2015年05月25日

週報 たましいの大牧者―イエス・キリスト

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいであり、
監督者である方のもとに帰ったのです。」(Tペテロ二:二五)
  聖書の中で、人を「ひつじ」に譬えて表現しています。千葉県君津市に
 マザー牧場があります。三月終わりごろ、久しぶりに行って来ました。以前
 とは、ずいぶん変わっていましたが、今でも、羊が沢山飼われています。
羊飼いと牧羊犬の息のあった働きも見ものでした。羊の性質は
@ 従順
A 忍耐強い
B 迷いやすい
C 羊飼いの必要
D 規則的に毎日水を必要とする。
E 毎日、牧草が必要
 イエス様は良い牧者です。(ヨハネ一〇:一一)
  良い牧者は、自分の羊をよく知っている。羊も羊飼いを知っている。決っして間違うことはありません。又、羊を守るために、自分の命さえ惜しまないのです。
 イエス様は、羊の門です。(ヨハネ一〇:七)
  「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ一四:六)
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2015年05月17日

週報 主に仕える祝福

「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て・・・・」(創世記三五:J)
  
 先日、男子の青年が、教会を訪ねて来ました。話を聞けば「行き詰まっ
て、どうしたらよいかわからない。そして、相談する人もいないんです。」
と、ぼそぼそと話し始めました。どこまでが真実なのかはわかりませんが
両親も亡くなり、中学を卒業して、すぐに働かなければならなくなり、仕
事も転々とし、派遣の仕事で佐倉にきて働いていたが、契約が切れてしま
ったとの事。仕事も捜したがうまくいかず、途方にくれていると言うので
す。
 ヤコブの生涯は、目に見える所は、困難しか見えなかったのですが、主
がついておられた。ヤコブもまた、主に熱心に仕えました。主はどのよう
に導かれたでしょう。
@ 目的地である、ラバンの家に確実に到着した。
A ラバンの娘を妻に迎えることができた。
B ヤコブは、熱心に、知恵を尽くして、主に仕えるように忠実にラバン
の家畜を飼いました。
C ラバンの息子たちがねたむほどに、財産を持つように祝福された。
 主が味方であることは、何と幸いなのでしょう。
posted by sbbc at 14:38| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月17日 主に仕える祝福

posted by sbbc at 14:37| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

週報 個人的に結ばれた主

「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り・・・・こうして主が私の神となられるなら・・・・」
(創世記二八:S㉑)
  本日は「母の日」です。母と子の絆は一番強いと言われています。それ
 生まれる前から、母親は一年近く、子を育み、苦しみを通して、命を産み
 だします。それからも、一番近くで、深い関わりを持って愛情を注いでい
 くからでしょう。それよりも強い絆で結ばれているのが、主なる神である
 ことを、ヤコブは苦難を通して知りました。
  ヤコブは双子の兄弟の弟として、母親の愛をいっしんに受けて育ちまし
 母リべカは、なかなか子が与えられませんでした。せつなる祈りに、神が
 応えてくださって与えらたのですから、その愛情は大変なものでした。
夫イサクを欺いてでも、兄の長男の祝福をヤコブに与えようと、実行した
ほどでした
  しかし、それが原因となり、母親から離れ、一人で生きていかなければ
 ならなくなりました。彼は異国の地へと、旅だちました。その不安の中で
今まで見えなかった神を見出します。その後二〇年の歩みを通して、「私
の神」と呼べるほどに強い絆で結ばれました。「私の苦難の日に答え、歩
いた道に、いつも私と共におられた神」と告白するまでになりました。こ
の主は、時を経て今、主イエス・キリストとして現れてくださったのです。
posted by sbbc at 14:59| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月10日 個人的に結ばれた主

posted by sbbc at 14:55| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 近くにおられる主

「見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。
『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である』」
(創世記二八:一三)

  一ケ月程前、アメリカで有名になった猫の話が報道されました。その猫
は、二、三歳の男の子が庭で遊んでいると、野犬が襲ってきました。そ
れを見た猫が突然、野犬に向かって、飛びかかっていきました。そして
その勢いに押されて、退散しました。男の子にはけがはありませんでした
その猫は、男の子が可愛がっていた猫でした。猫は自分のご主人が襲われ
ていると思って、助けるために、命をかけたのです。人々から、賞賛され
たのです。
ヤコブは、兄エソウの憎しみから身を守るために、遠くに旅立ちました
 慣れない旅に不安を抱えていた時、夢の中で主は現れてくださった。傍ら
 に立って、「わたしは、あなたの父の神、主である。」と語られた。あなた
 助ける事、そして、アブラハムに約束した通りに、この地に帰ることができるように、あなたを守る」と告げました。
 「イサクの神」と告げられたことは、ヤコブにとっては、一番身近の神
です。当時、神々は沢山いるけれども、イサクを守り、導かれた神はお一
人であり、ヤコブは生活の中で、よく知っている神でした。
posted by sbbc at 14:54| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 唯一の主権者

「われらの神である主は、唯一の主である。」(マルコ一二:二九)
  一ケ月位前、NASAの発表によると、土星探査機の送信してきたデ
 ーターを分析したところ、蒸気が地中から、噴き出しているのが解った
 と報じました。その分析で活躍したのが、日本の深海を調査しているグル
 ―プでした。この発見は、そこに生命体がいるのではと一気に期待が高ま
 っているのです。
  しかし、この報道は、「いのち」が存在している原因、そのメメカニズム
 すら人類は知らないことを暴露しています。いまだに暗闇の中で手探りし
 ているのです。人間側からのみ探究してもすべてを解き明かすことが不可
 能であることを明らかにしています。人類は科学の手段にたよる事によっ
 て、神を見失いました。科学は、神が創造された、ほんの一部のメカ二ズ
 ムを解き明かしたにすぎません。ましてや、存在の意義などわかるはずも
 ありません。
  人は、人以外の主権者がおられることを、知っていながら、神を認めよ
 うとしないほどに、罪深いのです。聖書を通して、主権者である主なる
 神は、わたしたちに語っておられるのです。それは真理なのです。私た
 ちの現状を間違いなく言い当てています。「いのちとはなにか。」「なぜ
 死があるのか。」「神は私を愛して下さっていることを。」等々。聖書に
 向かいましょう。答えは見つかります。
posted by sbbc at 14:49| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月26日 唯一の主権者

posted by sbbc at 14:47| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 あなたは、どこにいますか(魂のホーム)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが、あなたがたを休ませてあげます。」(マタイ一一:二八)
   
  春、若葉が芽吹始め、美しい若草色の若葉が、私達の目を楽しませてく
れる季節です それに誘われて、人は旅に出ます。非日常的な中に、何か
を求めて趣くままに、家を離れます。そして、少々疲れを覚えて、家路に
着きます。
 その時、ホットして「ああ、家が一番落ち着くなあ」と心の奥でささや
く声に気づきます。それは不思議な経験です。
 聖書の中に、よく似たお話が書かれています。イエス・キリスト様は飼
う者のいない羊のように、弱っている人々をご覧になり、可哀そうにおも
われました。そして、「わたしのところに来なさい。わたしが、あなたがた
を休ませてあげます。」と言われ、人々を招ておられます。
 イエス様は、私達を見て下さっています。人が疲れている状態を、重荷
を負って、今にも倒れてしまいそうな人々を見守っておられます。休みを
求めてあえいでいる人々に、「ここに休み場があります。」と声をかけてく
ださっています。あなたには、この声が届いていますか。わたしたちの魂
のホームは神の懐です。「すべてのことが、神から発し、神によって成り
神に至るからです。」(ローマ書一一章三六節)
posted by sbbc at 14:42| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

週報 主の為に生きる

「わたしは彼らの神となり、かれらはわたしの民となる。」
(Uコリント六:一六)
   
  君津に住んでいる義理の兄が、八〇歳にもかかわらず最近、生き生きと
 暮らしています。先日も久しぶりに会ったのですが、以前とはまるで別人のようでした。
  三年まえに奥さんを亡くし、がっかりしているところに、火事になって、多くのものを無くしてしまいました。その時、君津を離れてしまいたいと口にしていました。しかし、一年前に、教会に導かれて、教会生活をはじめたのです。花道や茶道を教えていたこともあり、その教会の茶会に招かれたのがきっかけで、今や、手伝うようになり、いろいろと聞かれるようになり、 
 期待されることが喜びになっているようです。
  自分のために生きている時は、なぜか、沈んでいるのです。
喜んでよいはずなのに、実際は逆なのです。期待され、他の人のために
生きる時、喜びが湧き上がってくるのです。
 イエス様が死なれたのは、私達が、自分のために生きるのではなく、
よみがえられた方、すなわち、主のために生きることが出来るように
罪の縄目から救いだしてくださったのです。主は、私達に期待しておられ
ます。
posted by sbbc at 14:37| 週報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月12日 主の為に生きる

posted by sbbc at 14:32| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする