2015年03月08日

週報 愛による自己抑制ー自制

「あらゆる努力をして信仰には徳を・・・・知識には自制を自制には忍耐を・・・。」(Uペテロ一:五、六)
  
   柳田師によると、「節制(文語訳)とは、欲情の統制である。自らを能うかぎり高くし、能うかぎり強く主張し、止まるところを知らずに膨れ上がろうとする醜悪な自己自らの抑制である。
しかし、それは、異教的に見られるような、自己自らの知見や意志による自己自らの自我の抑制ではない。このような自己抑制は、必ず失敗する。もし、成功すれば、結果はなおさらおそろしい。なぜなら、それこそもはや手のつけられない自己義認、自己神化への道を開くからである。
キリスト教の節制は、このような自己自らによる、自己自らの自我の抑制ではなく、御言の知識において、わたしたちにたえず語りかける、キリストの霊による自己自らの自我の抑制である。言い換えれば、生ける御言である、キリストの臨在のもとで、不可避的に起こらざるをえない、聖なるおそれによる自己抑制である。しかも、彼の裁きへのおそれというよりは、むしろ彼の愛へのおそれによる自己抑制である。
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。また、これよりも大きな自己抑制はない。小羊の愛は、もっとも深い本質において自己抑制である。」(ペテロの手紙の研究より)
posted by sbbc at 13:53| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする