2018年04月15日

4月15日 {確かな約束―新しい契約}

「こういう訳で、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約の時の違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束をうけとることができるためなのです。」(へブル九:一五)
   
一、日本人は聖書の神の約束から遠く離れていました。
 日本人は、イエス様以前の時代において、聖書の神を知りませんでした。
 イスラエルの民への約束から、遠く離れていました。素晴らしい約束でしたが、異邦人である私たちは関係のない約束でした。そこには、はっきりと区別があったのです。
 二、イエス様の御業は、異邦人にも契約を結んでくださった。
イエス様は、血筋によらない「信仰」のみによる契約を新たに結んでくださったのです。
 三、その確かさは、イスラエルの民の歩みの証しに見ることができます。
 神は契約通りに民を導きました。そして、キリストの派遣、御業、十字架と復活は聖書に書かれている約束に従って行われました。十字架と復活が現実としてある限り、この契約は実行力があるのです。今までも変わらなかったように、これからも変わることはないのです。再び、主イエス・キリストは、十字架にかかることはないのです。もう一度来られる時は、信仰によって、神の家族とされた人々を天に迎えるために来られます。
posted by sbbc at 16:19| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月15日 {確かな約束―新しい契約}

「こういう訳で、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約の時の違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束をうけとることができるためなのです。」(へブル九:一五)
   
一、日本人は聖書の神の約束から遠く離れていました。
 日本人は、イエス様以前の時代において、聖書の神を知りませんでした。
 イスラエルの民への約束から、遠く離れていました。素晴らしい約束でしたが、異邦人である私たちは関係のない約束でした。そこには、はっきりと区別があったのです。
 二、イエス様の御業は、異邦人にも契約を結んでくださった。
イエス様は、血筋によらない「信仰」のみによる契約を新たに結んでくださったのです。
 三、その確かさは、イスラエルの民の歩みの証しに見ることができます。
 神は契約通りに民を導きました。そして、キリストの派遣、御業、十字架と復活は聖書に書かれている約束に従って行われました。十字架と復活が現実としてある限り、この契約は実行力があるのです。今までも変わらなかったように、これからも変わることはないのです。再び、主イエス・キリストは、十字架にかかることはないのです。もう一度来られる時は、信仰によって、神の家族とされた人々を天に迎えるために来られます。
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2018年04月08日

4月1日 {福音の最も大切なこと}



「あの方はよみがえりました。ここにはおられません。」(マルコ一六:六)
   
 イエスキリストは、「最も大いなる愛は、友のために命を捨てること」であると話されました。その心の活動は、人々を幸福にするものです。この心の働きが出来ないために人は憎しみあい、争いがあり、滅んでいくのです。人々は空を打つ拳闘をしています。幸福を願って、自分中心の心で対応していますが、結果はその逆になっています。その良い例を世界情勢に見ます。世界は今、自国中心、自国第一の政策を取ってきています。そうすれば豊かになり自国を守ることが出来ると考えています。他国優先では国が成り立っていかないと考えるのです。人の力では解決できない、迷路に迷い込んで行くのです。
 イエス・キリストは罪びとを救うために、ご自身のいのちを神に捧げました。そのイエス様のみこころは、預言者イザヤによって語られています「彼は自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」(イザヤ53:一一)イエス様の心は愛でいっぱいでした。そして幸いでした。それは「主のみこころは彼によって成し遂げられたからです。」
 主は、そのようなイエス様を、よみに捨て置かれるような方ではありません。甦がえらせたのです。この神のみ力に望みをかけましょう。
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2018年03月28日

3月25日 {全ては、みことばに従って}

「キリストは聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれたこと・・・」(Tコリント一五:三)
   
  今、世界は大きく揺れ動いています。それは、私たちに不安を抱かせます。先日「経済戦争」という言葉が世界を駆け抜けました。様々な人々が素早く反応します。それは不安からくる動揺です。自分を守るための反応です。しかし、盤石な対応ではありません。
  詩篇一一九篇の作者は常に戦いがありました。「君主らは、ゆえもなく私を迫害しています。」(一六一節)しかし、不安から動揺することはありませんでした。それは「あなたのみ教えを愛する者には、豊かな平和があり、つまずきがありません。」(一六五節)という確信があり、「私の道はすべて、あなたの御前にあります。」(一六八節)と信仰に立っていたからです。
  ダビデ王にとって、すでに定まっている聖書のことばによって、神の御こころと行動は定まっている信仰に常に立っていたので、神に求めることができました。ダビデにとって、神を愛するとは、みことばを愛することであり、み言葉を実践することでした。人々の心が変わるとも、み言葉は変わりません。神の私たちに対する想いは、愛によって常に接してくださるのです。「私は滅びる羊のように、迷いでました。」「どうかあなたのしもべを探し求めてください」と祈ることができる神なのです。イエス様の姿です。

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3月18日 {祈りなさい。}

「互いのために祈りなさい。・・・義人の祈りは働くと大きな力があります」
(ヤコブ五:一六) 

  私は以前、犬を飼っていました。仕事を終えて家に帰ってドアを開けると今まで静かにしていた犬の次郎が吼え始めます。私のほかにも人はいるのですが、全然騒ぎません。外に連れていってくれて遊んでくれる人はだれかをよく知っているのです。
  同じように、子供は、期待ある人に求めます。おねだりする時は、親に求めます。他人には行きません。子供は賢いのです。教えなくても解っています。
  私たちの祈りも同じです。期待できる方に求めます。ダビデは、常に神に求めました。それは、神と親しく日々を過ごしていたからです。どんな時にも神とともに過ごしていたのです。そうでなければ、危険な時にすぐに神に向かって求めることはできないのです。
  最近交わりをもった宣教師の先生の息子さんが、海兵隊の隊員として海外に派遣されていました。最近アフガ二スタンに派遣されることになったそうです。その時、初めて「お父さん、自分のために祈ってください。」と電話してきたそうです。ご両親は喜んでおられました。
posted by sbbc at 16:16| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月24日

3月11日 {みことばの戸が開くと}



「みことばを聞いて、それを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結びある者は百倍、ある者は六〇倍、あるものは三〇倍の実を結びます。」
(マタイ一三:二三) 
 イエス様は、み言葉を聞いて、悟ることの重要性を話されました。多くの実を結ぶには、聞いて悟る者です。と語られました。「悟」とは、真理を心で受け入れることです。人は心で、確信したところで喜び、行動します。悟ることは神の賜物です。
 ダビデは、「みことばの戸が開くと、光差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」と証をしています。しかし、聖書を読みと自動的に光が差し込むのではないようです。「戸が開く」というところにヒントがあります。その良い例はU歴代二九:3にあります。ヒゼキヤが王になったとき、今まで長い間、主の宮の戸が閉じられていました。ユダの人々が主から離れていたため、宮の戸を閉めて、神から聞こうとはしなかったのです。そのため、弱く、国の危機が迫っていたのです。ヒゼキヤは、神に立ち返るために、国の改革を断行したのです。まず初めに、主の宮の戸を開いて宮を清めたのです。それは、主なる神に聞くことを、まず第一に行ったのです。ここに信仰が求められます。み言葉は神御自身です。「みことばの戸を開く」とは、神ご自身の声を聴き従う信仰を持って聖書を開くことです。
 聖書をあなたは、日に何回開きますか。聖書があなたの悟りなのです。
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2018年03月04日

3月4日 {主は私の保証人}



「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」(エペソ一:一四) 
 
「保証人」という言葉がダビデの時代にすでにあったことは驚きです。現在の私たちの社会生活に欠かすことのできないシステムです。このことからも聖書が神の言葉であることが確信できます。
 「保証人」は様々なところで必要なシステムです。就職する時期ですが大体の会社は新しく入社する新入社員には、保証人をつけるように要求します。厳しい会社は、保証人になる人の条件を付けます。私が就職した時は、その条件に、近くに住居している人がありました。入社試験に合格しても、保証人が立てられなければ断念しなければなりません。私は、兄が横浜にいましたので助かりました。
 しかし、保証人として引き受けて頂くためには、互いの信頼が必要です。保証するからには、その人のことは、どんなことになろうとも、引き受けますという覚悟が必要です。イエス様は、私たちの保証人として、引き受てくださったのです。それは、どんなことになろうとも、わたしが、すべてを負います、と父なる神に誓われたのです。その最初に、私たちが神に受け入れられ、神の国に入れるために、罪によってけがれた私たちを、血によって清めるために、十字架についてくださったのです。そして、よみがえり永遠に生きて私たちの為に、天国への道を整えてくださったのです。
posted by sbbc at 03:28| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月25日 {みことばは私の足のともしび}



{みことばは私の足のともしび}
 「私は世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく
いのちの光を持つのです。」(ヨハネ八:一二) 
 
 「ともしび」は、暗闇の道を歩くとき、自分の足もとを照らす道具です。わたしは田舎育ちですので、今でも思い出しますが、幼いころ手伝いで、ごま油を家で収穫したごまと交換するために、懐中電灯で照らしながら暗い夜道を歩いて、遠い店までいかなければなりませんでした。
とても怖い思いをしたものです。
 「灯」は、自分の足元を照らします。そんなに広い場所を明るくはしないのです。他の人の持っている灯で、自分の足元を明るくすることはできません。使徒ヨハネは、このことをよく知っていました。イエス様こそ「私の足のともしび」であったのです。ですからイエス様を前にして、その後に離れないようにピッタリとくっついて歩いていけばよいと書きました。
イスラエルの民が約束の地を目指して旅をしているとき、幕屋の上には輝く火の柱があったのです。暗い夜でも歩くことができるように、四〇年間、毎日光輝いていたのです。今は、神の国を目指しているキリスト者のために、イエス様を同じように、決して消える事のない光を私たちのために、照り輝かして導いておられるのです。
posted by sbbc at 03:25| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月18日 {天使ガブリエルの告知}



 「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされてガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。」(ルカ一:二六)
 
 全世界の滅亡からの救いの準備が整い、いよいよ最後の行動が開始されました。天使ガブリエルが、マリヤのところに遣わされたのです。ガブリエルは、約五五〇年前に、終わりの日の事を伝えるために、ダニエルに遣わされました。(ダニエル八:一五〜) その同じガブリエルが、主の使者として、救い主イエス・キリストの母となるマリヤのところに来たのです。
 「おめでとう。恵まれた方。主があなたと、ともにおられます。・・・・御覧なさい。あなたは身ごもって男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子は優れた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また
神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家をおさめ、その国は終わることはありません。」(ルカ一:二八〜三三)
 マリヤは、主イエス・キリストの誕生の一部始終を知っている人です。ガブリエルの告知から、誕生、十字架、復活まで、すべてを目撃した唯一の方です。その方が証をしているのです。「この人たちは、婦人たちや
エスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みなこころを合わせ祈りに専念していた。」(使徒一:一四)
posted by sbbc at 03:24| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月11日 {神の家族として主の御前に出る}



「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いによろこばせてくださったからである。女も子供もも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」(ネヘミヤ一二:四三) 

 ネヘミヤ記のこの記事は、破壊されていたエルサレムの町がネヘミヤの指導のもと、城壁が再建され、神殿を中心とした民の生活が整えられた時、城壁の奉献式の様子を記録したものです。すべてのイスラエルの民が、参加し、祭司、聖歌隊、指導者などが城壁の上に立ち、その中央に民が一同に集まり、聖歌隊の歌に合わせて、賛美をささげたのです。
  ネヘミヤは、その中に、「女も子供も喜び歌った」と書き記したのです。これが、主の喜ばれる礼拝です。「神が彼らを大いに喜ばせてくださった。」のです。民として、神の家族として、全員で主を礼拝したのです。
 全ての者が、理解し、ささげ、喜び歌ったのです。新約において、イエス様の周りには、成人はもとより、子供や社会から締め出されていた人々など、神を求めて集まってきた人々が大勢いたのです。律法学者や祭司たちは、子供たちが「ダビデの子にホサナ」と賛美している姿に腹をたてたのです。その人たちに「あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。」(マタイ二一:一六)と旧約聖書を引用し戒められたのです。
posted by sbbc at 03:24| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする