2017年12月12日

12月10日 {主の準備}

「それは、わたしがきて、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
(マラキ四:六)
 
 預言者マラキは、紀元前四〇〇年ごろに預言者として活動しました。旧約の最後の預言者でした。預言者ミカから約三〇〇年が経過していました。この間、イスラエルの民は今までにない最大の危機を経験しました。北イスラエルは、民の罪によって、滅ぼされ、南ユダ王国は、悔い改めることによって、主に救われて約一四〇年間守られます。しかし、再び主に反抗して、神の裁きを受け、国が滅ぼされたのです。しかし、神の憐みによって、七〇年後に再びエルサレムに帰還が赦されました。神殿を再建し、神を中心にして、歩み始めました。
 民は、このような主の取り扱いを受け、理解していくのです。主の祝福と、その約束の確かさを身に叩き込まれるのです。その結果、異邦人の偶像礼拝から、きっぱりと離れ、み言葉を中心にして国を建てあげていくのです。
 救い主の来られる準備が整いました。そして、最後の準備のために、エリヤが再び派遣されるのです。救い主イエス様の弟子となる人々を準備するのです。「しかし、私は言います。エリヤはもうすでに来たのです。」(マタイ一七:一二)。主の来られる準備は整いました。
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12月3日 {神の預言}

「昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ五:二)
 
 預言者ミカは紀元前七五一年〜六八七年に預言者として活動しました。預言は、神から遣わされて、神からのメッセージを民に伝えるのです。ミカの故郷は、エルサレムの南東四〇q、西はペリシテ人の町ガテがあり、東はアドラムの中間に位置するモレシト人の町でした。ここは、東西南北の交通の要所であり、エジプトやアッシリアからの人々が行ききする地点です。ミカは世の動きを敏感に感じ取りながら育ちました。
 この時代は、イスラエルの民は、主から遠くに離れていました。そのため神は民を立ち返らすために、預言者ミカやイザヤを遣わされました。しかし北イスラエルは、さらに罪を犯して神に反抗したのです。そこで神はアッシリヤの国を用いて、イスラエルの国を攻めさせたのです。
 紀元前七二一年、北イスラエルの首都サマリヤが陥落してしまいました。しかし、南ユダ王国は、預言者イザヤの働きによって、主に聞き従い、主の不思議な方法で、アッシリヤの攻撃から、救われたのです。
 ミカの活動した時代は、私たちの時代と似ています。神から離れているのです。ミカの預言通り、人々を神に立ち返らすために、イエス様が遣わされました。あなたは、サマリヤの人々と同じように行動しますか。それとも、エルサレムの人々のように、神の声を聴き、悔い改めて従いますか。
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2017年11月26日

11月26日 {家族の祝福}

{家族の祝福}
 「主はシオンからあなたを祝福される。」(詩篇一二八:五)
 
1、主は家族を祝福される。
 主の目は、主の道を歩んでいる者に常に注がれている。人々は美しい都エルサレムに目を奪われますが、神はその中の「主を畏れ、主の道」を歩んでいる、まずしい一人の聖徒に注目されます。そして、声をかけられます。「幸いなものよ。」と。

二、その喜びとは!
 
@勤労が祝福され、その実を食する時、喜びが沸き上がる。
A妻は豊かに実を結ぶブドウの木のように、その働きが祝福され、あなたの喜びとなる。
B子らは、オリーブの木を囲む若木のように祝福される。
 オリーブは、平和の象徴であり、勝利の印です。オリーブの実は植えられてから一四〜一五年ころから実をつけ始めて、三〇年ごろが、一番多くの実をつけます。どこか人に似ています。しかし、常緑樹であり、樹齢は千年以上のものも珍しくはありません。
 主は、主の道を歩む「あなた」はオリーブの木のような祝福された者であり、あなたの子は、あなたの根から芽を出してくる若木のように、あなたの喜びとなり、幸せをもたらす者となる。




 
 



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11月19日 {注がれている主の目}



{注がれている主の目}
 「主はその愛する者には、眠っている間に。このように備えてくださる。」
(詩篇一二七:二b)
 
1 神は、昼夜、教会に目を注いでおられる。
 先日、天皇陛下が鹿児島県の離島を訪問されました。火山活動によ被災した島民を励ますためでした。その映像の中に、一人の老婦人が、天皇陛下が私たちのために、わざわざ遠い島まで訪ねてくださったことに大変感激されていました。
 人は、自分のために、忘れないで心を使ってくれることを喜びます。ソロモン王は、素晴らしい都を建設しました。多くの国々の王は、エサレム見にやってきます。そして、その素晴らしさをソロモン王に話します。しかし、王は、主によって建て、主によって守られていることを証しするのです。その目は、今、教会に目が注がれています。主イエスキリストが十字架を担われて、隅のかしら石となって建てられた教会に
目を注ぎ、守られているのです。

二 一番小さな子供たちにも目を注いでおられる。
 大きな町エルサレム、その中に生かされている一番小さな命に、ソロモン王は、神の御業のすばらしさを見るのです。目を見張る壮麗な神殿ではなく、主の目は一番ちいさな子供に向けられているのです。
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2017年11月15日

11月12日 {幼児へのイエス様の祝福}

※音声録音データありません。

{幼児へのイエス様の祝福}
 「手を彼らの上に置いてから、そこを去っていかれた。」(マタイ一九:一五)
 
1 イエス様は幼子の信仰を受け入れられました。
 「私を信じるこの小さいものの一人にでもつまずきを与える者は・・」(マタイ一八:6)とイエス様は教えられました。
 小さい者のイエス様に対する信仰は人々の模範者として、おとなの弟子たちに告げたのです。私たちは、子供の信仰は、よく理解していないのだから、もっと大きくなってからバプテスマを受けたほうが良いのではと考えていないでしょうか。先日、稲毛教会の三〇周年礼拝で証された方は七四歳の男性でした。
その証の中で、五歳になるお孫さんの信仰の勧めで、信仰に導かれました。そして、そのお孫さんと一緒にバプテスマを受けられました。その信仰からの勧めをイエス様は用いられたのです。
 
二 イエス様は幼子をいつも心にとめておられます
 キリスト者でない人でも、子供の成長は、神の守りが必要であることを知っています。多くの人が宮参りに行きます。
 イエス様の周りには、いつも子供たちがいました。そして、子供の成長を心から願っておられました。私たちの人生は、全ての時期がつながっているのです。子供への祝福は、おとなへの期待を持たせてくれます。


 
 



posted by sbbc at 16:34| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

11月5日 {キリストの力}

※音声録音データありません。

{キリストの力}
 「だれかが私にさわったのです。私から力が出ていくのを感じたのだから。」(ルカ八:四六)
 1 神の力は人のいのちを生み出します。
 私たちの命と身体は、神の知恵と力による御業によって、生み出されます私たちはその恵みによって、生かされています。自分の力によって支えているのではありません。食べること、体を動かすこと、物事を考えることで支えているのではなく、神によって支えられているので、用いることができるのです。その証拠に、全ての機能を、自分でコントロールすることはできないのです。私たちは高慢になってはなりません。ある医者が「私たちの医療は、神の手伝いをしているにすぎません」と語っています。
 二 神の力は、永遠の命を人の内に与え支えます。
 信仰によって、神は、永遠の命を信ずる人の内に生みだします。そして支えます。「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」(エペソ五:一九)これが、主の栄光と賛美なのです。食事は身体を支えるためだけではなく、神に感謝する時であり、互いに交わり喜ぶ時でもあるのです。体を動かすのも、健康を維持するためだけではなく、他の人々を助けるためでもあり、互いに喜ぶためでもあるのです。霊的なことにおいても同じです。霊的活動は、神の喜びであり私たち互いの喜びなのです。喜びと感謝が主の栄光を現すことなのです。
   
 
 



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10月29日 {キリストの内住}

{キリストの内住}
 「見よ。私は戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聴いて戸を開けるなら、私は彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私とともに食事をする。」(ヨハネ黙示録三:二〇)

 人生において、共に歩いてくれる人を持っていることは幸いです。それは家族であったり、友であったりします。一番近い者は、夫であり、妻でしょう。
 キリスト者にとっては、この全てにあてはまるのがイエス・キリスト様です。ある時は兄であり、良き友であり、良き伴侶です。ともに喜び、共に悲しんで下さり、助け、励ましてくださいます。そのキリストが私たち
の内に住んでいて下さり、決して離れないように、共に歩んで下さるところに、救いがあります。
 イエス様の側は、すでに、全ての準備は終わっておられます。いつでも私たちが心のドアを開けて

posted by sbbc at 16:22| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10月22日 ※記録なし

10月22日 ※記録なし
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2017年10月28日

10月15日 「パウロ祈り」


{パウロの祈り}
 「すべてのものの名の元である父の前に祈ります。」
(エペソ三:一五)
  伝道者パウロの祈りを通して、祈りを通して、父なる神の祝福を見ましょう。パウロは祈りをする時、呼びかける神がどのような神であるかを書き記しています。そこに、神に期待するパウロの心が見えます。
 孫が、眠くなると、お母さんのところに来て、一緒に寝てくれるように必ず要求するそうです。決して父親のところには来ません。また、起きている時は、一緒に遊んでくれる父親のところに来て、相手をしてくれるよ
う要求します。自分の期待をかなえてくれる者のところに行っておねだりをします。私たちも同じなのではないでしょうか。
 パウロは、父なる神が自分の期待に必ず応えて下さる方であることを知っているのです。では、パウロが期待している神とはどんな方なのでしょう神は「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元」である。
 天上のエルサレムには、高い城壁と一二の門があって、門には一二部族の名が書いてあり、城壁には一二の土台石があり、子羊の一二使徒の名が書かれています。(黙示録二一章一二〜一四節)「家族」とは、旧約の部族
です。当時は部族の名ですべての民を数えていました。また、新約では、使徒を通して福音が伝えられ救われた者が神の家族として教会に加えられたのです。「その元」とは、その全てを創出された方なのです。

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10月8日「神の家族」

※今回は録音メッセージはありません
{神の家族}
 「あなたがたは・・今は…神の家族なのです。」(エペソ二:一九)
  
 家族の重要性は、神は昔から、人々に語ってこられました。
「しかし主は貧しい者を悩みのうちからあげて、その家族を羊のようにされた。」(詩篇一〇七:四一)(口語訳)
 主は家族単位で、祝福し導いて来られたのです。ノアの家族の救い、ヤコブの家族の救い、ピリピの監仕の家族の救いはよく知られています。
伝道者パウロは、神の祝福の基は、家族にあることを明らかに示されました。救われた人々は、「神の家族」を構成していることによって、神の祝福をうけることができる確信なのです。
 
「家族の祝福」

一 同じ命を頂いている。
この命の中に、構成される必要なものが、全てが含まれているのです。永遠のいのちは「イエスのいのち」なのです。

二 家族の大黒柱はイエス・キリストです。
 家族を守り、育ててる全ての責任はイエス様が負ってくださいます。イエス様の権威は、そのために父なる神より与えられているのです。罪に打ち勝つ力、死に打ち勝つ力、悪魔に打ち勝つ力、御霊の実をならせる力、私たちに必要なすべてのものを持っておられるのです。
posted by sbbc at 06:31| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする