2017年06月20日

6月18日 「主の忍耐」



「正しい者の救いは、主から来る。苦難の時の彼らの砦は主である。」(詩篇三七:三九)
 
 一、主はどのような方なのか。
     主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。
     主は、悪者どもから彼らを解き放ち
     彼らを救われる。
     彼らが主に身を避けるからだ。(詩篇三七:四〇)
  
 二、主のしるしを見よ。
 イエスはこのことを最初のしるしとしてがリラヤのカナで行い
 ご自身の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
 (ヨハネ二:一一)
 
 神は私達に求めておられることは、訓練によって、力をつけることではなく、御言葉とその証しを通して、示される神を信じることです。
 ギデオンは、神のことばを信じるために、しるしを求めました。しかも自分から見せてほしいしるしを提示しました。それは、自分の命がかかっていました。そのことを神はご存じで、実行してくださいました。神は信仰によって歩もうとする人を、助けます。イエス様のお弟子さんが、イエス様をキリストと信じるために、助け導かれました。
 今日も、イエス様は私達の信仰のために、御業をしておられます。
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2017年06月16日

6月11日 「主の祭壇を築け」



「主の祭壇を築け」
一、主はどのような方なのか。
 私達の神は、天におられ、その望むことをことごとく行われる。
   ・・・・・
 イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、
 また盾である
   ・・・・・
 主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。
   ・・・・・
 主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。
   ・・・・・
 あなたがたが主によって祝福されるように。
 主は、天と地をつくられた方である。
二、偶像とはどういうものか。
 彼らの偶像は銀や金で、人の手の業である。
 口があっても語れず、目があっても見えない。
 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。
 手があってもさわれず、足があっても歩けない。
 のどがあっても声をたてることもできない。
 これを造る者も、これに信頼するものもみな、
 これと同じである。
(詩篇一一五篇)
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2017年06月06日

6月4日 「ギデオンの信仰」

※録音はありません

「ギデオンの信仰」
 「私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せて下さい。」(士師記六:一七)
  
  ギデオンはヨシュアから約一六五年後にイスラエルの民を主に立ち返らせるために、用いられた人です。そのギデオンの信仰をみてみましょう。
 一、先祖を導いた偉大な主を信じている。
  「主は私達をエジプトから上らせたではないか」と言って、私達に話したあの驚くべきみわざはどこにありますか。とギデオン主の使いに問いました
 二、主が一緒にいてくだされば平安である信仰。
  ギデオンは、今のイスラエルの悲惨さは、偉大な主が民を捨てられたからと考えていました。主が一緒にいてくださるのであれば、もっと良いはずだと、主に訴えました。しかし、今、自分に話している「あなた」が、主の使いであることを、すぐ否定しませんでした。確かめることにしました。
 三、主の使いであることがわかると、そこに祭壇を築きました。
  主が共にいてくだされば
 救われると確信したのです。
 主を礼拝するのです。
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2017年05月30日

賛美練習用録音データ 725 われを見出し 

ソプラノ

アルト

テナー

バス


伴奏

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5月28日「主の選択」


「主の選択。」
「全地はあなたの前にあるではないか。もしあなたが右にいけば、私は左に行こう。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。」(創世記一三:九)

   神の導きを知るには、どうすればいいのでしょうか。今、教会は千葉ニュータウン教会の独立に関して、主の導きを求めています。聖書から三つの実例を通して、見てみましょう。
  一、モーセとロトの別れ(創世記一三:九)ー選択権を相手側にー
  別れなければならない事情が出て来た時、アブラハムはまずロトに選択  するように提案しました。ロトは自分が良いと思う低地を選びました。アブラハムは、他の所を選んだのです。
  二、サムエルとイスラエルの民(Tサムエル八:七)ー主にゆだねてー
  イスラエルの民はある事情から、王を立ててくれるようにサムエルに申し入れました。サムエルはそれには反対でした。神にたずねた所、「この民があなたに言う通りに民の声を聞き入れよ。・・・今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」とサムエルに応えられました。
  三、パウロとバルナバとの別れ(使徒一五:三九)ー主の働きを分けるー
  マルコのことで、彼らは激しく話し合いました。その結果、夫々の選択の道を行くことになりました。主はそれを受け入れられました。
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5月21日 「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」


「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」
 「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(使徒一四:二三)
  
  使徒たちは、福音を伝え、信じた人々が起こされると、そこに、教会を組織し、その群れを導くために長老(牧師)をたてました。そして、信じている主にゆだねたのです。
  聖書では、伝道所から、教会に代わる記事はありません。福音を伝え、弟子を集めることは、主の御命令です。福音を信じた人々の集まりが教会です。
 私達の信仰告白は、地方教会の独立を告白しています。独立とは、自治、自給、自伝の権威を教会に派遣教会より与えることを言います。
  自治は、教会の礼典の執行の権威が与えられ、各地方教会が全責任をもって、決め、行動することであり、全ての結果に責任を持つことです。バプテスト教会は、会衆全員によって、治めます。
  自給は、経済的な必要は、その教会で賄うことです。
  自伝は、伝道活動は、全て、各地方教会が責任をもって行うことです。
  伝道者が、遣わされて、福音を伝え始める時は、派遣教会の助けが必要です。特に、経済的な援助は派遣教会だけでなく、交わりのある教会からの助けも伝道者にとっては大きな励ましになります。これらが、整えられたとき
 派遣教会からこの権威を頂き、教会を組織し、独立するのです。
posted by sbbc at 14:46| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月14日 「相続する者にふさわしく」

※メッセージの録音はありません。

「相続する者にふさわしく」
 「あなたがたのうちに、キリストが形造られまで、私は産みの苦しみを
しています。」(ガラテヤ四:一九)
  神は偽ることのない方です。いったん約束されたことは、必ず守られます。
聖書は神と人との、約束の書です。その約束は一貫したものです。
「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記一二:三)
「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。」(創世記一七:四)
 この約束の実現のために、神は行動されておられるのです。聖書はその記録です。旧約聖書は、イエス・キリストが来られるまでの記録であり、新約聖書は、その後の記録です。しかし、これは、別の約束ではなく、アブラハムに約束されたことを、イエス・キリストによって、実現されることを明らかにされたのです。アブラハム、その子孫としてダビデ、そしてイエスと続き私達キリスト者へと、相続されてきているのです。
 「私達は神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」
(ロマ八:一七)
 「神を愛する者に、約束されている御国を相続する者とされた。」
(ヤコブ二:五)
 ですから、使徒パウロは、相続する者に、ふさわしく歩むように、勧めたのです。
posted by sbbc at 14:45| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5月7日「主の約束を信じ通す」


「主の約束を信じ通す」
 「私は私の神、主に従い通しました。」(ヨシュア一四:八)
  私達の生活は、多くの約束によって、成り立っています。特に人との関係においては、互いに約束を守ることによって生活が支えられています。
 そこで求められることは、相手が約束を実行してくれることを、信じ通すことによって、自分の責任を果たす力とすることができます。ここに、疑念が入り込むと、困難に立ち向かうことはできません。
  神との関わりにおいては、さらに重要です。カレブは、主の約束を信じ通しました。四五年間、主の約束を疑わなかったのです。カデシ・バルネアにおいて、ヨシュアと共に、「主の約束を信じて、カナンに入ろう」と説得しました。それ故「彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。」(申命記一:三六)との約束をいただきました。この約束に対する彼の信仰は、四五年間の荒野の厳しい試みを支えました。そして、カナンの地に入った時、カレブは、ヨシュアに、この約束を実行してくれるように、申し入れました。
  その約束の地、ヘブロンは、以前見た時と同じ状況でした。大きな城壁のある町で、歴史のある地でした。そこを治めていたアナク人は、四メートルもあろうかと思われる巨人の子孫でした。ダビデが戦ったゴリアテもその一人だと言われています。しかし、彼らを目の前にしても、以前と同じように、主が与えて下さったことを信じて、戦い、彼らを、追い出したのです。
posted by sbbc at 14:43| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月30日 「伝道所から教会へ」



「伝道所から教会へ」
 「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者・・・・お立てになったのです。」(エペソ4:11)
  教会が産みだされるためには、神のご計画があり、その秩序があります。
 一人の子が誕生し育てられ、成人していくのに似ています。教会は、イエス・キリストの命を内に宿し、信仰によって建てあげられていきます。その過程において、主の導きに従い、教会のないところに、伝道者を派遣し、福音を伝えます。その働きの実として、信仰者が起こされ、礼拝を捧げる群れが生まれます。まだまだ、生まれたばかりの小さな群れですので、親の教会の支えと守りが必要です。
  自分の足で、力強く歩めるようになった時、親から離れ、自分の責任において、教会を建てあげていきます。その為に、必要な教会の権威を親教会よりいただき、教会を組織します。その権威とは、「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。なんでもあなたが地上でつなぐなら、それは、天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)「わたしには、天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によって、バプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らに教えなさい。」(マタイ28:19、20)
posted by sbbc at 14:40| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

4月23日 「いのちの水」



「いのちの水」
 「私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)
  水は、私達のいのちがたもたれるためには、どうしても必要です。しかも毎日、必要です。貯めておくことは出来ません。これから、熱中症対策のため、水を飲むように勧められています。このことを考えますと、荒野の旅していたイスラエルの民が支えられたことは、まさに奇跡です。
その為に、主は、どんなにこころを使われたことでしょう。彼らは、乾きで死んだ者は一人もいませんでした。このこたは、今の私達に何を与えようとしているのでしょう。
  イエス様が、ヤコブの井戸で、サマリヤの女性を救いに導かれた時、イエス様が与える水は、永遠のいのちへの水であり、決して乾くことがないと話されました。イエス様は民数記20章の出来事を念頭においておられたのは明らかです。
  パウロもまた、Tコリント10:4で「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについてきた御霊の岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。」と説明しました。このことから、イエス様が与える
水は、聖霊であり、聖霊はみことばによって、救われた人々に永遠のいのちへの水となるのです。そして、それは、一時的でなく、毎日わたしたちを潤してくださるのです。約束の地に入るまで与え続けてくださるのです。
posted by sbbc at 14:36| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする