備するのです。「しかし、私は言います。エリヤはもうすでに来たのです。」(マタイ一七:一二)。主の来られる準備は整いました。
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12月3日 {神の預言}

「昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ五:二)
 
 預言者ミカは紀元前七五一年〜六八七年に預言者として活動しました。預言は、神から遣わされて、神からのメッセージを民に伝えるのです。ミカの故郷は、エルサレムの南東四〇q、西はペリシテ人の町ガテがあり、東はアドラムの中間に位置するモレシト人の町でした。ここは、東西南北の交通の要所であり、エジプトやアッシリアからの人々が行ききする地点です。ミカは世の動きを敏感に感じ取りながら育ちました。
 この時代は、イスラエルの民は、主から遠くに離れていました。そのため神は民を立ち返らすために、預言者ミカやイザヤを遣わされました。しかし北イスラエルは、さらに罪を犯して神に反抗したのです。そこで神はアッシリヤの国を用いて、イスラエルの国を攻めさせたのです。
 紀元前七二一年、北イスラエルの首都サマリヤが陥落してしまいました。しかし、南ユダ王国は、預言者イザヤの働きによって、主に聞き従い、主の不思議な方法で、アッシリヤの攻撃から、救われたのです。
 ミカの活動した時代は、私たちの時代と似ています。神から離れているのです。ミカの預言通り、人々を神に立ち返らすために、イエス様が遣わされました。あなたは、サマリヤの人々と同じように行動しますか。それとも、エルサレムの人々のように、神の声を聴き、悔い改めて従いますか。
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2017年11月26日

11月26日 {家族の祝福}

{家族の祝福}
 「主はシオンからあなたを祝福される。」(詩篇一二八:五)
 
1、主は家族を祝福される。
 主の目は、主の道を歩んでいる者に常に注がれている。人々は美しい都エルサレムに目を奪われますが、神はその中の「主を畏れ、主の道」を歩んでいる、まずしい一人の聖徒に注目されます。そして、声をかけられます。「幸いなものよ。」と。

二、その喜びとは!
 
@勤労が祝福され、その実を食する時、喜びが沸き上がる。
A妻は豊かに実を結ぶブドウの木のように、その働きが祝福され、あなたの喜びとなる。
B子らは、オリーブの木を囲む若木のように祝福される。
 オリーブは、平和の象徴であり、勝利の印です。オリーブの実は植えられてから一四〜一五年ころから実をつけ始めて、三〇年ごろが、一番多くの実をつけます。どこか人に似ています。しかし、常緑樹であり、樹齢は千年以上のものも珍しくはありません。
 主は、主の道を歩む「あなた」はオリーブの木のような祝福された者であり、あなたの子は、あなたの根から芽を出してくる若木のように、あなたの喜びとなり、幸せをもたらす者となる。




 
 



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11月19日 {注がれている主の目}



{注がれている主の目}
 「主はその愛する者には、眠っている間に。このように備えてくださる。」
(詩篇一二七:二b)
 
1 神は、昼夜、教会に目を注いでおられる。
 先日、天皇陛下が鹿児島県の離島を訪問されました。火山活動によ被災した島民を励ますためでした。その映像の中に、一人の老婦人が、天皇陛下が私たちのために、わざわざ遠い島まで訪ねてくださったことに大変感激されていました。
 人は、自分のために、忘れないで心を使ってくれることを喜びます。ソロモン王は、素晴らしい都を建設しました。多くの国々の王は、エサレム見にやってきます。そして、その素晴らしさをソロモン王に話します。しかし、王は、主によって建て、主によって守られていることを証しするのです。その目は、今、教会に目が注がれています。主イエスキリストが十字架を担われて、隅のかしら石となって建てられた教会に
目を注ぎ、守られているのです。

二 一番小さな子供たちにも目を注いでおられる。
 大きな町エルサレム、その中に生かされている一番小さな命に、ソロモン王は、神の御業のすばらしさを見るのです。目を見張る壮麗な神殿ではなく、主の目は一番ちいさな子供に向けられているのです。
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2017年11月15日

11月12日 {幼児へのイエス様の祝福}

※音声録音データありません。

{幼児へのイエス様の祝福}
 「手を彼らの上に置いてから、そこを去っていかれた。」(マタイ一九:一五)
 
1 イエス様は幼子の信仰を受け入れられました。
 「私を信じるこの小さいものの一人にでもつまずきを与える者は・・」(マタイ一八:6)とイエス様は教えられました。
 小さい者のイエス様に対する信仰は人々の模範者として、おとなの弟子たちに告げたのです。私たちは、子供の信仰は、よく理解していないのだから、もっと大きくなってからバプテスマを受けたほうが良いのではと考えていないでしょうか。先日、稲毛教会の三〇周年礼拝で証された方は七四歳の男性でした。
その証の中で、五歳になるお孫さんの信仰の勧めで、信仰に導かれました。そして、そのお孫さんと一緒にバプテスマを受けられました。その信仰からの勧めをイエス様は用いられたのです。
 
二 イエス様は幼子をいつも心にとめておられます
 キリスト者でない人でも、子供の成長は、神の守りが必要であることを知っています。多くの人が宮参りに行きます。
 イエス様の周りには、いつも子供たちがいました。そして、子供の成長を心から願っておられました。私たちの人生は、全ての時期がつながっているのです。子供への祝福は、おとなへの期待を持たせてくれます。


 
 



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11月5日 {キリストの力}

※音声録音データありません。

{キリストの力}
 「だれかが私にさわったのです。私から力が出ていくのを感じたのだから。」(ルカ八:四六)
 1 神の力は人のいのちを生み出します。
 私たちの命と身体は、神の知恵と力による御業によって、生み出されます私たちはその恵みによって、生かされています。自分の力によって支えているのではありません。食べること、体を動かすこと、物事を考えることで支えているのではなく、神によって支えられているので、用いることができるのです。その証拠に、全ての機能を、自分でコントロールすることはできないのです。私たちは高慢になってはなりません。ある医者が「私たちの医療は、神の手伝いをしているにすぎません」と語っています。
 二 神の力は、永遠の命を人の内に与え支えます。
 信仰によって、神は、永遠の命を信ずる人の内に生みだします。そして支えます。「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」(エペソ五:一九)これが、主の栄光と賛美なのです。食事は身体を支えるためだけではなく、神に感謝する時であり、互いに交わり喜ぶ時でもあるのです。体を動かすのも、健康を維持するためだけではなく、他の人々を助けるためでもあり、互いに喜ぶためでもあるのです。霊的なことにおいても同じです。霊的活動は、神の喜びであり私たち互いの喜びなのです。喜びと感謝が主の栄光を現すことなのです。
   
 
 



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10月29日 {キリストの内住}

{キリストの内住}
 「見よ。私は戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聴いて戸を開けるなら、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私とともに食事をする。」(ヨハネ黙示録三:二〇)

 人生において、共に歩いてくれる人を持っていることは幸いです。それは家族であったり、友であったりします。一番近い者は、夫であり、妻でしょう。
 キリスト者にとっては、この全てにあてはまるのがイエス・キリスト様です。ある時は兄であり、良き友であり、良き伴侶です。ともに喜び、共に悲しんで下さり、助け、励ましてくださいます。そのキリストが私たち
の内に住んでいて下さり、決して離れないように、共に歩んで下さるところに、救いがあります。
 イエス様の側は、すでに、全ての準備は終わっておられます。いつでも私たちが心のドアを開けて

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10月22日 ※記録なし

10月22日 ※記録なし
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2017年10月28日

10月15日 「パウロ祈り」


{パウロの祈り}
 「すべてのものの名の元である父の前に祈ります。」
(エペソ三:一五)
  伝道者パウロの祈りを通して、祈りを通して、父なる神の祝福を見ましょう。パウロは祈りをする時、呼びかける神がどのような神であるかを書き記しています。そこに、神に期待するパウロの心が見えます。
 孫が、眠くなると、お母さんのところに来て、一緒に寝てくれるように必ず要求するそうです。決して父親のところには来ません。また、起きている時は、一緒に遊んでくれる父親のところに来て、相手をしてくれるよ
う要求します。自分の期待をかなえてくれる者のところに行っておねだりをします。私たちも同じなのではないでしょうか。
 パウロは、父なる神が自分の期待に必ず応えて下さる方であることを知っているのです。では、パウロが期待している神とはどんな方なのでしょう神は「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元」である。
 天上のエルサレムには、高い城壁と一二の門があって、門には一二部族の名が書いてあり、城壁には一二の土台石があり、子羊の一二使徒の名が書かれています。(黙示録二一章一二〜一四節)「家族」とは、旧約の部族
です。当時は部族の名ですべての民を数えていました。また、新約では、使徒を通して福音が伝えられ救われた者が神の家族として教会に加えられたのです。「その元」とは、その全てを創出された方なのです。

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10月8日「神の家族」

※今回は録音メッセージはありません
{神の家族}
 「あなたがたは・・今は…神の家族なのです。」(エペソ二:一九)
  
 家族の重要性は、神は昔から、人々に語ってこられました。
「しかし主は貧しい者を悩みのうちからあげて、その家族を羊のようにされた。」(詩篇一〇七:四一)(口語訳)
 主は家族単位で、祝福し導いて来られたのです。ノアの家族の救い、ヤコブの家族の救い、ピリピの監仕の家族の救いはよく知られています。
伝道者パウロは、神の祝福の基は、家族にあることを明らかに示されました。救われた人々は、「神の家族」を構成していることによって、神の祝福をうけることができる確信なのです。
 
「家族の祝福」

一 同じ命を頂いている。
この命の中に、構成される必要なものが、全てが含まれているのです。永遠のいのちは「イエスのいのち」なのです。

二 家族の大黒柱はイエス・キリストです。
 家族を守り、育ててる全ての責任はイエス様が負ってくださいます。イエス様の権威は、そのために父なる神より与えられているのです。罪に打ち勝つ力、死に打ち勝つ力、悪魔に打ち勝つ力、御霊の実をならせる力、私たちに必要なすべてのものを持っておられるのです。
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2017年10月21日

10月1日 「いのちのつながり」

※今回は録音メッセージはありません

{いのちのつながり}
 「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが
全うされて一つとなるためです。」(ヨハネ一七:二三)
  
 教会に来る田んぼ道に、雀の群れが飛び交っているのを見ます。家族なのでしょうか、また、親族なのでしょうか。決して一羽だけで行動はしません。互いにつながっているようです。それによって、何か益があるのでしょうか。また、災害などで、被害を受けた人々の話に、「人のつながりの大切さを実感しました。」ということを聞きます。多くの人々の助けを受けて「一人ではないのだ。」と勇気をいただきましたという声を聴きます。
 イエス様は、「一つになる。」ことの大切さを語っておられます。しかもイエス様と繋がる必要を話しています。それは、父なる神様と子なるイエス様が私達と繋がることを、求めておられのです。
 「永遠のいのち」は、イエス様と繋がることであり、永遠に決して切れることのない強い絆で結ばれているのです。つながることは、「いのち」の中に必然的に形成されているものなのでしょう。人は、そのつながりを
請いにきってしまいました。それが罪です。そのゆえに人は生きられなくなりました。イエス様はその絆をもう一度取り戻すために、世に遣わされ罪を取り除き、神様と再び繋がれるように死に蘇られたのです。


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9月24日 「神の守り」


{神の守り}
「あなたがわたしに下さっている聖名の中に彼らを保ち、また守りました。」(ヨハネ一七:一二)
  
 イエス様は、父なる神に、信じる者が悪い者から、守られるようにとりなしてくださいました。その真実の証しは、イエス様が天に昇られるまで、弟子たちを最後まで守られたことにあります。では、どの様に守られたのでしょうか。

一、 イエス様の説教を聞いた多くの人々が、イエス様から、離れて行き、共に歩まなかったのです。しかし、一二弟子は、離れなかったのです。(ヨハネ六:六六)

二、 ユダヤ人はイエス様を殺そうと、いつも機会を狙っていました。(ヨハネ七:1、19、32、八:59、一〇:31)
このことは、弟子たちにも、手が伸びることを明らかにしています。しかし、捕らえられることはありませんでした。

三、 ゲッセマネの園において、イエス様は、ご自身を追手の前に立ちはだかり、弟子たちを去らせました。

「それは『あなたが私に下さった者のうち、ただの一人も失いませんでした』とイエスが言われたことばが実現するためであった。」(ヨハネ一八:九)ヨハネはこの事を詳しく書き記しています。


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9月17日 「イエスの祝福」


{イエスの祝福}
 
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ一七:三)
  
祝福はギリシャ語で「エウーロギア」と言います。「エウ」と「ロギア」の合成語です。
「エウ」は「豊富、繁栄、良い事」という意味です。「ロギア」は、「ロゴス」の変形です。
「ロゴス」は「ことば」を意味します。すなわち祝福は、「ことばを繁栄させる」ことなのです。
イエス様が語られた「ことば」を繁栄させるのです。
同じような言葉に「エウーアンゲリオン」(福音)ということばがあります。
「アンゲリオン」は「使者、預言者」という意味です。併せると「美しい使者、良い事を伝える預言者」となります。
「祝福に満ちた神の栄光の福音・・・」(Tテモテ一:一一)にあるように
福音は神の祝福なのです。その実現のために、イエス様は神よりこの世に誓わされたのです。
その内容は「御言葉を受け入れたすべての人々に永遠のいにちを与える」ことです。
それは、「唯一のまことの神であるあなた」と「あなたの遣わされたイエス・キリスト」を受け入れることです。それを信じることによって信じた人のうちに、イエス様は、永遠のいのちを与えて下さるのです。これが、イエス様の祝福の御業なのです。信じましょう。


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2017年09月08日

9月10日 「成就」

※今週はメッセージの録音はありません。

成 就
「私のことばは、その時がくれば実現します。」(ルカ一:二〇)
「主が・・・約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した」           
(ヨシュア二一:四五)
 
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9月3日 「祝福の基」

※今週はメッセージの録音はありません。

祝福の基
「汝は祝福の基となるべし。」(創世記一二:二)
(使徒二:二四)
 
一、私達の幸いは、主イエス・キリストの祝福によって、与えられます。
五つのパンと二匹の魚が、五千人以上の人々の食事を賄えたのはなぜでしょうか。それは、イエス様が「天を見上げて祝福を求め」たところに理由があります。必要が満たされたのは、神様の祝福の御業によるのです。

二、主の晩餐の時、イエス様は、パンと葡萄酒を渡される時、祝福されました。「それからみなが食事をしている時、イエスはパンをとり、祝福してのち、これを裂き、彼らに与えて言われた。」(マルコ一四:二二)
 祝福されることによって、パンがイエス様のからだに、葡萄酒が、イエス様の契約の血になったのです。

三、パウロが、ローマへの護送の時、船が嵐に会った時、二七六人の食事を用意したのです。
船が難破しそうになり、乗っていた人々が元気を失いつつあった時、パウロは、「あなたがたは、待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして一四日になります。ですから、私はあなたがたに食事をとることを勧めますこれであなたがたはたすかることになるのです。・・・」こう言って彼はパンを取り、一同の前で神に感謝を捧げてからそれを裂いて食べ始めた。
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8月27日 「主の弟子になろう」



「主の弟子になろう」
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
(マタイ二八:一九)
  
一、主が必要とされておられる。
「あなたがたで用意しなさい。」と主は弟子ピリポに命じました。
主は、民の必要を知っておられた。民はそこまで期待していなかったのです。
二、その働きは、驚くべき働きであった。
ピリポは、自分たちには、出来ない働きであった。「二〇〇デナリでも足りません。」と答えるしかありませんでした。二〇〇デナリとは、今のお金で約二〇〇万円ぐらいです。自分たちは、何も持っていません。
三、ずかな物を主の手に委ねる。
これには、信仰が必要です。アンデレは、一人の少年が差し出した弁当を、イエス様の所にもってきました。しかし、これでは、到底間に合いませんが、イエス様の御前に差し出したのです。その信仰の行動は、イエス様が「持って来なさい。」と言われたからです。その言葉に従ったのです。
四、その結果、驚くべき経験をしました。
十分に必要が賄えたのです。五千人以上の人々が満腹したのです。
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2017年08月23日

8月20日 「養いの主」



「養いの主」
 「彼らが出かけて行く必用はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べるものをあげなさい。」(マタイ一四:一六)
  
一、この御業は「神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられます。」の実物訓練です。

二、人々はイエス様を求めました。
多くの人々は、様々な求めをもって、イエス様のおられる所に集まりました。ある人は、病気の癒しを求めて、また、ある人は、キリストを求めて、ある人は、救いを求めて、また、イエス様のお話を聞くために、どんなに遠くても、あとをおったのです。

三、イエス様は、人々の必要を知っておられた。
イエス様は、「群衆を見て、深くあわれんで、彼らの病気を直された」のです。しかし、イエス様は、それ以上、彼らの必要を知っておられました。魂の羊飼いの必要を強く覚えられたのです。

四、私が良い羊飼いであることを示されました。
男子で五〇〇〇人ほどの食事を用意しました。たった五つのパンと二匹の魚で、賄うことが出来たのです。これは、イエス様の声に、応答した子どもの弁当一人分だったのです。
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8月13日 「地引網」



「地引網」
 「天の御国は、海に下ろしてあらゆる種類の魚を集める地引網のようなものです。」(マタイ一三:四七)
  
一、天の御国は、地引網のようなものです。
地引網を引き揚げている風景は、九十九里浜などで見かます。何十メートルもある大きな網を海に仕掛けます。一日経ってから、大勢の人々で網を、浜辺に引き寄せます。そこには、いろいろな種類の魚が網の中で泳いでいます。漁師は、食べることが出来る魚や、売れる魚は、籠に取ります。そして、利用できない魚は、海に戻すのです。
この世界も、網を引き揚げる時があることをイエス様は、はっきりと示されました。そして、神にとって、正しく、役に立つものと外に捨てられてしまうものとに分けられることを明らかにしました。その選別は、主によってなされるのです。    

二、あなたは良い魚ですか。
   良い魚であることの保証は「あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私達が御国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ一:一三、一四)
今、福音を信じ、聖霊との交わりを、大切にしておられますか。
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8月6日 「隠された宝のように」



「隠された宝のように」
 「悟りを呼び求め、英知を求めて、声をあげ、銀のように、これを捜し隠された宝のようにこれを探りだすなら・・・主を知る」(箴言二:四)
  
一、天の御国は、隠された宝のようなものです。
 ここのポイントは、「隠されている」ということです。
これはイエス様のユーモアです。「宝」というヘブル語は、「マットモン」です。この言葉は「地に隠す」動詞からできています。その由来は、銀行がない時代に、人は、財を蓄えるために、カメの中に入れ、地中に隠していたところから言われるようになりました。
又、旧約聖書には、「あなたはご自身を隠す神」(イザヤ四五:一五)
と、示されています。主を求めることを命じられる時「隠された宝のように探り出すならば」と表現されています。

二、主は、私達に隠されている宝を捜す努力を命じておられます。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ七:七、八)
「命に至る門小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ七:一四)
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7月30日 「天の御国は目に見えない所で建てられて行く」



「天の御国は目に見えない所で建てられて行く」
天の御国はパン種のようなものです」(ピリピ二:一)
  
一、天の御国は、からし種のようなものです。
  御国を力強く、キリスト者の内に建てあげておられる。
からし種を見たことがあるでしょうか。以前仁戸名にある青葉の里に出かけた時、からし種が展示されていました。顕微鏡で見なければ見えないほど小さい種でした。近い物で、ごまの種に似ています。油が採取できるのも似ています。しかし、成長すると、比べ物にならないほど違います。ゴマの茎はせいぜい一mぐらいですが、からし種は五mにもなるそうです。
同じ様に、天の御国は今は目に映らないほど小さいけれど、確実に、そのいのちは生き、成長していくのです。後に何よりも大きくなっていくのです。

二、天の御国はパン種のようなものです。
 パン種は、水で練った小麦粉の中に、少料入れて、ねかせていると時間が経過すると、膨らんで、美味しいパンの生地ができます。小麦と分散させることはできませんが、パン種が持っている力が十分に発揮されていることが、小麦粉を見ると分かります。
 
三、信仰によって、御国の国民として、忠実に主に仕えましょう。
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7月23日 「世の秩序」



「世の秩序」
「この世の終わりにもそのようになります」(マタイ一三:四〇)
  
一、主はどのような方なのか。
  世を最後まで、御支配されます。
今の世界はどこに向かっているのだろうか。私達には、現象が目に入ってくるだけです。なぜ、このような悲惨なことが起こっているのか解らないのです。まして、その背後には何があるのかさえ思いつかないのです。早く時が経つように思われて、なんとなく漠然とした不安に支配されています。
しかし、イエス様は、はっきりと、世を支配しているのはご自身であることを、弟子たちに明らかにされました。麦の例えを用いられて麦には収穫があるように、この世にも、同じように、収穫する時、すなわち、終わりの時があることを示されたのです。その時、遣わせれる御使いは、イエス様によって、遣わされるのです。

二、人は、神はなぜ悪を見逃しておられるのだろうか。
  弟子たちの疑問に対して、イエス様は答えられました。目をつぶっているのではなく、麦と毒麦を間違えないように、収穫するために、悪を早急に裁くのではななく、見守っていると言うのです。裁くのは終わりの時なのです。ですから、神を侮ってはなりません。
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