2017年04月23日

4月23日 「いのちの水」



「いのちの水」
 「私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)
  水は、私達のいのちがたもたれるためには、どうしても必要です。しかも毎日、必要です。貯めておくことは出来ません。これから、熱中症対策のため、水を飲むように勧められています。このことを考えますと、荒野の旅していたイスラエルの民が支えられたことは、まさに奇跡です。
その為に、主は、どんなにこころを使われたことでしょう。彼らは、乾きで死んだ者は一人もいませんでした。このこたは、今の私達に何を与えようとしているのでしょう。
  イエス様が、ヤコブの井戸で、サマリヤの女性を救いに導かれた時、イエス様が与える水は、永遠のいのちへの水であり、決して乾くことがないと話されました。イエス様は民数記20章の出来事を念頭においておられたのは明らかです。
  パウロもまた、Tコリント10:4で「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについてきた御霊の岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。」と説明しました。このことから、イエス様が与える
水は、聖霊であり、聖霊はみことばによって、救われた人々に永遠のいのちへの水となるのです。そして、それは、一時的でなく、毎日わたしたちを潤してくださるのです。約束の地に入るまで与え続けてくださるのです。
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2017年04月16日

4月16日 「イエスの復活と私達」



「すなわち、アダムにあって、すべての人が死んでいるように、キリストによって、すべての人が生かされるからです。」
(Tコリント15:22)

  キリストの復活を信じることは、御霊なる神の御業によるのです。コリントの教会の人々の中に、復活を信じない人がいたのです。また、パウロが伝道したアテネでは、「死者の復活のことを聞くと、ある者たちは、あざ笑い」(使徒17:32)と記されています。また、ユダヤ人の中のサドヵイ人に属する人は、復活を信じていませんでした。(マタイ22:29)
  ですから、現在、復活を信じられない人がいても不思議なことではないのです。神の御業によらなければ受け入れられないのです。イエス様もペテロに対して、「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)と語られました。あなたは信じていますか。信じている方は、天におられる父なる神が示してくださったのです。
  イエス様の復活は、私達に勝利を与えて下さったのです。初穂として、よみがえられ、天にある祭壇に捧げられたのです。そして、キリストに属する者が、キリストの再臨のラッパが響くときよみがえるのです。そして、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るのです。
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2017年04月09日

4月9日 「上げられたへび」



「上げられたへび」
 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまたあげられなければなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14、15)

  イエス様は、ご自身が十字架にかかる意義とその力を、旧約聖書の民数記二一章の事象を引用されて、話されました。
  この記事は、アロンを失って悲しみの中にあったモーセに対して、イスラエルの民が、神とモーセに逆らって、「なぜ、あなたがたは、私達をエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私達はこのみじめな食物に飽き飽きした。」と言った。神は、燃える蛇を送られ民を裁かれました。民は、悔い改めて、蛇を取り去って下さるようにモーセに祈りの要請をしました。モーセは謙遜な人だったので、すぐ、主に祈りました。主は応えられて「あなたは、燃えるへびを造り、それを旗竿のうえにつけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる。」と語られました。さっそく、モーセはへびを造り、旗竿のうえにつけました。かまれた人でも信じて、蛇を仰ぎ見ると生きたのです。神の約束通りだったのです。
  同じように、十字架にあげられたイエス・キリストを神が送られた救い主として、信じる者は永遠のいのちを持つのです。
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4月2日 「キリストのご計画」



「キリストのご計画」
 「聖く、傷のないものとなった、栄光の教会を、ご自分の前に立たせる
ためです。」(エペソ5:27)

  主が共にいてくださる恵みを、神はイスラエルの民を通して、私たちに
 表してくださいました。その完成は、イエス・キリストを通して、教会を建てあげる事です。
 その教会の姿はどういうものでしょうか。
一、 聖なるもの(エペソ5:26) 
聖なるものとは、御言葉が隅々まで、行き届き、実現することです。
御霊の実を結んでいる姿です。
二、 キリストに従う教会のです。(エペソ5:24)
三、 まことの礼拝が捧げられている教会。(エペソ5:19)
詩と讃美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また讃美する教会。
四、 神に感謝が捧げられている教会。
五、 互いに従っている教会。
六、 主の御心がなんであるか、よくよく注意して、機会を十分生かして用いている教会。
主イエス・キリストはこのために、命を捧げて下さったのです。
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2017年03月26日

3月26日 「共に歩まれる主」



「モーセは主の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。」
(民数記13:3)
 主が共に歩まれる恵みを、旧約聖書を通して新約時代に生かされている我々に神は繰り返し繰り返し語って下さっています。神はイスラエルの民に「主が共にいる」ことを信じる信仰を訓練されたのです。
試練にあった時、旧約聖書を読みましょう。信仰の勇気が与えられるでしょう。
 エジプトを脱出したイスラエルの民は、群衆にすぎなかったのです。秩序もなく、モーセに従い、約束の地を目指していました。しかし、シナイ山で神は、ただの群衆でしかなかった民を、秩序ある主の国民として整えたのです。第一に幕屋を建てることで、主なる神を、目に見えるようにされました。
新約に生きるキリスト者のために、イエス様を与えたように、雲の柱と火の柱を与えられたのです。約束の地へ安全に到着するために、主は共に歩まれたのです。途中は、危険でいっぱいでした。行くてを阻む敵がいます。またそれを避けようとすれば、荒野が待ち受けています。水もなく、食べるものをない中を旅することは死を意味します。今までの常識では、一日も生きていることは出来ません。共に歩んで下さる主だけが頼りです。いろいろな戦いはありましたが、二年かけて、無事、約束の地の入口まで来ることが出来ました。彼らは約束の地の素晴らしさを見ました。
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2017年03月19日

3月19日 「教会の原点」



「教会の原点」
「その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。」
(出エジプト二九:四三)

 イエス様が考えておられる教会はどのような姿なのでしょうか。自分にとって教会はどれほど重要なのでしょうか。それを知るためには、さかのぼって神殿さらにイスラエルの民の形成に重要な役割をした幕屋を見ることによって理解できます。
一 救いの目的
   彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地からつれだした者であることを知るようになるため。
(出エジプト二九:四六)
二 幕屋が造られた目的
   その所で私はイスラエル人に会う。そこは、わたしの栄光によって聖とされる。
(出エジプト二九:四三)
三 幕屋を造る方法
   あなたに示すのと全く同じ様に作らなければならない。
(出二五:九)
   よく注意して、あなたが山で示される型どおりに造れ。
(出二五:四〇)
四 神と人との交わりの手段
   彼らが、わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。(出二五:八)
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2017年03月12日

3月12日 「失望からの脱却」

 

「失望からの脱却」
 「外に出て、山の上で主の前に立て。」(T列王一九:一一)
この季節、新しい年度を迎え、卒業や入学、社会へ出ていく準備をします。
希望にあふれることばかりではなく、失望もあり、そこからいかに脱却し
力を得て、先に進まなければなりません。
預言者エリヤの経験から学びましょう。
一、 エリやは失望しました。
彼は、主のために熱心に働きました。しかし、事態は良くなるどころか
  ますます悪くなる一方でした。多くの預言者が王によって殺され、エリヤの命さえ、狙われたのです。彼はいのちを守るために外国まで逃げなければなりませんでした。その旅の途中、失望落胆し、主に不満をぶっつけたのです。そして「いのちを取ってください」と言ったのです
二、 しかし、主は御使いを送り、支えたのです。
主なる神はずっとエリヤを見守っておられました。エリヤが、自分の預言者としての力のなさを嘆きました。以前の偉大な預言者のようではないのだからと落ち込みました。そんなエリヤにそり添うように御使いは共に歩んでいたのです。全てあなたの事は解っていると言っているかのように、ただ何も言わずにそっと、水と食べ物を準備し、元気になるまで、見守りました。
 三、神の山まで、支え、主の前に立つことが出来るように整えました。
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2017年03月10日

3月5日 「礼拝の原点」



「礼拝の原点」
 「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクを捧げなさい。」(創世記22:2)

教理問答書に、「人の目的はなんですか。」という問いに対して「神を礼拝することです。」と答えているように、礼拝は神が求めておられる最も大切な信仰における行いです。
 アブラハムの信仰における最も神が喜ばれた証しは、モリヤの山でイサクを捧げ、神を礼拝する姿でした。ここに、礼拝の原点が示されています。
一、 神の呼びかけに応える。「はい、ここにおります。」
二、 神が示される場所に行く。「モリヤの山」
三、 神が求められる捧げ物を携え、捧げる。
四、 アブラハムが最も愛しているものイサクを要求された。
五、 イサクは約束の子であった。しかも、ひとり子である。相続する者は他にはだれもいない。
六、 彼は、神を恐れる事を第一に、行動し、神の約束を決して疑わない信仰によって、「主の山には常に備えがある」ことを信じ続けた。
七、 信仰の勝利によって、神の大いなる祝福を受ける。

「あなたの子孫を海辺の砂のように数多く増し加えよう。あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記22:17)
posted by sbbc at 12:44| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月26日 「全て主の栄光のために」

※2/26 録音はありません。
「全て主の栄光のために」
 「それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」(創世記14:23)

 私達の目は常に主に注がれているでしょうか。また、全ての栄光を主に帰しているだろうか。
 アメリカ合衆国大統領トランプ氏が自分の働きを自画自賛している姿が世界を駆け巡っています。世界各地で批判のデモが行われている中で、本人は、自分の業績を誇らしげに語っている姿をみなさんはどう思われますか。
 アブラハムは、人々の目が常に主に向くように注意深く行動しました。
皆さんのアブラハムのイメージはどのようなものでしょうか。信仰深く、温厚な羊飼いのイメージを持っておられる方は多いのではないでしょうか。しかし、甥のロトの救出のとき、彼は愛からくる勇敢さを見せました。
 ソドムや周辺の町の王たちを、破った北方の大軍を命をかけて約四〇〇キロも追跡し、奪われた人々や物資を全て取り戻したのです。それ程、家族思いで、勇敢でした。後にも先にも戦ったのはこの戦いだけでした。信仰者は時として神の力で勇敢に行動しなければなりません。アブラハムは主のために戦いました。この戦いの勝利は主によることを知らない人々に、アブラハムは、力づよく証しました。「私が、仕える神は、私に力を与え、守り、富まして下さる方である。だから、私はあなたの物は何もいただきません。」
posted by sbbc at 12:41| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月03日

賛美練習 聖歌389 ねがわくは神 伴奏

賛美練習の為の伴奏を録音しました。
自宅練習用にご活用ください。

ソプラノ


アルト


テナー


バス


伴奏全パート
posted by sbbc at 11:06| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする