2015年08月28日

8月23日 週報 聖徒を支える交わりの恵み(メッセージ録音なし)

「それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。」
(ピリピ四:一四)
  
  神が私達に求めておられることは、「心を尽くして、思いをつくし、力
を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」、「あなたの
隣人をあなた自身のように愛せよ。」です。ピリピ教会はそれを、福音を
伝えることで、神への愛を実践しました。そして、聖徒を支えることによ
って、隣人を愛することを実践したのです。ルカ伝の「良きサマリヤ人」
で知られる記事には、強盗にあった人の隣人は、同胞のユダヤ人でも、祭
司でもなく、ユダヤ人から嫌われていたが、憐みをかけたサマリヤ人でし
た。
 ピリピの人々は、自分たちに、困難の中、犠牲を払って遠くから来て
福音を伝えて下さった伝道者パウロを最大の隣人として、自分を愛する
うに愛したのです。その愛は、パウロを常に心配、心にかけ、どんな時
にも、援助することを優先したのです。「それは香ばしいかおりであって
神が喜んで受けてくださる供え物です。」と告白しました。「また、私の
神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの
必要をすべて満たしてくださいます。」と主の祝福を知らせました。
posted by sbbc at 22:34| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月20日

週報 教会の働きへの従順ー恵に富む者へ

「あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私と共に恵みに預かった人々であり・・。」(ピリピ一:七)
  ピリピ教会は、伝道者パウロが生涯、愛し続けた教会でした。そして、
教会もパウロを初めから、殉教する最後まで、愛し続けた教会でした。ピ
リピ教会は、習うべき教会の模範です。
 パウロは、「ピリピ教会は、いつも従順であった」と証ししています。
そして、これからもそれ以上に従順であってほしいと願ったのです。
それは「救いを達成する」ことだと勧めました。その従順とは、
一、福音を広めることに従順でした。
ピリピ教会は、ヨーロッパ大陸で最初に設立された教会でした。
  福音が広まることに、常に感心をよせ、パウロの証しを聞き、祈り、パウロと共に喜んだのです。これは、パウロの伝道の働きの最後まで変わることはなかったのです。
二、神を敬うことは、伝道者を敬うことであることに従順でした。
   ローマは、ピリピからは、当時、ヨーロッパ大陸の東の端から西の端に位置します。それでも、ピリピ教会はローマに投獄されながら伝道していたパウロを心配し援助するために、エパフロデトを派遣しました。その為に病にかかり死にそうになった程です。聖徒を支える交わりの恵みに預かりたいと熱心に願い、自分自身を主にささげ、パウロにも委ねたのです。
posted by sbbc at 11:50| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月16日 教会の働きへの従順

posted by sbbc at 11:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 従順の恵み

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。」(ピリピ二:一四)
  
  今回、司門夫婦を通して、一つの恵みを頂きました。ある日、電話があ
り「子供の名前をエデイデヤと決めた」と連絡をしてきました。聖書から
とったというのですが、私は知りませんでした。聖書に一回しかでてきま
せん。ソロモン王の別名です。主がわざわざ、預言者ナタンを通して、つ
けた名だと説明されました。意味は「主が愛された者」です。以前から考
えていたそうです。私は、これを聞いた時、親として勤めが終わり、完全
に主に従う道を歩みだしたと悟りました。
  彼は、一三年間、厳しく主に取り扱われてきました。アメリカに単身で
 わたり、頼る人もなく、ただ、知っている方は主イエス様だけでした。幸
い彼は小さい時から聖書だけは、よく読んでいました。それが大いに力に
なりました。渡米してからは、「僕はエジプトに売られたヨセフだ。」と口
癖のように言っていました。苦しいときに牢獄のヨセフを思い出し、忍耐し
 主に、いつかは引き上げて下さることを信仰によって、希望をもち、歯を
 くいしばって従順に従った時、多くの人々を通して、助けを頂き、様々な
方法で救いの手が延ばされた経験をしたのです。その一つ一つの積み上げ
によって、今回、「私は、主に愛された者」と、証しが出来たのだと思い
ます。父親として、これ以上の喜びはありません。


posted by sbbc at 11:48| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月9日 従順の恵み

posted by sbbc at 11:47| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 望の神―主に従順に

「私はキリストが異邦人を従順にならせるため・・・・・。」
(ローマ一五:一八)
  
  息子司門から聞いたことですが、「人は希望がなければ生きていけない」
と。仕事がら様々な子供や夫婦に接するが、全く希望がない子は救え
ないと言います。箴言には「幻にない民は滅びる。」と記されています。

この希望は「夢」ではないのです。夢は人が描くものです。必ず実現す
るとは限りません。いやむしろ、実現しないものがほとんどなのではないでしょうか。
 希望は確実に実現するものなのです。実現しそうもないものは、希望と
はなりません。
 信仰―神が語られたこと(聖書)は必ず実現するという確信。
 希望―この信仰によって、神に愛されていることを知り、今と将来に希望を持つことができる。
 従順―希望を持つがゆえに、神に従うことができる。
「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従
順を学び、完全な者とされ、神に従う全ての人々に対してとこしえの救い
を与える者となり・・」(へブル五:八、九)
posted by sbbc at 11:45| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月2日 望の神―主に従順に

posted by sbbc at 11:31| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

7月26日 週報 忍耐と励ましの神―自分中心ではなく(音声メッセージなし)

「聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」
(ローマ一五:四)
  
  息子夫婦を訪ねた時、約五〇〇キロメートル離れているグレナ先生を訪
ねました。この方は日本で宣教師として働いていた方です。八〇中半の方
ですが、ご主人を亡くされて一人で暮らしておられます。デパートで働き
三〇分ほどかけて、車を運転し教会で奉仕をしておられます。自分のため
ではなく、人の徳を高めるために神に仕えておられます。
 また、息子夫婦がよく利用している「good will」というお店が町ごとに
あります。この店は国がサポートしているリサイクル事業です。提供する
人は無料で品物を提供しますが、品物によって、減税にカウントされ、買
う人は、安く買うことが出来るのです。ほとんどの品物は一〜四ドル程度
です。多くの人が利用していました。他の人のために益をはかる精神はさ
すがキリスト教国アメリカだと感心しました。
 人はなぜ隣人の益を優先するところに、生きる喜びがあるのでしょうか。
また、他の人のために、働いている人に感動するのでしょうか。それが、
いのちの源である神の愛の営みだからなのです。パウロは言います。キリ
ストで.さえ、ご自分を喜ばすことは、なさらなかったのです。それ故、私
達は救われたのです。それが、神であるキリストの喜びなのです。
posted by sbbc at 23:52| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 主が受け入れられたもの(音声メッセージなし)

「私達は、おのおの自分のことを、神の御前に申し開きをすることになります。」(ローマ一四:一二)
  
  先日、アメリカに住んでいる息子夫婦を尋ねました。アメリカは人種の
 るつぼと言われています。日曜日の礼拝に出席しましたが、東洋人は息子
 夫婦だけでした。他の国籍のある人はいません。白人のアメリカ人だけで
 した。様々な違いのある人を受け入れることが、いかに難しいことである
かを思い知らされました。
 ローマ教会においても、様々な人々が、信仰によって、加わってきました
 ローマは帝国の中心でしたから、世界のあらゆる所から集まって来ました
人種の違い、文化の違い、言葉の違い、貧富の差、自由人、隷隷という階
層の違い、また、字が読める人、読めない人など様々です。この様な違い
を超え、同じ主を信じていることだけによって、互いに受け入れあうことを
パウロは勧めたのです。これは、困難な働きでした。多くの教会で、問題に
なっていたのです。パウロはペテロに対して、この点に関して避難しました
ペテロが異邦人をユダヤ人の手前、退けるような行動をしたのです。
 違いを受け入れることは、信仰によらなければ出来ません。罪は、こと
さらに退けるように仕向けてきます。福音書によれば、違いこそ、神に
とって大切な賜物としてそれぞれに分け与えているものなのです
posted by sbbc at 23:51| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月12日 週報 日曜学校の働きに祈りを (音声メッセージなし)

「あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された・・。」
(マタイ二一:一六)
  世は、どの時代でも子供を軽んずる傾向にあります。イエス様の時代も
律法学者や祭司たちは、子供のことは、眼中にはありませんでした。冒頭の
御言葉は、イエス様が、ロバの子の背に乗られて、王として、エルサレムに
入城された時の出来事です。子供達も大人の人々に混じって、イエス様を大
声で賛美したのです。すると、大祭司がイエス様に抗議しました。
大人に対してではなく、子供に対して不満を表したのです。なぜでしょうか
 今までこの様なことを、見たことがなく、子供まで巻き込んでいることに
驚いたのです。しかし、イエス様は聖書のことばを引用されて、あなた方が
信じている神が、認めていることを示されたのです。神は子供の心をも導い
ておられるのです。
 アメリカのある伝道者が、伝道集会の報告の時、「今日は、二人半の人が
救われました。」と言ったところ、聞いていた人が「大人の人が二人で子供
一人ですね」と応答しました。伝道者はすかさず、「子供が二人で大人が一
人です。これからの可能性は、子供のほうが大きいのです。」と。
 イエス様の周りには、常に子供だけではなく、あらゆる人々が集まってき
ました。特に軽んじられていた人々に目をとめられたのです。教会は、同じ
目線をもって、人々を招かなければなりません。
posted by sbbc at 23:47| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする