2018年05月13日

5月6日

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4月29日

編集中
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4月22日

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2018年04月15日

4月15日 {確かな約束―新しい契約}

「こういう訳で、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約の時の違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束をうけとることができるためなのです。」(へブル九:一五)
   
一、日本人は聖書の神の約束から遠く離れていました。
 日本人は、イエス様以前の時代において、聖書の神を知りませんでした。
 イスラエルの民への約束から、遠く離れていました。素晴らしい約束でしたが、異邦人である私たちは関係のない約束でした。そこには、はっきりと区別があったのです。
 二、イエス様の御業は、異邦人にも契約を結んでくださった。
イエス様は、血筋によらない「信仰」のみによる契約を新たに結んでくださったのです。
 三、その確かさは、イスラエルの民の歩みの証しに見ることができます。
 神は契約通りに民を導きました。そして、キリストの派遣、御業、十字架と復活は聖書に書かれている約束に従って行われました。十字架と復活が現実としてある限り、この契約は実行力があるのです。今までも変わらなかったように、これからも変わることはないのです。再び、主イエス・キリストは、十字架にかかることはないのです。もう一度来られる時は、信仰によって、神の家族とされた人々を天に迎えるために来られます。
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4月8日

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2018年04月08日

4月1日 {福音の最も大切なこと}



「あの方はよみがえりました。ここにはおられません。」(マルコ一六:六)
   
 イエスキリストは、「最も大いなる愛は、友のために命を捨てること」であると話されました。その心の活動は、人々を幸福にするものです。この心の働きが出来ないために人は憎しみあい、争いがあり、滅んでいくのです。人々は空を打つ拳闘をしています。幸福を願って、自分中心の心で対応していますが、結果はその逆になっています。その良い例を世界情勢に見ます。世界は今、自国中心、自国第一の政策を取ってきています。そうすれば豊かになり自国を守ることが出来ると考えています。他国優先では国が成り立っていかないと考えるのです。人の力では解決できない、迷路に迷い込んで行くのです。
 イエス・キリストは罪びとを救うために、ご自身のいのちを神に捧げました。そのイエス様のみこころは、預言者イザヤによって語られています「彼は自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」(イザヤ53:一一)イエス様の心は愛でいっぱいでした。そして幸いでした。それは「主のみこころは彼によって成し遂げられたからです。」
 主は、そのようなイエス様を、よみに捨て置かれるような方ではありません。甦がえらせたのです。この神のみ力に望みをかけましょう。
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2018年03月28日

3月25日 {全ては、みことばに従って}

「キリストは聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれたこと・・・」(Tコリント一五:三)
   
  今、世界は大きく揺れ動いています。それは、私たちに不安を抱かせます。先日「経済戦争」という言葉が世界を駆け抜けました。様々な人々が素早く反応します。それは不安からくる動揺です。自分を守るための反応です。しかし、盤石な対応ではありません。
  詩篇一一九篇の作者は常に戦いがありました。「君主らは、ゆえもなく私を迫害しています。」(一六一節)しかし、不安から動揺することはありませんでした。それは「あなたのみ教えを愛する者には、豊かな平和があり、つまずきがありません。」(一六五節)という確信があり、「私の道はすべて、あなたの御前にあります。」(一六八節)と信仰に立っていたからです。
  ダビデ王にとって、すでに定まっている聖書のことばによって、神の御こころと行動は定まっている信仰に常に立っていたので、神に求めることができました。ダビデにとって、神を愛するとは、みことばを愛することであり、み言葉を実践することでした。人々の心が変わるとも、み言葉は変わりません。神の私たちに対する想いは、愛によって常に接してくださるのです。「私は滅びる羊のように、迷いでました。」「どうかあなたのしもべを探し求めてください」と祈ることができる神なのです。イエス様の姿です。

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3月18日 {祈りなさい。}

「互いのために祈りなさい。・・・義人の祈りは働くと大きな力があります」
(ヤコブ五:一六) 

  私は以前、犬を飼っていました。仕事を終えて家に帰ってドアを開けると今まで静かにしていた犬の次郎が吼え始めます。私のほかにも人はいるのですが、全然騒ぎません。外に連れていってくれて遊んでくれる人はだれかをよく知っているのです。
  同じように、子供は、期待ある人に求めます。おねだりする時は、親に求めます。他人には行きません。子供は賢いのです。教えなくても解っています。
  私たちの祈りも同じです。期待できる方に求めます。ダビデは、常に神に求めました。それは、神と親しく日々を過ごしていたからです。どんな時にも神とともに過ごしていたのです。そうでなければ、危険な時にすぐに神に向かって求めることはできないのです。
  最近交わりをもった宣教師の先生の息子さんが、海兵隊の隊員として海外に派遣されていました。最近アフガ二スタンに派遣されることになったそうです。その時、初めて「お父さん、自分のために祈ってください。」と電話してきたそうです。ご両親は喜んでおられました。
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2018年03月24日

3月11日 {みことばの戸が開くと}



「みことばを聞いて、それを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結びある者は百倍、ある者は六〇倍、あるものは三〇倍の実を結びます。」
(マタイ一三:二三) 
 イエス様は、み言葉を聞いて、悟ることの重要性を話されました。多くの実を結ぶには、聞いて悟る者です。と語られました。「悟」とは、真理を心で受け入れることです。人は心で、確信したところで喜び、行動します。悟ることは神の賜物です。
 ダビデは、「みことばの戸が開くと、光差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」と証をしています。しかし、聖書を読みと自動的に光が差し込むのではないようです。「戸が開く」というところにヒントがあります。その良い例はU歴代二九:3にあります。ヒゼキヤが王になったとき、今まで長い間、主の宮の戸が閉じられていました。ユダの人々が主から離れていたため、宮の戸を閉めて、神から聞こうとはしなかったのです。そのため、弱く、国の危機が迫っていたのです。ヒゼキヤは、神に立ち返るために、国の改革を断行したのです。まず初めに、主の宮の戸を開いて宮を清めたのです。それは、主なる神に聞くことを、まず第一に行ったのです。ここに信仰が求められます。み言葉は神御自身です。「みことばの戸を開く」とは、神ご自身の声を聴き従う信仰を持って聖書を開くことです。
 聖書をあなたは、日に何回開きますか。聖書があなたの悟りなのです。
posted by sbbc at 22:31| メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする