2016年05月30日

5月22日 「主の御言葉を見極める」



「私のような者で、だれが本堂に入って生きながらえようか。
私は入っていかない。。」(ネヘミヤ六:一一)
神は御言葉を通して、導かれます。御言葉は不変です。
  ネヘミヤは、預言者のことばが、神からでたものではないことを見破ったのです。どうして、出来たのでしょうか。それは、知っていた御言葉と言われたことばがちがっていたからです。
  預言者シェマヤは、有力な預言者でした。二代まえから呼ばれているところから家柄がわかります。預言者イザヤのように名の通った家柄だったのです。ネヘミヤは、シェマヤに助けを求めに家を訪ねたのでしょう。以前、ヒゼキヤ王が、アッスリアに攻められた時、預言者イザヤに祈りの要請をしました。(U列王一九:三,、四)。しかし、シェマヤは会わずに、伝言で「主の
 宮で会おう」と伝えたのです。その理由は「敵が夜、あなたを殺しに来るから」と言うのです。
  ネヘミヤは、これは、陰謀であると見破りました。それは、律法によると、主の宮に入ることができるのは、祭司とレビ人だけであることが、記されてあるからです。ネヘミヤは、千年も前に書かれた聖書の記事が、今も効力があることを知っていました。主の宮に入るのは神に罪を犯すことなので、神は決して、罪を犯すようには導かれないのです。たとえ、命が危険にさらされるとしても、御言葉に従うのです。従うところに、主は守られるのです。
posted by sbbc at 11:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

5月15日 「前進せよ」



「前進せよ」
「私は大工事をしているから、下っていけない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ行ったため、工事が止まるようなことがあって良いものだろうか。」(ネヘミヤ六:三)

 城壁は門を取り付ける所まで、できあがりました。ネヘミヤが言っているように、大工事でした。壁の厚さは六メートル、高さは七・六メートル、その上二重の壁になっていました。石垣の石は大きい物で、長さ九メートル、幅二メートル、厚さ一メートル、重量八〇トンもありました。敵共が、あらゆる手で妨害したけれども、驚くほどの速さで石垣が積み上がったのです。
 門を取り付けるだけになったとき、最後の手段に打ってでたのです。城壁が完成すると、外から攻撃することは出来ません。そこで、城壁の外におびき出すことにしたのです。外に出たところ攻撃しようとしたのです。神は城であり、盾です。その内にいるならば安全です。
 しかし、敵は、執拗に外に引き出すために策略をめぐらします。彼らは、嘘の噂を流し、ネヘミヤを脅しにかかったのです。それに対抗するために、工事を完成まで、決して止めてはならないことをネヘミヤは固く決心していたのです。「手を鋤にかけてから、後ろに振り向いてはならない。」とイエス様は教えられました。主の働きは、常に前進あるのみです。寄り道をしている暇はないのです。それが、守られる秘訣です。
posted by sbbc at 20:32| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

5月8日 「すべて福音のために」



「それなのに、私達はこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えないとしてなのです。」(Tコリント九:一二)

  一人の兄弟を紹介します。彼は、昨年の総会後、まだバプテスマを受ける前でしたが、私の所に来て、「先生、佐倉教会をお辞めになるんですね。」と言って、頭を深々下げて「先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。」と挨拶されたのです。
  また、この兄弟は、私が昨年六月、アメリカに出かけた時、祈り会を二回出られなくなったので、どうしようかと思い悩んでいた時、彼が、引き受けてくれたのです。出席者が少ないうえ、だれも出席しないかもしれないおそれもありました。しかし「わかりました。責任をもって引き受けます。」と。
 彼は、今も熱心に祈り会に出席し、教会と兄弟姉妹のために祈っています。
 その心は、行動に現れています。今日は、母の日です。彼は、カードを用意しました。自分で材料を用意して、自分の手で一枚一枚書いていました。
  神を恐れるとは、ネヘミヤのように、主に対しての心と同じ思いで、全ての民に接することです。又、 伝道者パウロも、同じように行動したのです。自分の権利は使わないで、その人の救いと成長のために全ての事をしたのです。そして、自分に必要なものは、神にのみ求めたのです。
posted by sbbc at 16:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月1日 「神をおそれよ」



「あなたがたは、私達の敵である異邦人のそしりを受けないために、私達の神を恐れながら歩むべきではないか・・・・。」
(ネヘミヤ五:九)

  「おそれ」は私達の生活に深く関わっています。地震を恐れるために、九州では、多くの方が家に帰れなく、不自由な避難生活を余儀なくされています。最近、高い所をこわがらない子供が増えて、高層マンションでの事故が多くなっていると警鐘を鳴らしています。ベランダの上って転落する事故が多発しているのです。又、目上の人や、教師を敬わない若者が増えています
  イエス様は、「体を殺しても、魂を殺せない人たちなどをおそれてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ一〇:二八)と弟子たちに命じました。
  ネヘミヤは、律法(神の命令)を守っていないことを、攻めたのです。単に民が苦しんでいるために、同情したのではないのです。レビ記を通して神は語っておられるのです。「兄弟が貧しくなり・・・彼が生活できりようにしなさい。彼から利息も利得も取らないようにしなさい。あなたの神を恐れなさい。」(二五:四二)。神を恐れることは、神の命令を守る事です。「おそれる」ことは「うやまい、愛する」ことなのです。ヨハネは、「神を愛するとは、神の命令を守る事です。その命令は重荷とはなりません。」(Tヨハネ五:三)祭司の前において誓いをたてさせたのです。
posted by sbbc at 16:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする