2017年07月18日

7月16日 「四つの種」



「四つの種」
「種を蒔く人が種まきに出かけた」(マタイ一三:三)
  
一、主はどのような方なのか。
 みことばを蒔く人です。
 みことばは、麦の種のようなものです。
 イエス様はたとえを用いて、神の奥義を話されました。
 イスラエルのあちこちで見られる風景でした。秋ごろになると、麦の種を畑に蒔きます。ばらまきですので、ある種は道端に落ちました
 別の種は石地に落ちます。また別の種は、茨の中に落ちてしまいました。また、耕された良い地に落ちました。しかし、成長し実を収穫できたのは、良い地に蒔かれた種でした。
二、種を蒔く人―主―の期待は収穫することです。私達は良い地でしょうか。
 みことばは、全ての人々の心に蒔かれています。イエス様は、四つの種のパターンを示すことで、御言葉に対して、全ての人の心の状態を描かれました。このパターンしかないのです。そして、実を結ぶ心は、良い地でなければならないのです。他の三つの状態では、実を結ぶことはできないのです。みことばは完全です。実を結ぶか、枯れてしまうかは、聞く私達の心の状態に左右されるのです。
posted by sbbc at 10:40| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

7月9日「主の剣、ギデオンの剣」

※今回はメッセージの録音はありません。

「主の剣、ギデオンの剣」
  「『主のためだ。ギデオンのためだ。』と言わなければならない。」(士師記七:一八)
一、主はどのような方なのか。
  主のことばの剣は、全てのものを刺し通す。
物を作るのに、様々な材料を使います。先日、網戸の網を張りなおしました。複雑な作業ではありませんが、それでも何種類かの刃物を使います。切れ味の良いナイフ、ハサミを使います。その必要に合わせるためには、必要なものです。神の御業は複雑ですが、人々を整えるために万能の道具を使われます。それが「主の剣」である御言葉です。
  神はその御言葉を自由に用いて、全ての御業を行われます。
二、神は、その万能の御言葉を救われた人々に、用いるように与えて下さいました。
 イエス様も御言葉によって、御業をされました。神であることのしるしです。また、パウロも「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ六:一七)と命じています。
 ギデオンは、ラッパとたいまつを手に持って、「主の剣、ギデオンの剣」と叫びました。数時間前に、敵の兵士が見た夢と同じように、敵の心に、ギデオンが攻め上って来たかのように支配されてしまいました。彼らは、逃げ出すもの、同士討ちするものとなったのです。大勝利です。
posted by sbbc at 12:23| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

7月2日 「励ましの神」

※今回は録音はありません。

「励ましの神」
  「キリストによる勧め、愛の励まし」(ピリピ二:一)

一、主はどのような方なのか。
  信仰に立って、歩めるように、常に励ましてくださる方です。
神様は、私達の内にキリストの形が形成できるように(これは、人として神が与えて下さった資質です。それは、神の愛の内を歩むこと)導いてくださっています。ところが、人は神から離れてしまったために、恐れに支配されてしまいました。イエス・キリストの救いをいただいておりましても、神に従うにも、この恐れと戦わなければなりません。神は、その恐れに打ち勝つために、励ましを与え、神の声に従えるように押し出してくださるのです。

二、私達は、心に語りかけて下さる静かな声に注意深く耳を澄ませましょう。
ギデオンは、敵のミデアン人の陣営を見て、恐れてしまいました。神は、その心を知っておられました。「立って、あの陣営に攻め下れそれをあなたの手に渡したから。しかし、もし下って行くことを恐れるならあなたに仕える若い者ブラと一緒に陣営に下って行き、彼らがなんと言っているかを聞け。そのあとで、あなたは勇気を出して陣営に攻め下らなければならない。」と励まして下さったのです。
posted by sbbc at 13:34| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

6月25日 「不思議に見える主の御業」


「不思議に見える主の御業」
                       
一、主はどのような方なのか。
 主の御業は、私達の目には不思議に見えます。そこに信仰が問われます。使徒パウロは「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。その裁きは、何と知り尽くしがたく、その道は、なんと測り知りがたいことでしょう。」(ローマ一一:三三)
 人は、そのことを知っています。信じ難い美しい物を表現する時「神秘的」と言います。しかし、それは現実なのです。
二、前もって、聖書を通して語ってくださっています。それを、受け入れ、従うことが神が求めておられる信仰なのです。
 ギデオンに神は、命じました。ギデオンを助けるために、戦う備えをして集まってきた民を減らされたのです。ギデオンも驚くほど多くの民三二〇〇〇人が集まったのです。ギデオンは、勇気を与えられました。その心を見た神は、三〇〇人まで絞られたのです。ギデオンは、不安に襲われました。心の内で「この人数で戦えと言うのですか。」と。敵は四五〇倍もいるのです。しかし、神は、ギデオンを優しく導くのです。
  また、選ばれた民もまた、ギデオン以上に不安になったことでしょう。しかし、不思議に民は、ギデオンの指示に従ったのです。神のお働きです。
posted by sbbc at 10:31| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月20日

6月18日 「主の忍耐」



「正しい者の救いは、主から来る。苦難の時の彼らの砦は主である。」(詩篇三七:三九)
 
 一、主はどのような方なのか。
     主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。
     主は、悪者どもから彼らを解き放ち
     彼らを救われる。
     彼らが主に身を避けるからだ。(詩篇三七:四〇)
  
 二、主のしるしを見よ。
 イエスはこのことを最初のしるしとしてがリラヤのカナで行い
 ご自身の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
 (ヨハネ二:一一)
 
 神は私達に求めておられることは、訓練によって、力をつけることではなく、御言葉とその証しを通して、示される神を信じることです。
 ギデオンは、神のことばを信じるために、しるしを求めました。しかも自分から見せてほしいしるしを提示しました。それは、自分の命がかかっていました。そのことを神はご存じで、実行してくださいました。神は信仰によって歩もうとする人を、助けます。イエス様のお弟子さんが、イエス様をキリストと信じるために、助け導かれました。
 今日も、イエス様は私達の信仰のために、御業をしておられます。
posted by sbbc at 14:07| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

6月11日 「主の祭壇を築け」



「主の祭壇を築け」
一、主はどのような方なのか。
 私達の神は、天におられ、その望むことをことごとく行われる。
   ・・・・・
 イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、
 また盾である
   ・・・・・
 主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。
   ・・・・・
 主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。
   ・・・・・
 あなたがたが主によって祝福されるように。
 主は、天と地をつくられた方である。
二、偶像とはどういうものか。
 彼らの偶像は銀や金で、人の手の業である。
 口があっても語れず、目があっても見えない。
 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。
 手があってもさわれず、足があっても歩けない。
 のどがあっても声をたてることもできない。
 これを造る者も、これに信頼するものもみな、
 これと同じである。
(詩篇一一五篇)
posted by sbbc at 11:51| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

6月4日 「ギデオンの信仰」

※録音はありません

「ギデオンの信仰」
 「私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せて下さい。」(士師記六:一七)
  
  ギデオンはヨシュアから約一六五年後にイスラエルの民を主に立ち返らせるために、用いられた人です。そのギデオンの信仰をみてみましょう。
 一、先祖を導いた偉大な主を信じている。
  「主は私達をエジプトから上らせたではないか」と言って、私達に話したあの驚くべきみわざはどこにありますか。とギデオン主の使いに問いました
 二、主が一緒にいてくだされば平安である信仰。
  ギデオンは、今のイスラエルの悲惨さは、偉大な主が民を捨てられたからと考えていました。主が一緒にいてくださるのであれば、もっと良いはずだと、主に訴えました。しかし、今、自分に話している「あなた」が、主の使いであることを、すぐ否定しませんでした。確かめることにしました。
 三、主の使いであることがわかると、そこに祭壇を築きました。
  主が共にいてくだされば
 救われると確信したのです。
 主を礼拝するのです。
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2017年05月30日

賛美練習用録音データ 725 われを見出し 

ソプラノ

アルト

テナー

バス


伴奏

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5月28日「主の選択」


「主の選択。」
「全地はあなたの前にあるではないか。もしあなたが右にいけば、私は左に行こう。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。」(創世記一三:九)

   神の導きを知るには、どうすればいいのでしょうか。今、教会は千葉ニュータウン教会の独立に関して、主の導きを求めています。聖書から三つの実例を通して、見てみましょう。
  一、モーセとロトの別れ(創世記一三:九)ー選択権を相手側にー
  別れなければならない事情が出て来た時、アブラハムはまずロトに選択  するように提案しました。ロトは自分が良いと思う低地を選びました。アブラハムは、他の所を選んだのです。
  二、サムエルとイスラエルの民(Tサムエル八:七)ー主にゆだねてー
  イスラエルの民はある事情から、王を立ててくれるようにサムエルに申し入れました。サムエルはそれには反対でした。神にたずねた所、「この民があなたに言う通りに民の声を聞き入れよ。・・・今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」とサムエルに応えられました。
  三、パウロとバルナバとの別れ(使徒一五:三九)ー主の働きを分けるー
  マルコのことで、彼らは激しく話し合いました。その結果、夫々の選択の道を行くことになりました。主はそれを受け入れられました。
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5月21日 「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」


「教会が独立する事はどうなることなのでしょうか。」
 「彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(使徒一四:二三)
  
  使徒たちは、福音を伝え、信じた人々が起こされると、そこに、教会を組織し、その群れを導くために長老(牧師)をたてました。そして、信じている主にゆだねたのです。
  聖書では、伝道所から、教会に代わる記事はありません。福音を伝え、弟子を集めることは、主の御命令です。福音を信じた人々の集まりが教会です。
 私達の信仰告白は、地方教会の独立を告白しています。独立とは、自治、自給、自伝の権威を教会に派遣教会より与えることを言います。
  自治は、教会の礼典の執行の権威が与えられ、各地方教会が全責任をもって、決め、行動することであり、全ての結果に責任を持つことです。バプテスト教会は、会衆全員によって、治めます。
  自給は、経済的な必要は、その教会で賄うことです。
  自伝は、伝道活動は、全て、各地方教会が責任をもって行うことです。
  伝道者が、遣わされて、福音を伝え始める時は、派遣教会の助けが必要です。特に、経済的な援助は派遣教会だけでなく、交わりのある教会からの助けも伝道者にとっては大きな励ましになります。これらが、整えられたとき
 派遣教会からこの権威を頂き、教会を組織し、独立するのです。
posted by sbbc at 14:46| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする