2017年09月08日

9月10日 「成就」

※今週はメッセージの録音はありません。

成 就
「私のことばは、その時がくれば実現します。」(ルカ一:二〇)
「主が・・・約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した」           
(ヨシュア二一:四五)
 
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9月3日 「祝福の基」

※今週はメッセージの録音はありません。

祝福の基
「汝は祝福の基となるべし。」(創世記一二:二)
(使徒二:二四)
 
一、私達の幸いは、主イエス・キリストの祝福によって、与えられます。
五つのパンと二匹の魚が、五千人以上の人々の食事を賄えたのはなぜでしょうか。それは、イエス様が「天を見上げて祝福を求め」たところに理由があります。必要が満たされたのは、神様の祝福の御業によるのです。

二、主の晩餐の時、イエス様は、パンと葡萄酒を渡される時、祝福されました。「それからみなが食事をしている時、イエスはパンをとり、祝福してのち、これを裂き、彼らに与えて言われた。」(マルコ一四:二二)
 祝福されることによって、パンがイエス様のからだに、葡萄酒が、イエス様の契約の血になったのです。

三、パウロが、ローマへの護送の時、船が嵐に会った時、二七六人の食事を用意したのです。
船が難破しそうになり、乗っていた人々が元気を失いつつあった時、パウロは、「あなたがたは、待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして一四日になります。ですから、私はあなたがたに食事をとることを勧めますこれであなたがたはたすかることになるのです。・・・」こう言って彼はパンを取り、一同の前で神に感謝を捧げてからそれを裂いて食べ始めた。
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8月27日 「主の弟子になろう」



「主の弟子になろう」
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
(マタイ二八:一九)
  
一、主が必要とされておられる。
「あなたがたで用意しなさい。」と主は弟子ピリポに命じました。
主は、民の必要を知っておられた。民はそこまで期待していなかったのです。
二、その働きは、驚くべき働きであった。
ピリポは、自分たちには、出来ない働きであった。「二〇〇デナリでも足りません。」と答えるしかありませんでした。二〇〇デナリとは、今のお金で約二〇〇万円ぐらいです。自分たちは、何も持っていません。
三、ずかな物を主の手に委ねる。
これには、信仰が必要です。アンデレは、一人の少年が差し出した弁当を、イエス様の所にもってきました。しかし、これでは、到底間に合いませんが、イエス様の御前に差し出したのです。その信仰の行動は、イエス様が「持って来なさい。」と言われたからです。その言葉に従ったのです。
四、その結果、驚くべき経験をしました。
十分に必要が賄えたのです。五千人以上の人々が満腹したのです。
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2017年08月23日

8月20日 「養いの主」



「養いの主」
 「彼らが出かけて行く必用はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べるものをあげなさい。」(マタイ一四:一六)
  
一、この御業は「神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられます。」の実物訓練です。

二、人々はイエス様を求めました。
多くの人々は、様々な求めをもって、イエス様のおられる所に集まりました。ある人は、病気の癒しを求めて、また、ある人は、キリストを求めて、ある人は、救いを求めて、また、イエス様のお話を聞くために、どんなに遠くても、あとをおったのです。

三、イエス様は、人々の必要を知っておられた。
イエス様は、「群衆を見て、深くあわれんで、彼らの病気を直された」のです。しかし、イエス様は、それ以上、彼らの必要を知っておられました。魂の羊飼いの必要を強く覚えられたのです。

四、私が良い羊飼いであることを示されました。
男子で五〇〇〇人ほどの食事を用意しました。たった五つのパンと二匹の魚で、賄うことが出来たのです。これは、イエス様の声に、応答した子どもの弁当一人分だったのです。
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8月13日 「地引網」



「地引網」
 「天の御国は、海に下ろしてあらゆる種類の魚を集める地引網のようなものです。」(マタイ一三:四七)
  
一、天の御国は、地引網のようなものです。
地引網を引き揚げている風景は、九十九里浜などで見かます。何十メートルもある大きな網を海に仕掛けます。一日経ってから、大勢の人々で網を、浜辺に引き寄せます。そこには、いろいろな種類の魚が網の中で泳いでいます。漁師は、食べることが出来る魚や、売れる魚は、籠に取ります。そして、利用できない魚は、海に戻すのです。
この世界も、網を引き揚げる時があることをイエス様は、はっきりと示されました。そして、神にとって、正しく、役に立つものと外に捨てられてしまうものとに分けられることを明らかにしました。その選別は、主によってなされるのです。    

二、あなたは良い魚ですか。
   良い魚であることの保証は「あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私達が御国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ一:一三、一四)
今、福音を信じ、聖霊との交わりを、大切にしておられますか。
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8月6日 「隠された宝のように」



「隠された宝のように」
 「悟りを呼び求め、英知を求めて、声をあげ、銀のように、これを捜し隠された宝のようにこれを探りだすなら・・・主を知る」(箴言二:四)
  
一、天の御国は、隠された宝のようなものです。
 ここのポイントは、「隠されている」ということです。
これはイエス様のユーモアです。「宝」というヘブル語は、「マットモン」です。この言葉は「地に隠す」動詞からできています。その由来は、銀行がない時代に、人は、財を蓄えるために、カメの中に入れ、地中に隠していたところから言われるようになりました。
又、旧約聖書には、「あなたはご自身を隠す神」(イザヤ四五:一五)
と、示されています。主を求めることを命じられる時「隠された宝のように探り出すならば」と表現されています。

二、主は、私達に隠されている宝を捜す努力を命じておられます。
 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ七:七、八)
「命に至る門小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ七:一四)
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7月30日 「天の御国は目に見えない所で建てられて行く」



「天の御国は目に見えない所で建てられて行く」
天の御国はパン種のようなものです」(ピリピ二:一)
  
一、天の御国は、からし種のようなものです。
  御国を力強く、キリスト者の内に建てあげておられる。
からし種を見たことがあるでしょうか。以前仁戸名にある青葉の里に出かけた時、からし種が展示されていました。顕微鏡で見なければ見えないほど小さい種でした。近い物で、ごまの種に似ています。油が採取できるのも似ています。しかし、成長すると、比べ物にならないほど違います。ゴマの茎はせいぜい一mぐらいですが、からし種は五mにもなるそうです。
同じ様に、天の御国は今は目に映らないほど小さいけれど、確実に、そのいのちは生き、成長していくのです。後に何よりも大きくなっていくのです。

二、天の御国はパン種のようなものです。
 パン種は、水で練った小麦粉の中に、少料入れて、ねかせていると時間が経過すると、膨らんで、美味しいパンの生地ができます。小麦と分散させることはできませんが、パン種が持っている力が十分に発揮されていることが、小麦粉を見ると分かります。
 
三、信仰によって、御国の国民として、忠実に主に仕えましょう。
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7月23日 「世の秩序」



「世の秩序」
「この世の終わりにもそのようになります」(マタイ一三:四〇)
  
一、主はどのような方なのか。
  世を最後まで、御支配されます。
今の世界はどこに向かっているのだろうか。私達には、現象が目に入ってくるだけです。なぜ、このような悲惨なことが起こっているのか解らないのです。まして、その背後には何があるのかさえ思いつかないのです。早く時が経つように思われて、なんとなく漠然とした不安に支配されています。
しかし、イエス様は、はっきりと、世を支配しているのはご自身であることを、弟子たちに明らかにされました。麦の例えを用いられて麦には収穫があるように、この世にも、同じように、収穫する時、すなわち、終わりの時があることを示されたのです。その時、遣わせれる御使いは、イエス様によって、遣わされるのです。

二、人は、神はなぜ悪を見逃しておられるのだろうか。
  弟子たちの疑問に対して、イエス様は答えられました。目をつぶっているのではなく、麦と毒麦を間違えないように、収穫するために、悪を早急に裁くのではななく、見守っていると言うのです。裁くのは終わりの時なのです。ですから、神を侮ってはなりません。
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2017年07月18日

7月16日 「四つの種」



「四つの種」
「種を蒔く人が種まきに出かけた」(マタイ一三:三)
  
一、主はどのような方なのか。
 みことばを蒔く人です。
 みことばは、麦の種のようなものです。
 イエス様はたとえを用いて、神の奥義を話されました。
 イスラエルのあちこちで見られる風景でした。秋ごろになると、麦の種を畑に蒔きます。ばらまきですので、ある種は道端に落ちました
 別の種は石地に落ちます。また別の種は、茨の中に落ちてしまいました。また、耕された良い地に落ちました。しかし、成長し実を収穫できたのは、良い地に蒔かれた種でした。
二、種を蒔く人―主―の期待は収穫することです。私達は良い地でしょうか。
 みことばは、全ての人々の心に蒔かれています。イエス様は、四つの種のパターンを示すことで、御言葉に対して、全ての人の心の状態を描かれました。このパターンしかないのです。そして、実を結ぶ心は、良い地でなければならないのです。他の三つの状態では、実を結ぶことはできないのです。みことばは完全です。実を結ぶか、枯れてしまうかは、聞く私達の心の状態に左右されるのです。
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2017年07月11日

7月9日「主の剣、ギデオンの剣」

※今回はメッセージの録音はありません。

「主の剣、ギデオンの剣」
  「『主のためだ。ギデオンのためだ。』と言わなければならない。」(士師記七:一八)
一、主はどのような方なのか。
  主のことばの剣は、全てのものを刺し通す。
物を作るのに、様々な材料を使います。先日、網戸の網を張りなおしました。複雑な作業ではありませんが、それでも何種類かの刃物を使います。切れ味の良いナイフ、ハサミを使います。その必要に合わせるためには、必要なものです。神の御業は複雑ですが、人々を整えるために万能の道具を使われます。それが「主の剣」である御言葉です。
  神はその御言葉を自由に用いて、全ての御業を行われます。
二、神は、その万能の御言葉を救われた人々に、用いるように与えて下さいました。
 イエス様も御言葉によって、御業をされました。神であることのしるしです。また、パウロも「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ六:一七)と命じています。
 ギデオンは、ラッパとたいまつを手に持って、「主の剣、ギデオンの剣」と叫びました。数時間前に、敵の兵士が見た夢と同じように、敵の心に、ギデオンが攻め上って来たかのように支配されてしまいました。彼らは、逃げ出すもの、同士討ちするものとなったのです。大勝利です。
posted by sbbc at 12:23| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする