2016年02月28日

2月28日 「困難における訓練」マタイ9:9


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{盲 目}


 
 この暗く広大な世において、生涯の中半を終わらぬ先に、 
自分が盲目になったことを考えるとき、わたしの内に一つの 
賜物がー死だけがそれを隠しますー            
(それにより、私の魂がもっと熱心に、創造主にお仕えし、 
 その方が帰って来て叱責されることのないように、本当の 
 会計報告をだそうと願っていました。)         

むなしくとどまっていることを考える時、私はあさはかにも 
尋ねたのです。                     

「神は光を取り去りながら、私に日雇いをさせようというの 
 だろうか」と                     

しかし、忍耐がそのつぶやきを妨げて、すぐに答えました。

「神は人の働きも、人の捧げ物も要しません。       
 神の軽いくびきを、最善に負う者は、いちばんよく神に  
 仕える者なのです。                  
 神は王者のような方、幾千の人がその命令によって急ぎ  
 ます。                        
 陸を超え、大洋を超えて、休むことなく行くのです。   
 耐え忍んで待っていなければならない者たち       
 彼らもまた奉仕する者なのです。」           
                  (ジョン・ミルトン)


 ※ミルトンは1600年代のイギリス人です。賜物に恵まれ、 
  宰相の右腕として活躍していたが、44歳のとき失明する。
  古典「失楽園」の著者                



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2016年02月21日

2月21日 「捧げる恵み」ルカ21:1-4


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{捧げる恵み}
〜イエス・キリストを知る〜



 「いくら豊かな人でも、その人のいのちは     
  財産にあるのではないからです。」(ルカ12:15)


 あるニュースで聞いた話ですが、アメリカは寄付の社会が
根づいているが、日本の社会はほとんどその精神はないとの 
報道でした。これは、キリスト教の精神で建てられている国の
違いなのでしょうか。自分優先の精神に支配されている罪人の
しるしなのでしょうか。                 

 「他の人のことも考えるように」とイエス様は人々に勧めて
います。なぜでしょうか。                

『受けるよりも与えるほうが幸いである』
と語られた中に答えがあります。

このことが、罪人である私達は受け入れられないのです。
実践しなければキリスト様を知ることが出来ません。
伝道者パウロは、この御言葉に従いました。(使徒20:35)


{聖書の神は、私達の父なる神です。}          
イエス様は常に神様を示される時「父」に言及しています。
罪人の父でさえ子供のことは、常に心にかけ、守り、良い物を
与えようとするのですから罪のない父なる神はなおさらでは 
ないでしょうかと話されます。              


{私達のことをよく見ておられる。}           
イエス様は、混雑する神殿の献金箱が見える場所におられて、
誰も目に留めない貧しいやもめの姿を見逃しませんでした。 
しかも、捧げたレプタ二枚が、彼女の全財産であったことを 
見逃しませんでした。                  
そして、誰よりもたくさん捧げたことを喜ばれたのです。  
やもめはそれで充分でした。               



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2016年02月14日

2月14日 「従う恵み」ヨハネ2:1-11


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{従う恵みーイエス・キリストを知る}



「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神である
あなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを
知ることです。」 (ヨハネ17:3)

  
先週、アメリカのグループが重力波の観測に成功した報道が
新聞の一面に掲載されていました。このことにより、重力波が
あることを世界の人々は知ったのです。重力波があることは、
100年も前にアインシュタインによって、科学者は知っていま
した。1960年ごろから、ある科学者は観測を始めました。
しかし、なかなか成功しなかったのです。それでもあることを
信じ続け、観測を続けた者が本当に知ったのです。

一言で「知る」といっても、幅と深さの違いがあります。
100年前に知っていたことと、
今回観測によって知ったことには、大きな開きがあります。

イエス様が求めておられる「知る」ことは、直接見て、
聞いて、信じて行動にまで進む力になっていくことです。
永遠のいのちとは、
神様とイエス・キリストを知り続ける欲求を
心の中に与えるものです。
パウロは生涯、イエス・キリストを求め続けたのです。

カナの婚礼において、弟子たちや裏方で手伝っていた
しもべは、イエス様がキリストであることを誰よりも深く
知ったのです。それは、直接イエス様からの声を聴き、
その声に従うことによって、間違いなく、水が葡萄酒に
変わったのはイエス様の御業であることを信じたのです。


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2016年02月07日

2月7日 「教会の権威」Tコリント5:11-13


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          {厳しさと優しさ}



 「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。」
                   (ローマ11:22)



 神には、厳しさと優しさとが共にあり、バランスがとれて
おいでです。
厳しさは、その聖さから生まれ、優しさは、愛から生まれます。

 聖書の記録は、このことを実によく示していると言える
でしょう。律法と恵みということばであらわしても誤りでは
ありません。律法は、神が私達に求められる標準であり、
その標準に達しない私達のために、自らその足りなさを補って
下さった、正確には贖って下さったのが恵みです。
律法には、人がいかに神の求める標準に達しないかを明らかに
してくれる役目があり、恵みには、いかに神が人を愛してくだ
さっているかが明らかにされています。

 この二つのことを人は明らかに知る必要があるわけです。
人がただ自分の弱さを認めるだけでは不十分で、神と直し、
神の前にいかに自分が愚かで、不遜で、不従順で無力な者で
あるかを知らされるところに律法の役目があります。

 現代は、この神の前に自分の罪深さを知り、認めるという
ことが嫌われる傾向が強いという点で終末的です。即ち厳しさ
が嫌われる時代なのです。神の前に於ける厳しさをしっかりと
受け止められない人は、十字架の神の愛を真に理解するに至り
ません。それは単なる優しさ、人間的な愛にすぎませんから
極めて不安定で永続できません。
             (山宮先生の牧者の声より抜粋)


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